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娘へ2

2018年12月13日
娘へ2
大津留公彦
一首選んで頂けると有り難いです。

2015年05月15日(金)
欄干に娘と寄りし京の夏決して幻などではあらず

2014年10月13日(月)
深秋の妻の入院対話する娘との暮らしぎこちなきかな

2014年07月17日(木)
初浴衣似合う娘の眩しさよいつかは居なくなりて行く君

2014年03月01日(土)
娘と購うイギリスツィード春帽子表参道外れの辺りで

2013年09月20日(金)
簾名残娘の声の通りけり草むしりするさ庭に居れば

2013年07月28日(日)
夜光虫娘二人の語るなり楽しげであることは良きこと

2013年05月20日(月)
夏蜜柑と妻と娘と過ごしけり 望むものは特にはなくて

2013年05月13日(月)
娘の気配隣の部屋に夏兆す 壁一つなる我が部屋に居て

一首選んで頂けると有り難いです。

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娘へ1

2018年12月12日(水)
娘へ1
大津留公彦

2018年12月10日(月)
来年は嫁ぎて行くか次女の君貴方と暮らした日はもっとも長い

2018年01月08日(月)
成人式の吾子の写真を待ち受けにして居りしなり晴れ着の娘の

2017年11月23日(木)
勤労に感謝する日に娘と我と早番勤務契約とシフト

2017年09月03日(日)
お散歩の後はお尻もちゃんと拭いてねと娘に言われアベロの尻拭く

2017年06月17日(土)
夏風邪の娘の咳は玄関へ移動して行く我が部屋の前

2016年12月07日(水)
大雪の今朝も娘の鍵の音に起こされゆっくり朝を始める

2016年05月15日(日)
葵祭娘と行きしはふた昔前いずれ嫁ぎて行くか希望よ

2015年06月17日(水)
「イエーイ」という斉藤斎藤の歌教える娘にもあるか歌の心が

一首選んで頂けると有り難いです。

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浅草等光寺の啄木歌碑

啄木の葬儀が行われた等光寺に立ち寄りました。
土岐善麿の生家でもあり歌碑もあるはずですが入れませんでしたのでネットから紹介します。

ーー
浅草等光寺の啄木歌碑
 啄木は明治41年(1908年)、文学者として身を立てるため上京して創作活動に入り、明治42年から朝日新聞の校正係となった。小説や短歌の創作に励み、浅草の賑わっている様子を歌に残している。啄木は苦しい生活の中で肺結核を患い明治45年(1912年)に27歳で死去した。葬儀は啄木の親友の土岐善麿(歌人・国学者)の生家であった等光寺で行われ、啄木一周忌追悼会も等光寺でおこなわれた。なお、啄木の遺骨は間もなく妻節子の強い希望で函館に移されている。また、啄木葬儀の一月前には、母カツの葬儀も行なわれている。
啄木の葬儀が行なわれたこの浅草等光寺には、啄木の顔のレリーフを彫り込んだ啄木歌碑があります。

啄木の歌碑は啄木生誕70周年の1955年(昭和30)、金田一京助氏らが集まって歌碑除幕式が行われた。この歌碑は門を入ってすぐ右手にあり、黒みかげ石の歌碑で、一握の砂にある「浅草の夜のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心」の一首が刻まれ、左上に胸像が刻まれている。歌碑の右には台東区教育委員会による案内板がある。

石川啄木歌碑                                 
台東区西浅草一丁目六番一号 等光寺 

石川啄木は明治十九年(1886)岩手県に生まれる。はじめ明星派の詩人として活躍した。しかし曹洞宗の僧侶であった父が失職したため一家扶養の責任を負い、郷里の代用教員や北海道の新聞記者を勤め、各地を転々とした。 明治四十一年(1908)、文学者として身を立てるため上京して創作生活に入り、明治四十二年からは東京朝日新聞の校正係となった。小説や短歌の創作に励み、明治四十三年十二月には処女歌集「一握の砂」を出版する。生活の現実に根ざし口語をまじえた短歌は歌壇に新風を吹き込んだ。 しかし苦しい生活の中で肺結核を患い明治四十五年(1912年)四月十三日に小石川区久堅町の借家で死去した(27才)。親友の土岐善麿(歌人・国学者)の生家であった縁で、葬儀は等光寺でおこなわれ、啄木一周忌追悼会も当寺でおこなわれた。墓は函館市の立待岬にある。                         
この歌碑は、啄木生誕七十年にあたる昭和三十年に建てられた。「一握の砂」から次の句が記される。 
           
浅草の夜のにぎはひにまぎれ入りまぎれ出で来しさびしき心  
           
平成十五年三月                              
台東区教育委員会
以上
たかしの啄木歌碑礼賛より
写真はサイトに行って見て下さい。
https://blog.goo.ne.jp/takuboku1511


浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心 
啄木

この歌は、東京朝日新聞(明治43年3月18日)に発表、「一握の砂」に掲載。39010a53f68a4deabcc157bf2f5e7835

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青春の歌62(皇居の昼休み)

2018年12月11日
青春の歌62(皇居の昼休み)
大津留公彦

我が家にて 大衆運動か拡大か 昔からのシェーマを語る十代 

活気ある高校生の会議をリードする妻の言葉の我を意識す

我が為に弁当を作る君が居て歌を書きつくる私のいる夜

周航の歌歌う君の香り来る卵の焼ける匂いに混じりて

片付いた部屋に帰るのはやはり嬉しい 今日からは散らさないようにするからね

生活はこれ 初めて買ったタイマーが二人の暮らしに役立ってゆく 

街路樹はうっすらと茶色に色変えて丸の内にも季節あるを告ぐ

バレーボール飛び交う中に腕を組み外して歩む皇居の昼休み

一首選んで頂けると参考になりますので有り難いです。


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おは!twitter俳句(冬日和)

千代田線沿いの早朝散歩が続いている。
先週は文学散歩もした。
山頭火関係の記事です。
昨日行った日暮里駅近くの本行寺(月見寺)にある種田山頭火(1882-1940)の句碑。

 「ほっと 月がある 東京に来てゐる」
全国に500以上ある山頭火の句碑ですが東京にあるのはここだけです。山頭火は一時期ここに暮らしていました。
一茶の句碑の問い面にあります。
昔は月見寺と言われ一茶も愛したそうです。
それを意識した句ですね。

山頭火の句碑細長し本行寺 公彦
ーー
今後も歩きたいと思ってます。
今朝はこれを書いているので無理ですが
さあ!新しい週の仕事の始まりです。
ーー
この一週間の俳句です。
私の俳句:   @twryossy
私のコメント: ★
twryossyさんのツイート:おは! RT @twryossy

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