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2007年3月28日 (水)

「地方自治」はどこへゆく

下記論文を紹介します。

福岡の福岡県自治体問題研究所の 宮下和裕さんの自民党憲法草案が憲法になるろ地方自治はどうなるかという研究論文です。

転載の許可を頂きましたので掲載します。

このブログにしては少し内容が専門的なのと長いので(これはこのブログらしいが)別ページといたします。

表題はこうなっています。

連載「これからの地方自治と道州制問題」・補論
                                 2007.3
新自由主義的地域的受益者負担主義に立脚した「地方制度」
 ……自民党「新憲法草案」が示す「地方自治」の未来像……
                      宮 下 和 裕
                      (研究所事務局長、主任研究員)

自由民主党は2005年11月22日、立党50年記念党大会を開催し、先に発表していた「新憲法草案」を党として最終決定するとともに、改定した新綱領に、「新しい憲法の制定」と「教育基本法の改定」を明記した。
 すでに改定教育基本法は、翌年9月に誕生した安部晋三首相のもとで採決が強行され、12月22日に公布、施行されている。安部首相は、憲法改正問題を来る7月の参議院選挙の争点にと意気込み、改憲手続き法案の成立に急である。
 そこで自由民主党の「新憲法草案」(以下、自民党草案)が、いかなる地方自治、自治体像を示しているかを簡単に検討しておきたい。なお、草案の全体像については、すでに本紙の昨年1月号から3月号までの石村善治先生の連載、「いまこそ輝け平和憲法」で詳細に論じられており、同年4月には同名のブックレットとして、自治体研究社から緊急出版されているので、参照されたい。

<特別法の住民投票を廃止…団体自治・「四権分立」の否定>
 自民党草案でも、第8章が「地方自治」となっているが、その全文は、別項の通り91条の2、91条の3、92条、93条、94条、94条の2の、計6条で構成されている。日本国憲法の「第8章 地方自治」は、92条から始まっている。
 自民党草案も現憲法と同文の91条、これは国の財政を規定した「第7章 財政」の末条で、「内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少なくとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。」という、財政状況の報告をうたったものだが、自民党草案は92条から始まらずに、この91条に続く形がとられている。すなはち91条の2が、自民党草案の「第8章 地方自治」の冒頭となっているのは、いくら新設挿入の条文だとしても、いかにも扱いがぞんざいで、異様である。
 次に、国権の最高機関たる国会であっても、一つの自治体のみに適用される特別法は、該当自治体の住民投票で過半数の同意を得なければ、制定できないことを定めた95条の削除、廃止がうたわれているのは大問題である。
 同条は、地方自治体が持つ、たとえ国権の最高機関であっても侵しがたい、団体自治の尊さ、筆者がかねてより主張してきた権力の分立(「四権分立」)の一翼としての地方自治という、憲法上の地方自治の地位を規定したものだが、これが削除されているところに、自民党の草案の意図、それが目指す地方自治、自治体像が端的に表明されていると言ってよい。

<「負担を公平に分任」=新自由主義的受益者負担主義>
 自民党草案冒頭の91条の2は、「地方自治は住民参画を基本とし」(傍線は引用者、以下同様)から始まっている。
 この表現には、住民(国民)が主権者との規定を明確にしないばかりか、むしろ 「地方自治」を上から管理、監督、執行するものが一般住民(国民)とは別に存在することを前提に、住民の「参画」を「容認する」との含意があると思われる。その2項では、「住民は、その属する地方自治体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を公平に分任する義務を負う。」とされている。その力点は明らかに、「その負担を公平に分任する義務を負う」にある。
 国民をしばるのではなく、権力をしばるのが近代民主主義国家の憲法であることは、改めて言うまでもないが、まずこの基本原則から逸脱している。
 さらに「公平に分任する」とは、いかなる公平かが問題である。政府与党、財界の基本戦略である構造「改革」路線である、新自由主義流の受益者負担主義の立場からいえば、「応能的に」ではなく、「応益的に」負担を公平に分任させられることになる。これらの規定が、「第8章 地方自治」の冒頭に置かれているのも、これまた異様と言わざるをえない。

<道州制の導入を前提>
 自民党草案の91条の3は、日本国憲法では単に「地方公共団体」とされているものを、そうではなく、また都道府県と市町村等でもなく、「地方自治体は、基礎的地方自治体及びこれを包括し、補完する広域地方自治体とする。」と規定している。
 基礎的自治体と広域地方自治体との二段階の表現をわざわざ持ち込んだのは、住民自治の成立を困難にし、かつ地方切り捨てに直結すると懸念されている、道州制を展望、前提としているものとしか、言いようがない。

<地域的受益者負担主義>
 自民党草案の92条は、「国及び地方公共団体の相互の協力」として、「国及び地方公共団体は、地方自治の本旨に基づき、適切な役割分担を踏まえて、相互に協力しなければならない。」とされているが、問題は「適切な役割分担」とは、どういうことかということである。
 この点については、二宮厚美・神戸大学教授が「法律時報」2006年6月号掲載の論文、「分権型構造改革から新自由主義的改憲への展開」で、見事に分析されている。
 戦後のシャープ勧告に象徴される近代的地方自治観、あるいは最近の世界地方自治宣言やヨーロッパ地方自治憲章(共に1985年)で言われた「補完性の原理」の、中央政府・地方政府といった公的団体間の、例えば福祉などの責任を分担、分有する意味とは異なり、住民に身近な福祉などは地方に、外交や軍事といったものは中央にとの「役割分担」に、その本質がある。福祉を国政の課題とはしないという意味での、いわゆる「福祉の脱“政治”化」が、「適切な役割分担」の意味するものである。
 逆に、「補完性の原理」に立った「『責任分担』のもとでは、国・地方間において役割は分担されず、むしろ役割は分有・共有される」(前記、二宮論文)のであり、自民党草案の規定とは、本質的な相違が存在する。

<地方交付税を否定、ナショナル・ミニマムの欠落>
 この「役割分担」論と直結するのが、「地方自治体の財務及び国の財政措置」を規定した自民党草案の、94条の2である。その第1項は、「地方自治体の経費は、その分担する役割及び責任に応じ条例の定めるところにより課する地方税のほか、当該地方自治体が自主的に使途を定めることができる財産をもってその財源に充てることを基本とする。」とされている。
 地方税と財産という、いわば“自前でやれ”ということになる。ちなみに財産とは公有財産、物品、債券、基金のことである。もちろん続く第2項で、「国は……必要な財政上の措置を講ずる。」とされているが、それはあくまで、“自前でやれ”との「前項の趣旨に基づき」おこなわれるべきものでしかない。
 これは、地方の財源保障と財政調整機能を持ち、「国が便宜的に一括徴収する間接徴収形態の地方税ともいうべきもの」(石原信雄監修「地方財政小辞典」、ぎょうせい刊)であるところの、現在の地方交付税制度に象徴される、戦後地方自治制度の根幹、歴史の進歩を根本から覆す問題といわなければならない。
 この間の市町村合併の強行は“国土の均衡ある発展”という、かっての自民党政府の長年のスローガンへの、決別宣言でもあったが、この決別宣言の実行をさらに一層推進しようということである。
 結論的に言えば、ナショナル・ミニマムの欠落した、地域的受益者負担主義に立脚した「地方制度」であり、地域間・個人間の所得の再配分を特色とする現代福祉国家を否定する、もはや近代的、現代的地方自治とはいいがたい代物である。

<条例制定権の制限を志向>
 その点で注目すべきは、「地方自治体は、その事務を処理する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」と規定した、「地方自治体の権能」を定める94条である。
 まず第一に日本国憲法の94条の表現が一部削除されていることである。すなはち、「その財産を管理し」と「及び行政を執行する」権能との文言が削除され、あとは日本国憲法の表現が残された形となっている。
 ここでいう「行政」とは、住民の権利や自由を制限したり義務を課すことのできる権能という意味であり、日本国憲法や地方自治法上での「行政」とは、そのような特別の意味で使われてきた。いわゆる行政事務である。
 地方分権一括法の一環として、2000年4月に施行された新地方自治法(14条二項)では、この「行政」との表現を、「義務を課し、または権利を制限する」という、世間一般的な常識的表現に改められている。
 この「行政を執行する権能」が、日本国憲法によって市町村を含む戦後の自治体に賦与されたことによって、それまでの戦前、戦中の単なる「事業団体又は経費負担団体」から「一種の権力団体又は統治団体」(田中二郎、「新版行政法上巻」全訂第二版、1974年)へと、革命的といって良いほどの地位の向上がもたらされた。
 前述した「四権分立」とでもいうべき「権力の分立」の一翼を担う、憲法上の地方自治の地位は、この規定のよっても保障されているのである。そういう意味では「その事務を処理する権能を有し」との表現に、あっさりと簡略化されてしまっていることには、地方自治の地位低下の狙いがあるとの疑念を抱かざるをえない。
 第二に「法律の範囲内で」との表現についてである。ちなみに自民党草案の第8章自体は、新地方自治法の表現、特に「地方公共団体の役割、国と地方公共団体の役割分担の原則等」を規定した、1条の2を取り入れた形が目立つが、新地方自治法でも改正前の地方自治法でも14条で、「法律の範囲内で」ではなく、「法令に違反しない限りにおいて」とされている。
 いうまでもなく「法令」には、法律だけでなく国の行政機関が定める「命令」も含まれるので、草案でも「法律」としたことは当然だとしても、「違反しない限り」と「範囲内」とでは、大きく意味が違ってくることに注目すべきである。
 1960年代後半からの公害反対運動のなかで、国の法律との関連で、自治体の条例制定権(自治立法権)の範囲の問題が、国と地方自治体・住民との間で大きな争点となったが、条例制定権の拡大を容認する方向での、決着を見た経緯がある。
 これは戦後の地方自治史を飾る金字塔であったわけが、こうした歴史を踏まえて、現行憲法の「法律の範囲内で」という表現は、地方自治法の表現に即して、「法令に違反しない限り」と読み替えるというのが、憲法学界の長年の通説とされてきた。
 よく知られているように、地方自治法は1947年5月に憲法と同時施行されたが、その施行時の表現では、憲法と同文の「法律の範囲内」とされていた。だが早くも同年12月に、GHQの占領下で地方自治法が民主的に強化された際、「法令に違反しない限りにおいて」と、官僚によって巧妙にも「命令」も、もぐりこまされた形ではあったが、変更されていたものである。それ以来60年、地方自治法のこの表現には変更は加えられていない。詳細については、拙著「福岡に地方自治の風が吹く……自治立法権の活用と展開」(1988年、自治体研究社刊)を参照されたい。
 こうした戦後の地方自治の歴史が存在するにもかかわらず、あえて現行通りの「法律の範囲内」と規定したのは、先に述べた行政を執行する権能という規定を削除したことと合わせて、自民党(憲法草案)が体質的に持っている、条例制定権の制限志向を、はしなくも告白したものである。

 以上検討してきたように、自民党草案が示す地方自治とは、あくまでも中央政府にとっての「地方制度」であり、真の意味での近代、現代民主主義国家における地方自治とは言いがたいことは、明白であろう。
 ナショナル・ミニマムの欠落した、新自由主義的地域的受益者負担主義に立脚した「地方制度」という、地方自治とは呼べない「地方自治」の未来像を、自民党草案は描いて見せた、と断ぜざるをえない。
 このような自民党草案が、日本国憲法となってしまえば、弱肉強食という格差社会の一層の深刻化、国土の荒廃は避けがたいものとなるであろう。
 *なお日本国憲法と地方自治をめぐる問題、日本国憲法の持つ地方自治規定の素晴らしさについては、拙著「希望としての地方自治」(2000年、自治体研究社刊)所収の、「憲法を守り活かす力はどこに」と、「改正地方自治法と地方自治の展望」の特に「(四) 今後の課題と展望」を、参照いただきたい。

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コメント

宮下さんに叱られそう、、。
県民集会の時、同じものをもらったのに、
ここで読むなんて。今度会った時、何て言おうかしら。

こんにちわ。
朝から自分のブログにアクセスできずにあせっています。
次の所にも私のサイトがありますので、よろしかったらご覧下さい。
http://tommaru.blogsome.com/

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