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私たちの幸せな時間

M男さんの映画評論です。

今回は韓国映画です。

この映画のホームページで南野陽子さん「韓国映画は深く深く人の心に入っていく作品が多いので好きです。」
と言っている。
また、「作品を見た観客たちは皆号泣で泣きはらした目で会場を後にしていた。 」と書いている。

死刑囚の男と自殺願望の女。人生の果てに訪れた、奇跡のような"幸せな時間"
映画「私たちの幸せな時間」の情報をお知らせします。
出演:カン・ドンウォン イ・ナヨン  監督:ソン・ヘソン
official blogから

翻訳は拉致被害者の蓮池薫さんです。

シネマぶらり観て歩き(103)

            私たちの幸せな時間
                                    韓国

ユジュン(イ・ナヨン)は経済的に恵まれて育ったが、母親から抱きしめられたことがない。歌手として一度は世に名を知られたが、今は退き、投げやりの人生を送っている。ある日、シスターである伯母に連れて行かれた刑務所で死刑囚のユンス(カン・ドンウォン)と会う。ユンスはかつて歌手ユジュンのファンだったと言う。響きあうものを感じて、ユジュンはいつしか毎週木曜日に叔母の代わりにユンスに会いに通うようになった。初めは固く心を閉ざしていたユンスの心にも変化が生じた……。
普段、我われは死を意識しないで暮らしている。そして、平均年齢くらいまでは生きるだろうと素朴に思っている。その象徴的な区切りはお正月だろう。「今年が良い年でありますように」と神社に詣で、賀状に言葉を添える。本当は、明日、交通事故で死ぬかもしれないし、数ヵ月後に病気で死ぬかもしれないのにそんなことは考えない。
この作品に登場する二人は死を意識している。ユジュンは誰にも言えない辛い体験を背負い、3度、自殺を図ったが死に切れず、無気力な日々を送っている。ユンスは3人を殺し、死刑執行の日を待っている。彼が実際に殺したのは一人だったが、相棒がユンスになすりつけてしまった。ユンスは裏切られても、抗弁するつもりもないほど、人間不信に陥っている。

この二人が出会う話だ。なかなかあり得ない設定でどんでん返しを重ねる韓国映画らしい展開を思わせるが、物語は人生や人間の生にかかわる深い思索の世界に観客を惹き込んで行く。(注:結末に触れる)
有史以来、権力者は罪を犯した人間を牢獄につないできた。終身刑というのは自由を奪い、罪人を一生、牢獄につなぐことである。それは、一体何を科しているのか。考えるにそれは「希望」を奪うということではないか。罪を贖わせるとは、刑の確定により社会的評価を失い、職業や家族を失った受刑者から人間らしく暮らしたいという希望を奪ってしまうことではないか。
ユンスはとうに時間を棄てていた。いつ、その日が訪れてもよい心の準備があった。そのユンスに時間を意識させたのが自殺願望のユジュンだった。この構図が作品の生命力である。
人は絶望の淵にある時、往々にして挑戦的な態度をとる。感情を封印したユンスの心を動かしたのは不貞腐れたユジュンの偽らない姿だった。シスターの伯母に連れられて来たものの、ユジュンには宗教的見地にもとづいてユンスにかける言葉がない。刑執行前のシスターの言葉を気休めにしかならないと思っていたユンスにこのユジュンの態度は新鮮に映った。
ユンスは変わっていく。心の底に沈殿していた人間不信が徐々に解けていった。やがて、二人は心が通い合い、面会の木曜日が来るのが待ち遠しくなった。
ユジュンはユンスにポラロイドカメラで撮ったスナップ写真を送る。白く光る波打ち際、緑広がる野原、雪の風景…小さな世界であっても自然は無条件に癒してくれる。そして、ユンスの誕生日には蝋燭が沢山並んだバースデイ・ケーキの写真が届いた。
現世とはある意味、執着(とらわれ)の世界である。それは、「もの」であったり、精神的なものであったりする。家族愛や友情のように人生に有意義なものもあれば、嫉妬や私怨のように人を腐らせるものもある。人が人生の最後の最後に、欲しいものは何だろう。映画は二人の交流を通して、探して行く。
そして、その日が訪れた。
……
「ユンス、面会人だぞ」
看守が声をかける。
「えっ、今日は木曜日じゃないだろう」
すぐさま、理解するユンス。あわてて、食事をかき込み、むせる。
「あー、死ぬかと思った」
……
このシークエンスは見事である。あえて、死という言葉をユンスに言わせている。観客は一瞬、笑いを誘われるが呑む。
時間は本来、生れ落ちてから、誰にでも等しく与えられている。しかし、死刑とは大木を根元から伐るように時間を無残に切り取るものだ。
人間はもともと一人では生まれてきたのではない。そして、沢山の人との関わりのなかで生きている。いや、生かされている。「人の間」とは関係性を示している。中国で人間(じんかん)は社会を意味する。生きるとはそれらとの交流であり、生きる喜びや生きがいとはその交流が相互に成立した瞬間や状態のことだ。孤独だったユンスはユジュンを通じて、沢山の人々と関係を築いた。死ぬことは誰にとっても純粋な私事ではない。(映画は死刑を執行するボタン係りの逡巡を描く)
二人は出会ってから互いに援助者となって世界を広げ、成長していった。短い日々だったが、生きる喜び、充実した時間を感じさせるものだったろう。叶わぬ希望を抱いたかもしれない。
人は死を意識した時、宗教心が芽生えると言う。
ユンスの最後の言葉は「愛している」だった。

韓国の人気作家、コン・ジヨンの同名小説をソン・ヘソン監督が映像化した。邦訳が拉致被害者の蓮池薫氏の翻訳で出版されている。
死刑囚を扱った作品には「デッドマン・ウォーキング」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(「ぶらり」No,24、2001年)がある。今作品は「デッドマン」のように、死刑反対の意図を前面に出してはいない。「ダンサー」のようにやり場のない悲しみに満たされてもいない。しかし、死刑制度がもつ問題について正面から提示している。
                                     (M男)
今日はこんなところです。
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