「苦渋の結論」の受け入れを
お玉さんのところにお邪魔していたら松竹さんの「編集者が見た日本と世界」というブログが紹介されていた。
そして「人道と安全保障の狭間で」という記事でクラスター爆弾について松竹さんは「苦渋の結論」として書いている。
確かにしぶしぶ合意したドイツ・フランス・イギリスそして日本の政府にとっては苦渋の結論だったろう。
このブログのクラスター爆弾禁止の背景について安全保障観の転換があるというのには刺激を受けた。
つまり国よりも人々のいのちが大事ということ。
これは自明のこととして国民は理解しているからこんな爆弾は要らないと思っている。
地雷にせよクラスター爆弾にせよ、それを禁止する条約の締結までには、いろんな議論があった。その基本的な構図は、安全保障上の必要性と、人道上の危険性と、ふたつの立場の対立であった。 国際社会は、このふたつの狭間で悩みつづけた。どちらが正しいと簡単には言えないからである。そして、苦渋の結論として、禁止という結論を選択したのだ。 たしかに、安全保障を考えれば、このような爆弾の使用はあり得る。しかし、その爆弾が、相手国の戦闘員を倒すだけでなく、民間人を殺傷することもある。戦闘員を倒すという有効性と、何の罪もない民間人を殺傷する非人道性。そのどちらを重視するのかと問われて、国際社会は「禁止」という結論に至ったのである。 そこには、安全保障観の転換がある。何を守るのか。安全保障というのは、結局は、人を守るものではないのか。人を殺傷しておいて守る安全とは何なのか。そういう転換である。国家を守れても、その国に住む多数の人々のいのちが失われれば、元も子もないではないかということなのである。
・しかし松竹さんの物言いは何故か非常に慎重だ。
「自国が侵略されたときのことを考えても、守られるものはたしかに存在するだろうが」と書きながら論を展開している。
日本政府は、クラスター爆弾を落としても、民間人は避難させた後だし、戦後には処理するから危険はないという。しかし、それは、相手国軍隊の上陸を前に民間人の避難を完了させるという、ちょっと常識外の事態を前提にしている。しかも、戦争には簡単に勝利し、爆弾を落とした場所に舞い戻れるということも、自明の前提になっている。 けれども、日本の自衛隊を相手にして、本格的に日本に上陸するという意図をもつ国があるとするならば、その軍事能力は並大抵のものではない。どんどん日本の奥地に進行し、それに応じてクラスター爆弾を落とす範囲もひろがってくる。人をまもるより国家体制を守ることが優先だろうから、結局は、そこに人がいようがいまいが、爆弾を落とすことが優先されることになる。 最終的に、国家体制は守られるかもしれない。でも、その過程でどれだけの人が殺傷されることになるのか。戦後の復興過程でも、各地で不発弾が爆発し、復興の障害になる。 そうなのだ。他国に軍事介入することを考えれば、クラスター爆弾など、もちろん問題外だ。でも、自国が侵略されたときのことを考えても、守られるものはたしかに存在するだろうが、この爆弾の非人道性の方が重視されるべきだ。それが今回の結論なのである。その苦渋の結論を、私たちはかみしめる必要があると思う。ミ
このブログを見ているミリタリーオタクの方にもこの「苦渋の結論」を受け入れてほしいと思います。
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ABCDさん
コメントありがとうございます。
そもそもこんな爆弾が自国の安全の為に役立つという前に(それ自体なりたたない議論ですが)その非人道性に目を向けなければならないと思います。写真にみるアフガンやイラクの子どもたちの目はそれを我々に訴えています。
投稿: おおつる | 2008年6月12日 (木) 07時18分
ココロさん
ご指摘有難うございました。
新しい所にTBするように改善したいと思います。
投稿: おおつる | 2008年6月12日 (木) 07時02分
↓投稿 | 2008年6月12日 (木) 03時53分 はabcdより
投稿: abcd | 2008年6月12日 (木) 03時58分
>つまり国よりも人々のいのちが大事ということ。
>これは自明のこととして国民は理解しているからこんな爆弾は要らないと思っている。
そんな変な「自明のこと」は存在してないでしょ。
「国民」じゃなくて“地球市民”の発想みたい。
もともと、日本以外の国は国外でのクラスター爆弾の使用が主な前提であるのに対し、軍隊としての制約だらけの日本は国内での使用でしかないというところからズレが存在しているような感じだね。
だから、この元記事はなんか的外れの印象だねえ。
クラスター爆弾の必要性が薄いノルウェーの「苦渋の結論」と、日本のそれは同じくらいに扱えるのか疑問。
「国際社会」の「結論」とあるが、国連常任理事国の三カ国が無視してる「国際社会」って何なの。
そんなものに日本がでしゃばる理由があるとはあまり思えない。
>このブログを見ているミリタリーオタクの方にもこの「苦渋の結論」を受け入れてほしいと思います。
自分は無いがミリタリーオタク位の知識がある人間なら、一蹴するんじゃないかな、これ。
投稿: | 2008年6月12日 (木) 03時53分
こんばんは。いつもTBありがとうございます。
・・が、またまた同じ記事にどんどん溜まっています。本当に、この方法は、おやめになった方がいいと思います。なぜなら、先方の記事を読まないでTBしているということになるからです。何度も書いていますが、大津留さんのイメージダウンに繋がると思うのです。こうやってコメントするのも躊躇しますが、もう一度と思い、忠告申し上げます。では、失礼します。^^
投稿: ココロ | 2008年6月12日 (木) 01時14分