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石川啄木は与謝野鉄幹に誘われれて東京に出て来た明治41年(1908年)5月2日の観潮楼歌会に参加している。

参加者は、森鴎外、佐々木信綱、伊藤左千夫、 平野万里、吉井勇、北原白秋、与謝野鉄幹、石川啄木の8人

啄木日記のその部分の要約を紹介すると・・・

5月2日
  晶子と明星や新詩社のことを話し合う 明星や新詩社が晶子の筆一本で支えられていることを知る
  午後2時 寛とお茶の水の明星の印刷所へ行き校正を手伝う
  夕刻、森鴎外の観潮楼歌会に出席する 鴎外から作品をほめられる
  吉井勇、北原白秋と道坂の平野万里の家に泊まる
参加者は、森鴎外、佐々木信綱、伊藤左千夫、 平野万里、吉井勇、北原白秋、与謝野鉄幹、石川啄木の8人
角、逃ぐ、とる、壁、鳴、の五字を結んで一人五首の運座。
 御馳走は立派な洋食。八時頃作り上げて採点の結果、 鴎外十五点、万里十四点、僕と与謝野氏と吉井君が各々十 二点、白秋七点、信綱五点、左千夫四点、親譲りの歌の先 生で大学の講師なる信綱君の五点は、実際気の毒であつた。
  鴎外氏は、“御馳走のキキメが現れたやうだね。”と哄笑せ られた。
次の題は、赤、切る、塗物の三題。
 九時半になつ て散会。出て来る時、鴎外氏は、“石川君の詩を最も愛読 した事があつたもんだ。”・・・』

歌会が終わった後、動坂に住んでいた平野万里の家に啄木は吉井勇、北原白秋と共に泊まっています。

Kanntyourou


与謝野寛・鉄幹と啄木は、藪下通り・汐見坂を登って来たと思われます。

会が終わって、白秋達と 動坂の平野万里宅へは団子坂上からまっすぐ行ったのでしょうか?
それとも根津の遊郭をぶらついてから・・・

PS.明治42年1月9日の観潮楼歌会で啄木は4歳年上の斉藤茂吉と会っています。
茂吉と啄木のたった一回の出会いです。

参考
啄木行事レポート
国際啄木学会〈春季セミナー〉
   2003年4月19日(土) 同志社女子大学 京都・今出川学舎ジェームズ館
 石川啄木函館から上京

安森敏隆  「斎藤茂吉と石川啄木」 

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