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山頭火が行乞放浪の旅で宿泊した旅館は、いわゆる木賃宿であるが、さて木賃宿とはどんな旅館だったのであろうか。

  辞書によれば宿泊料の安い粗末な宿屋とあるが、これでは内容が掴みにくい。そこで今少し掘り下げてみると…
 
  評論家・加太こうじ氏によると、大正末期から昭和初期に、東京中心部には約400軒ぐらいの木賃宿があって、一泊(食事は外食)20銭から30銭であったと書いてある。

  当時の利用者は労働者・諸遊芸人・行商人・托鉢僧等であったという。(新評社、山頭火の世界より)
 
  山頭火とは「層雲」の同人として長い交友のあった大山澄太氏によれば、戦前の日本には木賃(キチン)と稱するものがあった。

  ホテル・旅館・旅籠屋・安宿のもう一つ下の宿がキチンである。米は投宿者が持参せねばならない。

  山頭火は米5合を出していたと私に語った。夕と朝、二度炊いてくれる、その薪代を木賃(キチン)といった。

  その木賃と僅かなおかず代、宿泊料を含めて山頭火の漂泊した時代は最高50銭・最低20銭、多くは3~40銭といったところだった。
 
  山頭火の語ったところによれば、朝御飯の半分を残し、柳製の弁当箱に自分で詰め、梅干・佃煮など汁のないものを残し、弁当箱の隅にちょこんと置いたという。
 
  風呂はあるが、電灯は八畳の間5人泊まりでも小さいのがひとつ。そうした宿の設備、その他のサービス振りを総採点し、上中下に区別していたのである。(春陽堂、行乞記の解説より)
 
  東京周辺では食事は外食であったらしいが、その外のところでは山頭火の語った通り、一泊二食で現金と米で決済したらしい。

  この様な木賃宿も、昭和10年代頃から漸次姿を消していった。原因は戦争による召集・徴用などで利用者が減少した事や、米の配給制度が原因であったという。
(文責:山口高)

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