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大分合同新聞の8月12日の記事です。

薄れ行く戦争体験(上) 今伝えなければ
出征する兄を見送る時に掲げたのぼりを手にする田口次郎さん

兄の遺骨帰らず
 大分市の田口次郎さん(75)は人前で戦争体験を話すのは初めてだった。会長を務める県平和遺族会は七月に戦争体験者の手記「平和への手紙・大分」をまとめたばかり。その活動を知った大分商業高校から平和授業(八月六日)の語り部を頼まれた。「生徒にとって太平洋戦争は昔話。聞いてくれるだろうか」。不安な気持ちで語り始めた。
 田口さんの兄・一(かず)十(と)さんは一九四五年三月、太平洋戦争の激戦地の一つ、硫黄島で戦死した。二十九歳だった。出征したのは田口さんが七歳のころ。「兄と離れ離れになる時の寂しさは決して忘れられない」と振り返る。国に命をささげるのは当然―という風潮の時代。それでも父親は兄との別れ際に「生きて帰れよ」とそっと言葉を掛けた。だが遺骨すら帰ってこなかった。
 四年前、残った兄弟で硫黄島を訪れた。島に飛行機が着陸する時、「滑走路の下に兄の遺骨があるかもしれない。兄を”踏む”と思うと心が痛んだ」。五分と入っていられないような高温でガス臭のこもる地下壕(ごう)で攻撃に耐えていたことを初めて知った。

「心に伝わった」
 平和授業では妻・トシ子さん(74)と二人で一時間かけて講演。「戦争体験を基に平和の大切さを伝えたい」との思いをこめた話を生徒はじっと聞き続けた。心に伝わったことは驚きであり、心底うれしかった。
 講演後、田口さんは、授業で役立ててもらうため、生徒に話した内容を文書にまとめて市内の小中高校に配ることを決めた。「語り継ぐことは戦争を知る者の義務」と言い切る。だが世界で戦争や紛争が絶えない現実に「悲惨な戦争を体験した人が年々少なくなることで、日本が再び戦争の道を歩むことにならないだろうか」と心配している。
 × × × 
 戦後六十三年目の夏を迎えた。戦争体験の「語り部」の多くは七十歳代以上になり、やがて次世代に語り継ぐ人すらいない時代を迎える。その中で「だからこそ今、何としてでも伝えなければ」と懸命に声を上げ続ける人たちの思い、願いを伝える。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

戦争を原体験として語れる人が少なくなっている。
こうした歴史の証言を積み重ねて残さなければいよいよ戦争を観念で語る人が多くなる。

ちなみに田口次郎さんの奥さんの田口トシ子さんはこの前の記事殉空之碑慰霊祭に登場する殉空之碑を作られた故工藤文夫さんの娘さんです。

戦争を観念で語る若者に遺骨帰らぬ兄よあらすな 公彦

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