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今日は妻と二人で親族の病気見舞いに行った。
帰りに東武東上線の車中で大人のラブレターといういい詩を吊り広告で見た。
「あれ見てみな」と言ったが妻は字が小さいからいいと見なかった。

日光に紅葉を見に行こうという事を提案するラブレターだった。
ネットで探してみたが見つからなかった。

その代りに住友信託銀行の「60歳のラブレター」がありました。
大賞一つと金賞十五個紹介します。

こんな手紙を妻に書いてみることがあるかな・・・?

ーーーーー

第8回「60歳のラブレター」金賞受賞ラブレター
※受賞者の年齢は、2008年1月31日現在のものです。

大賞 宮川 紀之 (みやかわ のりゆき) 様  [千葉県 67歳]

君にいいそびれていることがあるんだ。二人で六畳一間の生活を始めたころ、もう四十年も前だなあ。会社の悪友に帰り際、新婚は早く帰れ、と冷やかされ、意地を張って、何いってんだ、と、やせ我慢して一杯付き合っていた頃だ。ある朝、今日は早く帰るよ、といって出かけたものの、会社を出るころにはすっかり忘れ、またもや午前様。
 で、部屋に帰ると、君は布団にもぐってた。目尻に涙の跡があったっけ。いつもは起きて待っているのにどうしたんだ、と少し怒っていった。そうしたら君は、ポソっと「今まで、ずっと駅で待ってたのよ」といって背を向けた。あっ、そうだ、しまった!と思ったけど、口から出たのは「バカ、会社に行けばいろいろある、何ふくれてるんだ!」とやってしまった。素直に謝れない、男の何かが邪魔したんだ。僕も青かったなあ。

 今でもふとそのことを想いだし、君が、西武線の駅で、電車から次から次へ吐き出されてくる人たちの中から、たったひとり、この俺をずっと探していたのか、と思うと胸がツンとなって、ああ、あのとき、ぎゅっと抱きしめてあげればよかったのに、と、きまって切なくなるんだ。こんなこともう覚えてないだろうけどね。でもいつかそのことを謝ろうと思っていたんだよ。  ごめんね、千恵子。


金賞 平野 聖子(ひらの せいこ) 様 [青森県 57歳]

  おバカさんの妻から夫へ
あなた覚えてますか、初めて会ったあの頃のこと。
私の友人が勤めている会社の先輩だったあなたにひと目惚れし生まれて初めて書いたラブレター、十日程してあなたから手紙が届き高鳴る胸を押さえて封を開けた瞬間、恥ずかしさの余り何処か遠くだれも知らない町へ逃げ出したくなったわ。なぜってそれは紛れもなく私があなたに出した手紙、それも誤字や脱字の箇所に赤ペンで線を引き丁寧に添削、ショックでした。
ただ最後の空いた一行に「今度の休みに会いませんか」っと、そのひと言に救われたわ。後で友人が「あの人校正の課にいるのできっと仕事ぐせが出ちゃったのよ」と、笑ってから「でもね、こんな手紙を書く女性の顔が見たいってわたしに言うのよ、失礼よねだからやめなさいよこんな男の人」って、そう言われてもあなたのこと好きだから許せたの、私。
そんな好奇心丸出しで会ってくれたあなたと結婚まで辿り着き子どもたちにも恵まれ三十年経った今でもラブラブの私たち、人生ってほんとに面白いものですね、あなた。     

金賞 小澤 美智子(おざわ みちこ) 様 [埼玉県 61歳]

「お母さんが一人になっちゃ可哀想だよ」と貴方が私の家に来てくれ三人で始めた結婚生活だった。
心細かった母子二人の暮しが一転し 母は本当に喜んでくれた。
家族が四人五人と増え幸せそのものだった年月…。
二人の子どものうち一人は順調な巣立ちをしたけれど 一人は私達をおいて遠くに旅立ってしまった。
そんな時も貴方は「前を向いて行こう!仕方ないんだ 明るく生きていく事があの子の供養になるんだよ」と引っぱっていってくれたよね。
母は天寿を全うする時「パパのおかげで良い人生だったよ」と貴方の手を握り永遠の眠りについた。
思えばこうして二人だけで生活するのは初めての事だね。
よそと順序は逆だけど 四十年目の新婚生活って事にして仲良くやっていきましょう これからもどうぞよろしくネ

金賞 星野 典子 (ほしの のりこ)様 [埼玉県 56歳]

 結婚当初、私は料理本を片手に連日悪戦苦闘していました。材料をそろえ、調味料もきちんと計り、書かれているとおりに作っても、いまひとつ美味しくできない。今思い出しても、憂鬱な新婚生活でした。
 一ヶ月ぐらいたった頃だったでしょうか。偶然あなたが作ってくれた料理は、献立、味付け、盛り付け、すべてに文句なし。そんじょそこらの料理人顔負けでした。聞けば、大学時代から作っていて、一時は海外で日本大使のための料理まで作っていたとか。「それならそうと言ってくれればいいのに!」という私に、「がんばって作っているのに、言ったらかわいそうだと思った」と。
 それから今日まで、私は「食べる人」専門となりました。
 あなたの料理を食べて育った子は今では180センチを超えるまでに成長しました。最近一人で大学生活を送るようになって、時々料理の作り方を聞いてきているようですね。あの子があなたのように美味しい料理ができるようになったら、近い将来また一人、私と同じ幸運な女性が生まれることでしょう。
 いつもは「ごちそうさま」としか言わないけれど、ほんとうに感謝しています。子どもと二人分の「ありがとう」を贈ります。
 ところで、今夜のメニューはなんですか。

金賞 山田 久子(やまだ ひさこ) 様 [埼玉県 60歳]

浩三さん覚えていますか・・・・・
大きなお腹をした私が雨の中を、駅まであなたの傘を持って行った日の事を。
幼い頃に、母親を亡くしたあなたは下校時に雨が降っていても傘を持って来てもらったことがなく、その光景にあこがれを持ち続けていましたね。夕暮れ時、“傘を持って来てくれないか…”という駅からの電話に、“タクシーで帰ってくればいいのに…”と言いかけた私は以前に聞いたその事を思い出したのです。ソロソロと歩いて行ったので三十分以上待ったと思いますがとてもうれしそうに迎えてくれましたね。そして私を駅に残して自転車で帰り、車で迎えに来ましたね。出産を間近に控えていたので頼めるのはこの時しかないと思ったのでしょう。“無理なことを頼んですまない”とあなたはくり返し言っていましたが、喜んでもらえたので私もとてもうれしかったですよ。
あれから三十五年、私が頼みたいこと以上によく気がついて親切にしてもらい大変助かっています。喜んでくれる人がいることは幸せだとよく言っていますが、私も同感です。最近はあなたのやさしさに慣れてしまい感謝の表現がおろそかになっていたと思います。あなたの心遣いにいつも心から感謝しています。 でも休日の朝、もう少し寝るつもりでトイレからもどると布団が片づいていたり、さましておいたつもりのお茶が洗われていたり…私にはとてもできない素早い行動にびっくりです。これからはもう少しのんびりと過して下さい。そして私の作る大好物のコロッケを末永く食べて下さいね。

金賞 藤沢 照子 (ふじさわ てるこ)様 [東京都 76歳]

会社人間の貴方が、突然六時前に帰って来た。
「ママ明日は大事な試験なんだろ。夕食の片づけと子供の面倒みるから勉強しろよ」と言う。資格が欲しくて栄養学を学び始めた私に、明日は実習を兼ねた国家試験。二人の小学生の子は、主人の言うことは何でも聞く。「ママ、ガンバルのよ」と声を揃える。翌日、筆記試験後の料理検定会場で取り出した二本の庖丁はピカピカに研がれていた。「ありがとうあなた。おかげでいい成績で合格しました。」合格証書を胸に抱き、主人にまっさきに見てもらう。一つづつ階段をのぼり、料理教室の教師になれたのも、みなあなたの後押しのおかげとは、互いに解り合っていると思って言えなかった。だけど私が貴方においしいと言ってもらいたくて料理作ってることは十分解ってるよね。

金賞 星野 小夜子 (ほしの さよこ) 様 [千葉県 57歳]

正信さんへ
2006年10月、あなたは突然くも膜下出血で倒れました。7時間にも及ぶ大手術の後も、あなたは生死の境をさまよっていました。ICU(集中治療室)で体中管につながれ、緊迫した日々は続いていました。意識が戻り、やっと右手が動くようになったころ、私はあなたに便せんを渡して言いました。
「私へのメッセージをどうぞ」と。「アイ・ラブ・ユー」とでも書いてくれるのかなと期待していたのに、そこに書いてあったのは一言「だんご」。
次の日の便せんには「草だんご」。あの時、よほど草だんごを食べたかったのでしょうね。それは夫にいつ死が訪れるかもしれないと、はりつめていた私の心に「笑い」と共に希望の光が訪れたのでした。
命のつながったあなたは、忘れてしまったかもしれませんね。でも私にとって、あの「だんご」「草だんご」の文字は、それがミミズのはったような文字であるだけに、私にとってはかけがえのないラブレターなのです。
妻 小夜子より

金賞 田野倉 肇 (たのくら はじめ) 様 [神奈川県 60歳]

32年前、あなたは私との結婚に反対する両親を説き伏せて、聾唖障害者の両親と同居している私のところに来てくれました。
あなたは、はじめての手話や筆談に苦労しながらも両親に明るく笑顔で接してくれました。そんな中で二人の子供を出産し、両親の世話と子供の育児に忙しい日々を送るようになりました。
お酒が飲めないあなたですが、帰りの遅い私の晩酌に毎晩付き合ってくれました。その時間が唯一の夫婦の会話時間であり、会社のこと、家族のこと、将来のことを時間を忘れて話し合い、深夜になることもたびたびでした。
8年前に両親が相次いで他界し、子供も成人した今もあなたとの「晩酌会話」が続いていますが、最近になって気付いたことがあります。それは、「晩酌会話」の半分くらいが会社の話であり、そのほとんどが仕事の愚痴で、私はこの「晩酌会話」によって、仕事のストレスを発散していることに気付きました。あなたも両親の世話や育児でたくさんのストレスがたまっていたはずですが、私の愚痴をいやな顔もせずに聴いてくれました。そのおかげで私はストレスを解消し、会社勤務を続け、定年を迎えることが出来ました。逆にあなたは、ストレスがたまり続けていたかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そこで定年を機会にあなたを全国の32ヶ所の温泉に招待します。32ヶ所の温泉で32年間にたまり続けたストレスを洗い流してください。温泉でストレスを洗い流した後は、夫婦の「晩酌会話」を楽しみましょう。少しだけ会社の話しをしてもいいですか??。
愚痴を聴いてくれる奥様へ
愚痴をこぼす夫より

金賞 藤田 純子 (ふじた じゅんこ) 様 [神奈川県 48歳]

疲れていたり体調がすぐれないと不機嫌になりすぐ貴方に八ツ当り。それでも、どこ吹く風の貴方にまたまた腹を立てるダメな私…。早寝・早起きでA型の几帳面な貴方と遅寝・遅起きでB型の大雑把な私。もう結婚して26年ですね。まだ私が小学生だった頃新任の教師として赴任して来た貴方はすご~く素敵でした。子供達の為に一日一日を精一杯過ごしている貴方を見て「先生のお嫁さんになりたいなぁ~」と思ったのは私一人ではなかったはずです。それでも年の差13才!たんなる憧れで終わるはずが縁とは不思議な物で35才と22才での結婚。亡父は「娘はやらないが、この写真ならくれてやる。」と成人式の時に写真屋さんに飾られた写真を差し出した事も今は笑い話しですね。昨年は無事定年を迎え、本当ならゆっくりして欲しいのですが、長男の大学受験を控えもうひと頑張りして貰っているのが心苦しいです。(本当にそう思ってますよ!!)でもね…ひとつ忘れないで欲しい事は家族全員貴方を大好きだと言う事!貴方がいる夕飯は心がなごみどんな物でも美味しく感じます。これからも末長く宜しくネ!
純子より

金賞 鈴木 省三 (すずき しょうぞう)様 [静岡県 60歳]

昼、お弁当を食べながら。36年もの間、君はお弁当を作ってくれました。お弁当箱はアルマイトやプラスチックなど時の経過とともに変わりましたが、中身の“おいしさ”はいつもいっしょです。ぼくは変わることのない“おいしさ”にいつの間にか慣れてしまい、あることが当然のようになっていました。冬のある日、その“おいしさ”が突然姿を消したことがあります。ぼくはうろたえ、自分自身に―しっかりしろ―と。君は不安げに「行ってくるね」「待ってるからな」。控室の古い週刊誌のページをめくる音が耳ざわりで、息子が「うるさいな」。予定の時間が過ぎても手術室から戻ってきません。ぼくはあのおいしいお弁当を作っている君の笑顔が見たくて、早く早くと祈っていました。
 日差しが穏やかな今日、こうしてお弁当を食べています。今日でお弁当を持つのは最後です。おいしさを噛みしめながら、ぼくは君の作ってくれたお弁当のおかげで心豊かに楽しい日々が送れたことに感謝しています。これからは時々ぼくがお昼ごはんを作るよ。 長い間本当にありがとう。

金賞 井尻 逸也(いじり いつや) 様 [大阪府 73歳]

私が会社をはじめた頃、おまえは一緒に手伝ってくれた。毎朝子供たちを学校へ送り出して、二人で車で事務所に向かうのが常だった。人を入れてもすぐ辞めてしまうし、無人の会社に電話がかかってきたら…といつも気が気でなかったなぁ。
私が外回りの間、おまえは電話番から、帳簿付け、連絡と全部こなしてくれたね。仕事のこと、私の立場、かかえている問題まで全て把握し、見事に内助の功、二人三脚で支えてくれた。あの頃は携帯もワープロもなかった。得意先への書類づくりも、深夜に帰宅してから原稿を渡すと、翌朝にはキチンと整理した、おまえのきれいな手書きのものが出来上がっていた。「わたしはいつでも眠れるから」。といっても大抵は徹夜だった。そして車の助手席では眠っていたね。
<いつでも母ちゃんが居る>…安心して仕事ができたよ。

それにおまえは、子育てと家庭も切り盛り。いつも一足先に家に帰るおまえだったが、仕事のため二人とも居残りの時もあった。お腹をすかしているカギっ子の子供たちへ、途中でハンバーガーを買ったり、必死で家路を急いだね。二人の気持ちはいつも一緒だった。そんな時、おまえの云ったことば---
「わたし、半分はお父さんのために生きているんやから…」
ありがとう!私は熱くこみあげてくるものをこらえ、ただ「うん」と答えるだけだった。
そのあたたかさは忘れたことはない。

そして、背もまるくなったおまえを前に、いま私は、<これからの人生、半分以上はおまえのために生きよう>と心底思っているよ。 本当にありがとう! 出来すぎの母ちゃんへ

金賞 川端 泰三(かわばた たいぞう) 様 [大阪府 66歳]

病院には怖がりの性分なのか、君は診てもらいたくなかったのだろう。
少しまえから、体の不調を口にしていながら。
しかし、その間も症状は治まりを見せず、自分でも不安になってきたのかついに決心をし、たいした病気でないことを祈るような気持ちで願う私と一緒に病院に向かったね。
ほとんど会話を交わす余裕のない2人に、診察結果を知らされるまでの時間はあまりにも長く、病名を告げられた君の落ち込みようは、とてもひどいものだったよ。(むろん、私も)
このままでは本当に病気に負けてしまう。そうはさせてなるものか。なんとしてでも、いつもの陽気で元気な君でいてほしい。
私は君を勇気付け希望を持たせるため、2人で旅行を計画し手元にあった卓上のカウントダウンウォッチに君の見ている前で、出発日を入力したね。
その日から2人で毎日、カウントダウンされる数字を見ては出発までの日にちをおたがいに確認しあったね。
しかし運命とは時に残酷なもので2人の願いは叶うことなく、そのカウントダウンの数字がゼロになるのを見ることなく、君は逝ってしまった。
やがて日にちが経ち、カウントダウンの数字がゼロになり、私は今日、君と約束した旅に、一人で出る。
いつもの旅のように、窓側のシートに目をやってしまう。そこには、うれしそうに微笑み返してくれる、あのやさしい君ではなく、知れない男性が新聞を広げている。
知り合ってから別れが来るまで、私は照れくさくて一度も“愛してるよ”と言葉で言えなかった。ごめんね。“愛してたんだよ”「芙美子」

金賞 後藤 純夫(ごとう すみお) 様 [大阪府 68歳]

この手紙を33回目の結婚記念日に届けます。我儘で自分勝手で、時として、貴方を辛い悲しい目に遭わせた自分を反省し、貴方にゴメンナサイねと伝えたい手紙です。どうか、“嘘に決まっている”と思わないで読んで下さい。最近、私の友人夫婦のいい話二つを聞きました。一つは“面白い人生でした、思い残すことはありません”と言いながら奥さんが亡くなった話です。もう一つは、ある日、“長い間お世話になりました、有難うネ”と言い、それから十日も経たないうちに奥さんが突然亡くなった話です。どちらの友達も、奥さんのことを今でも思い出し、“生きているうちに、あゝもしてやれば良かったなあ”と寂しそうに私に言うのです。
 この話を聞いて以降、いたく反省するようになりました。そして、チョットこそばゆいのだけれど、勇気を出してこの手紙を出そうと思いました。これから先、貴方をほんとに大事にしたいと思いました。30有余年前の私に戻って、貴方を大切にしたいと伝えたいのです。(完)

金賞 浜野 伸二郎(はまの しんじろう) 様 [兵庫県 56歳]

前略、最愛の多鶴子様。
僕達夫婦は今、人生の奥深さを感じる年齢になり、もうひと仕事をと走り続けています。
「二十歳ぐらいまでの命かも」と告げられていた僕は、生きた証を残そうと記念に詩集を発刊。遺稿集のつもりの詩集を、「売り捌いてあげよう」と訪ねて来たのが君でした。
初対面のきらめいていた君は、「顔色が青白く、何処か暗かったから、何となく放っておけなくなった」と、僕を見て思った。
福祉活動を共にするようになった四ヶ月後「あなたの手足は私がするわ」とプロポーズをしてくれてゴールイン。
先天性の病に冒されていた僕は、歩くことも着替えることも全く出来なかった。
そんな僕を、赤子のように抱き風呂に入れて、食事を作り食べさせてもくれました。また、通院や会合、ショッピングも一緒に楽しみました。
だが、僕の“死”の恐怖は夫婦を脅かし、社会の“偏見”と闘い、“生活苦”に涙する日もありましたが、共に生きる糧として、福祉・平和の活動に喜びを見出し、それを僕は詩におまえは短歌に綴り、昨年、真珠婚を迎えられました。
なによりも太陽のおまえに感謝して、金婚式を目標に、これからも宜しく。
草々

金賞 三宅 清 (みやけ きよし)様 [香川県 57歳]

 57歳という中途半端な年齢は、やはり応えた。せめて60歳までと自分でもそう決めていたから。君はそれほど深刻そうでなかった。29年間、頑張ったのだからと言ってくれた。3日もすると胸がしめつけられそうになった。自分は社会から取り残された敗北者に思えた。君は「お父さん、自分をそんなふうに責めないで」と言ってくれた。次の日の朝の食卓に炊き立てのごはんと、目玉焼きと、キャベツのみそ汁と、好物のめざしが並んでいた。それを見た瞬間涙がとまらなかった。君は元気づけようと、リストラされたことを責めもせず黙って用意してくれた。今の自分には、この食事は、ぜいたくすぎるのだ。時給800円でもいいから稼いでから出してくれ。
堂々とおかわりするから。

金賞 竹之内 美知子(たけのうち みちこ) 様 [鹿児島県 75歳]

底冷えのする寒い夜でした。トイレに行きたいと、お父さんに起こされました。「又ね、寒いのに。」と、つい愚痴をこぼしてしまいました。入口で待っていると、体の芯まで冷えてしまいそうでしたが、布団を掛け終ると「ありがとう」と言ってくれましたね。私は寒いーと言いながら布団にもぐり込みました。その時です。肩を震わせながら、「迷惑をかけるね、お母さんがいないと生きていけないよ、好きだよ。」とかすれ声でした。「ごめんなさい、私が悪かったごめんごめん」と、思いきりお父さんに抱きつきましたね。
手助けの必要な視力障害者となった今、お父さんの苦しい不安な毎日、悲しい気持に比べれば、私がしてあげられる事は微微たる事でした。
ほんとうにごめんなさい。
私の大事なだんな様ですもの。これからはしっかり介護してまいります。安心して下さい。50年間愛されているんですもの。
大好きなお父さんへ


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