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杉村楚人冠と石川啄木

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江戸時代に水戸街道の宿場町として栄え、大正時代には文人が集まり、「北の鎌倉」とも呼ばれ白樺派の柳宗悦や志賀直哉ら多くの知識人が居を構え、現在も別荘跡など多くの足跡が残る我孫子市のさわやか千葉県民プラザで行われた新日本歌人協会関東近県集会に参加しました。

一日目の今日「杉村楚人冠と石川啄木」という碓田のぼる先生の講演を聞きました。
内容は全ては書けないのでレジュメのテーマのみ全て紹介します。

北の鎌倉へ

1.啄木と楚人冠との出会い
①<楚特派>のルポ「雪の凶作地}
②朝日歌檀への抜擢
③二人の著書(『七花八裂』と『一握の砂』)の共通序文者
④最晩年の二人の交友、楚人冠日記について

2.「それから」をめぐって
①楚人冠、漱石
②啄木と秋水

3.楚人冠公園句碑「筑波見ゆ 冬晴れの 洪なる空に」をめぐって
①湖畔吟社と俳句
②河村靖山と楚人冠

4.三樹荘物語
①柳宗悦、バーナード・リーチ
②武者小路実篤と「カチカチやま」のこと
③山宣とのつながり

ーーーー

北の鎌倉へ

箇条書きで幾つか紹介します。
新しい話も多いです。
関連文章も紹介します。

・啄木は楚人冠に宛てて3通の手紙を書いているがいずれも親愛の情に溢れている。
・楚人冠は啄木に送った生活カンパで啄木がクロポトキンの「ロシア文学史」を買ったことを怒ったが後に吉田孤羊氏への楚人冠の手紙で啄木らしいと書いている。
・『東京朝日』の一校正部員に過ぎなかった啄木を、いきなり朝日歌壇の選者に抜擢したのは楚人冠であると思われ岩手の農村の窮状をレポートしたことが啄木を選んだ事と関係があるのではないか?
・楚人冠は夏目漱石の「吾輩は猫である」を酷評し、仏教関係でつながりのあった伊藤左千夫の「野菊の墓」評価した。
・楚人冠の『七花八裂』と啄木の『一握の砂』の序文は共に渋川玄耳が書いている。
・(『一握の砂』の方は藪野 椋十 ( やぶの むくじゅう ) という名前になっている)
――
世の中には途法も無い仁(じん)もあるものぢや、歌集の序を書けとある、人もあらうに此の俺に新派の歌集の序を書けとぢや。ああでも無い、かうでも無い、とひねつた末が此んなことに立至るのぢやらう。此の途法も無い処が即ち新の新たる極意かも知れん。
定めしひねくれた歌を詠んであるぢやらうと思ひながら手当り次第に繰り展げた処が、・・・
「一握の砂」序 - 藪野 椋十 ( やぶの むくじゅう )
―――
夏目漱石の「それから」の中に楚人冠の幸徳秋水インタビューの中の言葉の影響を受けたと思われる言葉がある。該当部分を引用する。
漱石は、次のように語る。
――――
平岡はそれから、幸徳秋水と云う社会主義の人を、政府がどんなに恐れているかと云う事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人ずつ昼夜張番をしている。一時は天幕を張って、その中から覗っていた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。万一見失いでもしようものなら非常な事件になる。今本郷に現われた、今神田へ来たと、それからそれへと電話が掛って東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使っている。同じ仲間の飴屋が、大道で飴細工を拵えていると、白服の巡査が、飴の前へ鼻を出して、邪魔になって仕方がない。
 これも代助の耳には、真面目な響を与えなかった。
「やっぱり現代的滑稽の標本じゃないか」と平岡は先刻の批評を繰り返しながら、代助を挑んだ。代助はそうさと笑ったが、この方面にはあまり興味がないのみならず、今日は平生の様に普通の世話話をする気がないので、社会主義の事はそれなりにして置いた。
夏目漱石『それから』1909年
―――
杉村の「幸徳秋水を襲ふ」を引用する。
―――
「九人の同志尽く獄に下つて己れ独り孤塁に拠つた無政府主義の大将幸徳秋水君を試みに平民社に訪ふ、
千駄ヶ谷九百三番地と聞いた許りで八幡知らずの様な町町を尋ね廻つて
やつと其家を探し当ると幸ひに自宅にいたことは居たが大将座敷の真中へ床を取つて寝ている、
 僕の顔を見るなり秋水君づかづかと起きて僕を玄関口迄連れて行く、
おい一寸彼れを見て呉れと指さす所を見れば、
街道を隔てた此家の前の畑の中に天幕が立つて紅白だんだらの幕が下つて居る、
之が巡査の詰所で此処で秋水君の一挙一動来訪者の誰彼尽く見張られて居るのである、
何んでも始めの頃は野天で立番して居たものだが夜中や雨の折が困ると思つてか近頃此の天幕が出来た、
巡査は昼夜の別なく四人掛りの見張通しで、其中二人し此の天幕に、
後の二人は家の後の原の中へ蓙を敷て張番しているとのことだ、
此の巡査の手不足な折柄に一幸徳秋水の為に四人の巡査が掛り切とは余りとしても贅沢すぎる……」

「巡査が尋ねて来る人の姓名を一々誰何する」、幸徳の同志を「尾行をする」、
「同志である車夫の野沢、飴屋を始めた渡邊という友人、高島という書物屋の親父は尾行と親しくなる」。

「此等東京中の注意人物には行幸啓中もある折特に厳重に其の挙動を監視することになつて
必ず一、二名宛の巡査を一人一人につける

『皇室に危害を加へる恐れがあるとでも思つているのだらうが誰がそんな馬鹿な真似をするもんか』
と秋水君は笑つた」
―――

・ 碓田先生は楚人冠の孫の家庭教師をやった。
・ 碓田先生の奥さんのお茶の先生が楚人冠の奥さん
・ 碓田先生の奥さんの父も楚人冠の門下生の自転車で毎朝のように見えていた。
・ 楚人冠日記は朝日新聞の管理で見れないが朝日の重要なポジションにいたので都合の悪い所があったので社外秘にしたのではないか
・ 太宰治は志賀直哉の「灰色の月」に日付けを書いていることを批判しているが多喜二虐殺の事実を紹介する記事を江口換が書いた日付けの後でありその記事を読んだことを表す意味があり太宰治の批判は当たらない。

参考記事

石川啄木の章の壱

楚人冠の章の弐(続き)

杉村楚人冠
すぎむら・そじんかん
【作詞】
和歌山県出身
明治5年(1872年)生
昭和20年(1945年)没
音楽家年表

 福島県鏡石町の岩瀬牧場の朝を描いたとされる「牧場の朝」を作詞する。和歌山県生まれ。朝日新聞社の記者として活躍し、『アサヒグラフ』を創刊させた人物でもあった。
 石川啄木を「朝日歌壇」の選者に推すなど、日本の文芸に造詣が深いことで知られる。

明日は以上出てきた人たちの足跡を追う文学散歩に参加します。


お元気ですか皆さ~ん
今日はこんな所でございます。

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