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愚陀佛庵庵が全壊した

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夏目漱石は俳人としてもいい作品をたくさん残している。

1895年夏から秋にかけての52日間、漱石が下宿していた愚陀佛庵に子規が居候したことをきっかけに、漱石も俳句を始めたとされる。
1階に子規が住み2階に漱石が住んでいたと言う。
「坊ちゃん」もここにいる時の教師体験が原体験だ。

その愚陀佛庵がこのところの西日本の大雨のせいで山崩れがあり全壊したと言う。
大変残念だ。
地元の句会の拠点にもなっていたようであり俳句王国松山の象徴として是非また再建して欲しいと思う。

ところでこの「愚陀佛庵」という名前は漱石の自分の俳号「愚陀佛」から名付けたという説と、子規が「愚陀佛がいる庵」と呼称しているところから、子規が名付けたという説があるようです。
この二つの句からするとやはり漱石の命名だと思う。

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子規には1895年にこんな句もある。

春や昔 十五万石の  城下かな

「愚陀仏」は漱石の号で、愚陀仏庵は1895年、英語教師として松山に赴任した夏目漱石を里帰りした正岡子規が訪ね、52日間一緒に住んだ家。漱石の小説「坊っちゃん」で、主人公が同僚のうらなり先生に紹介された2番目の下宿、萩野家のモデルとされる。1945年に戦災で焼失。82年に今の場所に復元

この愚陀仏庵の他に、放浪の俳人・種田山頭火が終焉の地と定め往生を遂げた一草庵(いっそうあん)。さらに、江戸時代を代表する俳人・栗田樗堂(くりたちょどう)がつくった庚申庵(こうしんあん)があり、松山に根付く俳句の歴史をたどる「三庵めぐり」が人気だそうです。
山頭火を愛する私としてはこちらも興味があります。


 「一草庵」は、自由律俳人、種田山頭火の終焉の場所です。山頭火は、大正15(1926)年、一笠一杖一鉢の行乞行脚の旅を始め、その間、山口県小郡町に「其中庵」、湯田温泉に「風来居」を結びますが行乞を止めず、自然と一体となり、自己に偽らず、自由に一筋の道を詠い続けました。昭和14年(1939)年12月、友人の好意により御幸寺境内に庵住、「一草庵」と名付けられました。在庵10か月、昭和15(1940)年10月11日に永眠。享年59歳。


『一草庵記』  昭和15(1940)年5月
 わが庵は御幸山すそにうづくまり、お宮とお寺とにいだかれてゐる。
 老いてはとかく物に倦みやすく、一人一草の簡素で事足る。
 所詮私の道は私の愚をつらぬくより外にはありえない。
 おちついて死ねさうな草萌ゆるいつか行ってみたいと思います。

参照
愚陀佛庵公式ホームページ
 「一草庵」


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評論:
http://twitter.com/kimihikoootsuru
文学:http://twitter.com/ootsuru

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