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「正岡子規 言葉と生きる」を読んだ

坪内稔典さんの「正岡子規 言葉と生きる」(岩波新書)を読んだ。

3年連続のNHKドラマ化で話題になっている司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」の主人公の秋山兄弟の友人でもある正岡子規が今注目を浴びている。


昨年末に出たばかりの本であり子規の事を今学ぶならこの本がいいと思う。

子規の新しい理解が出来る本だと思う。


子規の人生を、「少年時代」「学生時代」「記者時代」「病床時代」「仰臥時代」の五つに分け子規の言葉を中心に子規研究の第一人者である稔典さんの洒脱な解説が俳句・短歌・文章をバランスよく且つ分り易く述べられている。

『万葉集』の発見―古今集はくだらぬ集
という項では
子規は、『歌よみに与ふる書』にて古今集を「くだらぬ集にて有之候」としました。
そして高い評価を与えたのが「万葉集」だった。
その写実性を高く評価し自らの俳論の形成に大きな影響を受けている。

蕪村の発見―芭蕉に匹敵
という項では

子規の「芭蕉に対して蕪村の俳句は芭蕉に匹敵すべく、或は之に凌駕する処あり」という評価と、「積極的美」「客観的美」「人事的美」「理想的美」「複雑的美」「精細的美」という比較分学論を述べている。
子規は蕪村の絵も高く評価し「応挙呉春等の及ぶ所に非ず」と言った。

子規の句の内最も人口に膾炙しているこの句について稔典さんは他の所でも述べていたがこう考えている。

 柿くえば鐘がなるなり法隆寺
・・・「柿くえば」は「法隆寺の茶店に憩いて」と前書きをつけて松山の新聞「海南新聞」(明治28年11月8日)に載せたが、話題になることはほとんどなかった。ちなみに、この新聞の九月六日号には漱石の句、「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」が載っている。私見では、漱石のこの句が子規の頭のどこかにあり、この句が媒介になって「柿くえば」が出来たと思われる。・・・「柿くえば」の句の誕生はいろいろと漱石の友情に支えられていたようだ。

旅館の女中の証言では法隆寺は実際は東大寺だったようだ。
しかし広い東大寺よりもコンパクトな法隆寺の方が柿に相応しいと感じる。

「俳句」という言葉は意外に思われる方もあるでしょうが、明治20年代に正岡子規が作っ た造語で、「俳諧の発句」を縮めたものです。松尾芭蕉や小林一茶などがやっていたのは 実は「俳諧」であって、まだ当時は「俳句」という言葉はありませんでした。

子規は1967年生まれなので明治の年と年齢が重なる。
明治35年の誕生日の前の9月19日に34歳でなくなっている。

ちなみにこの年の11月に石川啄木は東京に初めて出て来ている。
啄木は子規の事は書き残してないが盟友である漱石の事は評価する文章を書き残している。

子規は多くの人と一緒に事を為すことに長けていた。
子規は身近な素材や庶民の暮らしを句や歌にした。
万葉の庶民の暮らしの中から出た歌を愛した。

この本の最後の行に稔典さんはこう書いている。

子規の骸に「サア、も一遍痛いというてお見」という松山弁に稔典さんは「母の言葉が最後の最後に子規の言葉と響き合った。そういう気がする。」という。

小林多喜二の母が言ったという 「多喜二、立て!皆さんが来てくれているのに・・・」
と響き合うものがある。

今の時代に生きていれば時代の先端を行くクリエーターでありオルガナイザーであった事だろう。

子規が亡くなったのは1902年であり今年で110年目です。


「正岡子規 言葉と生きる」
 坪内稔典著 岩波新書
(新赤版1283)2010年12月17日発売
ISBN:978-4-00-431283-3 C0291
価格:756円



=目次=
・はじめに

・
第一章 少年時代
十二歳までの子規―前文大略
妹の誕生と父の死―国債の償却
筆写を始める―何よりの楽しみ
回覧雑誌の創刊―これは面白いから
漢詩少年―何故か詩歌を好む
政治演説に熱中―近頃演説好に相成
学問勉強して― 一尺の智識を取らん
比較という方法― 一部を見て全部を見ざるの罪
愉快なベースボール―バット一本球一個を生命の如くに
月並の世界―町中の塵をかうぶらんは本意なきこと
言葉と共に―日本語ハ如何ニ改良スベキカ

・
第二章 学生時代
子規という名前―今より十年の生命
立身出世の途―読書して名を挙ぐる
草花・小動物に心を開く―塵を離れし心地
簡単な文章は最良の文章― minor image
三種類の友人―余は交際を好む
畏友・漱石―原因と結果とを御間違へ被成ぬやう
言葉の広い海―これでは雨天ねへ
学生俳人の登場―桑の実は寝覚蕎麦より旨い
月並の打破―果報なる鳥

・
第三章 記者時代
芭蕉批判―寥々晨星の如し
文学上の芭蕉―文学上の破天荒
『小日本』の子規―月の都へ帰り候
写生の始まり―稲こく女
文学への集中―孤立と自立
俳句原論―美の標準

・
第四章 病床時代
褥に臥す―新体詩の詩人として
遊戯の中心―「松羅玉液」の文章
―題十句―夏帽の人
吾れ最も此物を愛す―大好きな柿
碧梧桐と虚子―吾が命二人の手に
蕪村の発見―芭蕉に匹敵
病気の日常―荷物ぬらすな風引くな
『万葉集』の発見―古今集はくだらぬ集
短歌の広がり―われは
近づく死―月給四十円
子規の宇宙―草花は我が命
座談の場―オイデクダサレ
『ホトトギス』の文章運動―何にでも応用
共に楽しむ―食はずに帰る客はいやいや

・
第五章 仰臥時代
新しい文章の形式―墨汁一滴
転換と客観―痛いことも痛いが
自分を見る眼―病中の鬱さ晴らし
「仰臥漫録」の天地―牛乳一合コゝア入
二通の手紙―僕ハモーダメニ
「病床六尺」の世界―余には広すぎる
子規の夢― 一家の団欒
死に近いころ―造化の秘密
最後の言葉の世界―病気を感じ無い
死後の子規―糸瓜咲て

・おわりに
・正岡子規略年譜


ご参考
弊ブログ内正岡子規検索結果(約541件)

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