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水野昌雄さんの「続・歴史の中の短歌」の<短歌と中高年の問題>を読んだ。
還暦を迎え自分が中高年と言われる年代となりこの種のテーマの歌論を今までになく切実に読んだ。
ほぼ20年から30年前の文章だがこの問題は今の方がより切実性を増しているかもしれない。
具体的なデータを挙げての立論は他の追随を許さないものがある。
この歌論集の中には珠玉の名文章が沢山ある。
それに触れれば歌詠みならずとも納得するところ大であろう。

先日たまたまある病院の先生から「短歌療法」についての話があった。
少し関わって行く事になるかもしれないので直接それに関係する所を抜き書きしておこう。


「寝たきり」になることよりもボケることを恐れるという。それは「寝たきり」とちがって、「ボケの方は時間的にも空間的にも認知機能を失い、周囲の人々との相互関係もわからなくなって、迷惑など意に介さなくなるという状態、つまり自己を喪失しながら家族を破滅に追い込むという、無責任な状態に落ち入ることが恐いからである。」というのである。なるほどよく判る気がする。ボケることがその家族たちにどんな苦痛を強いるものか、ボケない前にはそれがよく判るだけに恐れとなっているのである。死ぬこと自体はもはや恐れることもなく、ボケることの方が恐ろしいというところに、現代的死生観の特色を見ないわけにはいかない。

ボケないためにどうするか。その防止に役立つものとして、短歌や俳句への関心が寄せられていると暉峻氏は記している。NHKの寄せられる投稿作品うち毎週かならず二、三通はボケよけにはじめたことがつけ加えられているという。そういえば東京医科歯科大学精神医学教室では「詩歌療法」というのが用いられていることが新聞に出ていたが、「絵画療法」「音楽療法」と並んでさまざまな芸術が心身の健康を保つために活用されているのである。これは芸術の効用をおとしめるものではなく、芸術のもっとも本来的な大切な要素といっていいだろう。(p58)

しばしば短歌や俳句が老人のボケ防止に役立つといわれる。確かに脳の働きを活発にするためには有効なのであろうけれども、ボケ防止の為に創るというだけでは長続きは難しいはずである。労境の孤独を救うものとして短歌があり、自己の表現活動の積極的意味を実感した時に持続できるのではあるまいか。
(p65)

この本では多くの立論がる。
少し立論の根拠となったデータの整理をしておこう。
(立論そのものは本を読んで頂くとして)

短歌人
50代以上 88%
60代以上 66%
20代2%
(短歌研究社版の1989年度年鑑のアンケート)

従属人口指数(生産年齢人口に対する生産しない人たち)は1920年と1970年とはあまり変化がない(59年後の2020年になると三倍近くになるが)

訪問看護婦の数はデンマークの何十万分の一
(日本では平均以上の岐阜県池田町の場合)(映画「安心して老いるために」)

この30年間に家族構成が平均5人から3人弱に減少
この30年間に主婦の就労は三倍以上に増加

65歳以上になると男性の役90%には配偶者がいるが女性には50%しか配偶者がいなくなる

平均寿命 男75歳 女81歳


少し目についた文章を紹介しておきましょう。

文芸というものが人間として不足しているものをおぎなうためにあるとすれば、今日の歌壇の高齢化傾向は、それだけ現実の高齢者の人々の生活が不当に歪められている証明なのである。(p46)

功利的な社会からしめ出された老年期が人間らしい存在を主張して行くためには、意欲的・積極的な生き方を必要とするのである。そして、短歌創造のために「つねに新鮮なるセンスに生き、絶えることのない情熱」をかきたててゆくことが求められているのである。(p48)

こうした「青春の歌」という場合、大きくわけるなら二つのテーマにおいてその特色がうかがえるように思われる。その一つは情愛をテーマにした場合である。(p48)

老いの青春歌は鎮魂歌としてはじめて形をあらわすということなのだろうか(p52)

結局は老いの青春歌とは、その人なりの生き方の徹底から生まれる。(p53)

「<老い>と青春歌」というテーマは、ひとりひとりに楽しく老いることの大切さを示すとともに、現代短歌が文学としての生命力を持つ大切さを示しているように思われるのだ。(p54)

我々が孤独を超えることができるのはその呼び掛けに応える自己の表現活動においてのほかない。
表現することは物を救うことであり、物を救うことによって自己を救うことである。(三木清人生論ノート)
ここでいう「物」とは、自己をとり囲むもろもろのものをさしているのであるが、短歌の表現行為の意味も説明しているように思ったことである。(p65)

与謝野晶子が「乱れ髪」で性を率直に歌いあげるまでに明治維新以後30年の歳月を必要としたように、社会的変動とその作品化の間には熟成期間が必要なのであろう。老年期の愛と性の歌はこれからなのだ。(p74)

生あるかぎり、青春を希求して勇気を持って夢を見続けてゆくことが大切なのであろう。短歌はそのひとつの支えなのである。(p88)

引用された歌を幾つか紹介しよう。

徴兵は命かけてもはばむべし母祖母おみな牢にも満つるとも  石井百代(朝日歌壇)
まつはただ意志あるのみの今日なれど眼つぶればまぶたの重し 窪田空穂(亡くなる四日前)
かくひとり老いかがまりて、ひとみなの憎む日はやく 到りけるかも 釈迢空(遺稿)
胸底に死おばひそめて相逢ふ一人二人と笑顔忘れじ  河野愛子
何が食ひたいと言はれて答容易ならず食ひたいと思ふ物がないのだ  土屋文明
茣蓙敷きて付添人の丸寝するねむりに<短歌>などは来るな  斎藤史
老が恋忘れんとすれば時雨かな  与謝蕪村
内視鏡呑みたる喉のしびれつつわれは美人のとなりに座する  竹山広
世のつねの人ではなく、愛はかなしくあなたはひとりの作家だった  太田治子
半身付随の私を今日まで支えてきた ひとつの小さな凡俗の愛  佐々木妙二
反戦苦の一生思えと現もなお夜半に噴くきみがタバコ火  山田あき
新しき一年をまた迎えたり ともに青春の日にかえるべし  土岐善麿
土岐さんがしみじみ言った 長生きはするな一人ぼっちになってしまうぞ  穂曽谷秀雄
ひとみなよ死を恐れるなイヤがるな死にたくなるまで長生きをせよ  岡本文弥(新内)
青春は再びは来ないと嘆くけれど 老年だって二度とは来ないのだ  市来勉
忌まはしき夢をまた見つ夢ぐらゐせめて楽しきを見せて下され  大悟法利雄

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