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第四回三郷早稲田平和の集いに参加しました。

被災して三郷に逃げて来て居られる中里さんと被爆者の川口さんのお話しを紹介します。

中里さんのお話と川口さん(元看護婦で吉川市在住) のお話

中里さんのお話

大震災後南相馬市小高から土地勘のある三郷市に逃げてきた
最後の職場が松戸市で三郷の早稲田 7丁目の公団に住んでいた。
(その後終の住処の積りで小高に引っ越したのだが)
先日年金者組合24人で自宅まで訪問してくれたが放射線量が5-6マイクロシーベルトで逃げるように帰って来たと言われていた。
今年の4・16から小高には入ってもいいが泊まってはいけないという事になった
私のように現在逃げている方は16万人いる。
被災者の状況が報道されなくなった。
牛が骨になっていたという話あり
職が無いのでおじいちゃんおばあちゃんが藤岡で孫は宮城とか別れ住むケースが多い。
仮設住宅に救急車が来ることが多くなったと聞いた。
(友人の仮設に泊まったが遺骨が二つあった。)

除染のやり方も解ってない。
賠償金を払わないために政府は帰ってもいいと言うだろう。
しかし地下水を使い水道が引かれてないところが多い。
水の安全は保証されない。
川の除染は検討もされてない。
山の除染をやる為には木を切らなければならないし、その木をどうするのか
水田の土を削ったら米は出来なくなる。

原発は人間と共生出来ない。

提案
電気を買うのを極力抑えよう
アンペアダウンしよう
昼1時から4時までテレビはやめたらどうか

昨日の東京新聞に人間は言葉では1割しか表現出来ないと書いていたが被災者は9割を体にためこんでいることを理解して欲しい。
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川口さん(元看護婦で吉川市在住) のお話
20歳の時に爆心地から700mの所で被曝し長崎大学医学部付属病院で永井博士と一生に被爆者の救済をした。
原爆が落ちた時は事務をしていたので直撃弾かと思った。
助かったのは小さな部屋の中にいたので遮蔽物があったからかもしれない。

被曝直後看護婦も元気なものは半分位だった。
元気な人は山の上に運び体調の悪い人は防空壕に運んだがその多くは亡くなった。
永井先生に君は内科の人間だろうみんな山の上に行ったよと言われたが一人患者が残っていたので探して救出した。
3日目に家に帰ったが体調が悪くなりまるまる1週間前後不覚で寝込んだ。
宿舎に居た看護婦は全員死んだ。

永井先生は泊まり込みで働いていた。
永井さんと一緒に働いていた久松さんという看護婦さんが後日亡くなった。
永井博士の居た如己堂にその後通うようになった。

その後は幸い長い間元気に暮らして来た。
もう二度とあんな目には会いたくないです。

埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)から上野さん他一名の同席もありました。

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ご参考
2010年
小さな平和の集い


以上です。
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陸前高田戸羽市長のご了解を得て奇跡の一本松から作られた三体の仏像の写真を表紙に使わせて頂いてます。
あれから1年−私たちの震災歌集
Jpeg

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