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今夜行われました現代短歌研究会 「続・歴史の中の短歌 」水野 昌雄 (著) )(生活ジャーナル)近代短歌史の問題(175−268)のレポートです

それぞれの章のタイトルはこうです
短歌と風土
短歌と神話
短歌と旅
短歌と子供
短歌の夫と妻
新興短歌運動史の問題
短歌 1930年代
「短歌研究」(昭和十七年一月号)をめぐって

少し印象に残った部分を紹介します。

短歌と風土
[自然を歌うことが中世の歌人の場合には「生活を風雅のために挙げて捧げねばならぬ」(風巻景次郎)というものであったのに対していえば、生活を守ってゆくために自然を歌わねばならぬということになるであろう。現代短歌にとって自然や風土は逃避なのではなく、人間らしさを守るとりでなのである」]

短歌と神話
土岐善麿 の「歴史の中の生活者」と「額田抄」が紹介されているがこの中で善麿は自分の歌を作者不詳として紹介している。
「歴史の中の生活者」のあとがきにはトリビアリズムの脱却と作者が「歴史の中の生活者」となる意気と覚悟を持たねばならぬと書いている。
現代短歌批判として今日も有効である。

短歌と旅
西行・旅には西行・芭蕉のいうような人生探求の旅と、娯楽の旅の二通りがあると言われる。
しかし、近代・現代短歌においては人生探求とも娯楽とも分けられぬ。

短歌と子供
紹介されているのは、土佐日記、山上憶良、良寛、橘曙覧、伊藤左千夫、石川啄木、木下利玄、松村英一、古泉千樫、江口渙、後藤美代子、土屋文明、
そして森山晴美、河野裕子、福留フク子などの現代歌人。
一首だけ紹介しよう。

国防を言ふならば言へ先づ経ちてその子を狩れよみづからの子を
三国玲子

短歌の夫と妻
「夫婦の交わりは沢庵でお茶漬けを食べるようなもの」と言われて夫婦が「色事を為すは人類の一大義務」とも言われている。
ありふれた日常的な私的なものでありつつ、人類国家的な公的な面も備えたものが夫婦。
与謝野晶子は若さを保つ条件として、芸術に関心をもつことと、働くことの二つをあげているが、働く妻の登場は短歌の分野における平等化を広げている。
昭和16年の歌にこういうものがあった。

わが縫いし肌着も夫の血に染みて裂けて居らぬか征かしめしのち
森岡貞香

戦後にはこういう歌が出る

いたましく夫と妻とを引き裂きて戦ふ国は滅べと思ふ
守下寅尾

新興短歌運動史の問題

坪野鉄久は「昭和秀歌」の中で昭和短歌の問題にすべき点として次の四つをあげていた。
1.新興歌人連盟、無産者歌人連盟以降の短歌革新運動とそれらの作品群
2.「新風十人」の持つ詩情の分析
3.戦場詠に見られる戦争と人間の関係
4.戦後の民主化運動と短歌の位相

この分析がもっと必要と水野さんは言っているのだろう。

短歌 1930年代
定型か非定型かということよりも「肝要なのは、作品に対して、それが時代の客観的現実をどれだけ正しく芸術的に反映しているか」である。
森山啓「短歌評論」(1932年10月号)

「短歌研究」(昭和十七年一月号)をめぐって
昭和16年12月8日の太平洋戦争開戦を迎えて急遽なされた特集で20名の有名歌人が歌を寄せている。

土岐善麿はこんな歌を寄せている。

撃てと宣らす大詔遂に下れり撃ちてしやまむ海に陸に空に

水野さんはこうまとめる。

「これを悪夢のようにいうのは何ともしっくりしない。悪夢なのではなくしてそれぞれの作者の本質の一面としてとらえるべきなのではないかと思われる。そして政治というものがそれぞれの生活のすべてをとりまくものであることを認識する方がこれらの作品の今日的反省に役立つのではあるまいか」

この論考の最後の一行はこれである。

「「短歌研究」の古い雑誌一冊をめくりながら考えさせられることはなお多多である。」

深く現代短歌史を学びたい。

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