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私は現在六十一歳になる。
その私に影響を与えた師と詩がある。
師とは中学一年の道徳の野田先生、詩とは戦没学徒の詩集「きけわだつみのこえ」の中にある【夜の春雷】という詩である。
私が中学一年十五歳の時だから四十六年前ということになるが野田先生が道徳の副教材を作るというので何人かに自分の家に来て詩を朗読して欲しいという。
私は自分では名乗り出なかったが「お前は声がいい」ので来いと言われ行くことになった。
他の先生に英語の発音がいいと褒められたのが英語好きになった理由であり、高校・大学でESSに入り会社に入っても海外関係の仕事をするようになった一言であったと同じようにこの「お前は声がいい」は私の考え方の基礎を作ってくれたように思う。

結局夏休み一夏野田先生の家に通い詩を朗読し、いろんな事を教えて貰った。
覚えている事の一つは写真を見せられこれは誰か知ってるか?と言われ即座に佐藤栄作と答えたらそれは岸信介だった。
多分戦前の内閣の写真だったのだろうと思う。

幾つかの詩の中で断片的に覚えているのは【夜の春雷】という戦没学徒の詩だ。
長江というのは学校で習う揚子江の事だと知った。
繰り返し出てくる「はげしい夜の春雷である。」という繰り返しの言葉が、これが詩なのだと思った。
野田先生は破天荒な先生だった。
そして「自分は偉くならない先生だ」と言っていた。
その意味はよくわからなかった。

ある日選挙の時に私の家の前を選挙カーが通った。
その声は野田先生だったと思う。
野田先生と思われるその声は「ニホンキョウサントー」に投票をと言っていた。

大学で学生寮自治会運動や学生自治会運動を行い、伴侶もその中で得た。
会社でも組合運動を少し行い、社会変革を望む自立した個人であろうとし、仕事の中でも公平・公正を貫いてきた。
現在は、社会変革に繋がるであろう諸活動に参加し、啄木を継承する短歌運動に参加しつつ、管理組合運動等地域の活動にも取り組んでいる。

私は今度の参議院選挙で「ニホンキョウサントー」に投票する。
野田先生が支持を訴えた党に、、、

そして私は短歌を作り続ける。
【夜の春雷】が教えてくれた詩精神を学びながら、、、

【夜の春雷】

はげしい夜の春雷である。
鉄板を打つ青白い電光の中に
俺はひとりの石像のように立ってゐる。

永い戦いを終へて
いま俺達は三月の長江を下ってゐる
しかし、荒涼たる冬の予南平野に
十名にあまる戦友を埋めてしまったのだ。
彼等はみなよく戦ひ抜き
天皇陛下万歳を叫んで息絶えた。
つめたい黄塵の吹すさぶ中に
彼等を運ぶ俺たちも疲れはててゐた。
新しく掘りかへされた土の上に
俺達の捧げる最后の敬礼は悲しかった。
共に氷りついた飯を食ひ
氷片の流れる川をわたり
吹雪の山脈を越えて頑敵と戦ひ
今日まで前進しつづけた友を
今敵中の土の中に埋めてしまったのだ。
はげしい夜の春雷である。
ごうごうたる雷鳴の中から
今俺は彼等の声を聞いてゐる。
荒天の日々
俺はよくあの堀り返された土のことを考へた。
敵中にのこしてきた彼等のことを思い出した。
空間に人の言葉とは思へない
流血にこもった喘ぐ言葉を
俺はもう幾度きいたことだらう。
悲しい護国の鬼たちよ!
すさまじい夜の春雷の中に
君達はまた銃剣を執り
遠ざかる俺達を呼んでゐるのだらうか。
ある者は脳髄を射ち割られ
ある者は胸部を射ち抜かれて
よろめき叫ぶ君達の声は
どろどろと俺の胸を打ち
ぴたぴたと冷たいものを額に通はせる。
黒い夜の貨物船上に
かなしい歴史は空から降る。
明るい三月の曙のまだ来ぬ中に
夜の春雷よ、遠くへかへれ。
友を拉して遠くへかへれ。

     1941年3月10日 予南作戦後 長江上にて

【夜の春雷】
朗読 渥美清
http://youtu.be/oXwjHLnJenU

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