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2013年11月20日 (水)

鮫と「俳句の論理」

鮫の例句を探していたらこういう文章にぶつかった。

質の俳句論
俳句の論理
阿部完市 
  

「俳句」に於て行われる論理を次の三つに分けて論じている。
 一・知的論理、ニ・感情の論理、三・感覚(感性)の論理。
ーー
歌はことわるものにあらず,調ぶるものなり(「随所師説」)

江戸時代後期の歌人香川景樹はそう言っている。
俳句に於いては「ことわるものにあらず」度は短歌より高いだろう。
 
実は私の「鮫、俳句」の検索対象になっていたのはこの句だった。

梅咲いて庭中に青鮫が来ている   兜太

理りを述べない句としては代表的かもしれない。

以下紹介です。


絶対本質の俳句論


         俳句の論理


                阿部完市     邑書林

***********************************

 私は、「俳句」に於て行われる論理にとりあえず三種類を考えている。 一・
知的論理、ニ・感情の論理、三・感覚(感性)の論理。

 一の知的論理。いわば日常レベルに於ける論理、事務取扱的論理のことで、A
という言葉は直接単一のA’という意味を指示する。AとA’とは全く一体であ
って違わない。いつも例外的な結びつきはしない。だから、科学的といわれた
り、普通論理的と言われる時、また言われた時、言われねばならぬ時、このよう
に(知的)論理が使われる。 言葉とその指示するものとが、つねに一対一に結
びついていて、言葉とその意味に於けるそれは、いわば全く「静的・静態的」で
ある。 先に上げたヽ川柳ヽ道歌ヽ標語――五七五に於てあらわれた「論理」
も、この「知的論理」にあたると考える。

(中略)
 
「知的論理」は、日常というわれわれの生活の大部分が関わっているところに確
実にある人間精神の重大な一機能であると思っている。 しかし、「知的論理」
は「俳句」生成、成就の場に於ては、まずは不必要なものである。「……そんな
ことがありますか。人形が空を飛びますか」とか、「夜の太陽なんて……馬鹿馬
鹿しい」とか、「鯉が空に棲むわけないでしょ。あっ、鯉のぼりか。それじゃ言
葉の使い方が違う」などという阿呆らしい意見開陳など、未だに時に顔を出す。
   梅咲いて庭中に青鮫が来ている   兜太の句の評に「梅の咲いている庭
に鮫が出てくるわけないでしょ」という評があった。この評が「知的論理」の欠
陥を端的に示している。 「知的論理」の操作を絶対に拒否しなければ、「俳
句」は決して出現しない。「表現」するということを、一句成就とする「俳句」
は、この論法――知的論理を拒絶する。くどくど言いすぎるけれども、このこと
はまだ「俳句」から完全に分離されてはいない。

(中略)

次に感情の論理について考える。
「時雨」の句をみてゆきたい。

世々ふるもさらに時雨のやどりかな    後村上院 
雲はなを定めある世のしぐれかな     心敬 
世にふるもさらに時雨のやどりかな    宗祗 
世にふるもさらに宗祗のやどりかな    芭蕉    
芭蕉忌 
時雨の身いはば髭なき宗祗かな      素堂 
世にふるはさらにばせをの時雨哉     士朗    
宗祇のしぐれ、芭蕉の宗祗、青流の剃髪 
世にふるもさらに祗空のやどり哉      淡々

(中略)
  
「時雨」の句を、長長と例示してきたが、その天然現象・自然さを離れたところ
に確定、確立されてしまった「中世無常観」に継続した観念の発生、固定。また
「時雨」という言葉が、季語というある一定の構えの下に使用されたことなど、
「時雨」がわれわれの血流の中に、「集合的無意識」となりおおせてしまった、
と考えねばならぬこと。 一句一句つくって行って、いつも同じような感情の色
彩、匂いのなかにすとんと落ちてしまうこと―――感情論理を辿ること、その結
末としていつも同じような情緒、情念に一致―――悪しき一致――してしまうこ
と。これを私は「俳句」の変化、新しい「俳句」への、「俳句」の生成ヘの障害
と考える。 

(中略)

私は、感情の論理による作品の内側に、明瞭に通底している近代俳句――近代主
義的、論理的、合理的作品を現代俳句とは思わず、また「私の・俳句」の理想に
はしないことを、言った。
 俳句にかかわりながら、近代、近代性、近代合理主義について言わねばなら
ぬ。
 近代合理主義は、その思いの中核に、またその思考の根もとに「合理」という
ものをつねに用意している。理屈に合わないものは、これを排除する。見たも
の、聴いたもの、体験したもの―――見え、きこえ、「今まで」として体験し得
るもの、認識し得るもの―――これ以外は、合理の埓外として排除する。認識し
切り得るもの以外のものは、これを一気に排除する。言ってみれば、もっとも詩
的でないもの――なるべく詩でないものを希求する。
 詩という、いわば不合理、非合理、反合理、非実は、確実にこれを否定し、自
らの外に置くべく努力する。
 合理的で、理屈に合わなければならぬと言い、それ以外のものは認めないと決
定すること――近代合理主義は、それゆえに本質的に「詩」というものと対決す
る。俳句は、まぎれもなく「詩」の――、あるいは一介の詩である。

 山本健吉は、「詩は聴者の胸に一つの波を立てることが出来れば、あとは流れ
去つて忘却の淵に沈むことをもつて本懐とする。だが俳句が希ふものは流れ去る
波ではない、もつと実質的なもの、一つの認識の刻印である」(昭27『純粋俳
句』)と述べている。
 私は「俳句は完結してはならぬ」と考えている。しかし、同時に「俳句は完結
感を具有していなければならぬ」と思っている。
 山本は、「実体的なもの」、一つの「認識の刻印」を俳句―――といわれるも
の―――に要求している。
 しかし、この山本の謂う認識の刻印は、私に言わせれば、これまで私が述べて
来た「感情の論理」に合同するものであっては決してならぬ。
 山本の「認識の刻印」が「感情の論理」と一致するとき、それは一種の近代論
理―――非詩的論理に墜落したことになると私は思う。「もっと実体的」なもの
が、知的論理、感情論理に一致してしまつたとき、そこに私の謂う「俳句」は出
現せず、決して存在するようにはならぬ。
 山本は「詩は聴者の胸に一つの波を立てることが出来れば」と言っているが、
私はこの波の「実在感」――一波ありたりという確かな手応え――を「完結感」
と言いたいと思う。
 「認識の刻印」――認識という、いわば完全に解釈し、自己嚢中のものとする
というところまでは欲しない、あるいは欲し得ないが、しかし何かが確かに在る
――言い得て何か存在せしめたという実感――完結感。その存在を私は「俳句存
在」ということと考える。さらに言い換えれば、山本の謂う「聴者の胸に一つの
波を立てることが出来」――そしてそれが確かに感取し得る、実感できるなら
ば、それは俳句であるとする。「認識の刻印」という、より理論的、理知的な把
握実感よりも、「不確実」という確実・実感の方を私はより「俳句」と思う。こ
の確かには何もない、しかし何かは確在すること・実在感の存在を、私は「より
現代俳句」の重さと謂う。
 感情の論理に陥ってしまっては、認識の刻印を強制されたとき、そこにはより
「近代俳句」の合理的、理知的合点がみえる。それは、「現代俳句」ではない。

 (感覚)といわれるものは、より理解・解釈しない段階のものであろう。より
直感であって、それを分析、統合してよく合点してしまう以前の段階の物・事で
あろう。理解し、説明する以前に納得する――胸に落ちること。

 私は「直感読み」を謂う。ぴんとくるか来ないか。その一句一句が「わかる」
「わからない」という鑑賞者の判断以前に、突然その一句が胸に落ちる――納得
する。その一句を「理」以前の 「私」に相対せしめること――それが「直感読
み」であり、それが俳句一句を「読む」ことと私は思う。

   帚木に影といふものありにけり   虚子

 もし「わかる」「解釈する」ということを先にすれば、この一句「何というこ
とはない。ただ帚木・帚草に影というものがありまする」という、ただそれだけ
のこと。しかし、この一句は私を「いきなり」うち、たたき、直感せしめ、よし
と思わせてしまう。私は、「といふものありにけり」の音の流れ、その早さ、そ
の一筋さ、真直さが、私にこの一句を直感させ「よし」の感を与える
のだと思いこんでいる。また諸諸の「帚木」歌伝説、諸説によって、さらに読め
ばさらに深く広く物思わされるけれども、それよりもさらに一歩も二歩もさきに
「直感」が、一句からの「いきなり」のよろこびを私にもたらす。

   梅咲いて庭中に青鮫が来ている   兜太

 人は、これを可といい、また不可という。これを不可とする人たちは、この一
句を解釈しようとする。自分に解説をほどこそうとする。一軒の家の庭にいっぱ
い青鮫なんか来るはずがないという。物理的・科学的な理屈を言い立ててこの一
句を退ける。また、梅の風流と青鮫は似合わない、などと言って反対する。ある
いは、好悪の感情的反応をむき出しにしていきなり排除する。
 しかし、私はこの一句を読み了って、まずぴんとくる――佳いと思う。そし
て、その感じ方―――読み方というより―――がよい。

(中略)

 理屈でなくて、どこか「今まで」に落ちてしまうのでなくて、直感で一句を作
り、鑑賞するときに最もふさわしい条件として、短いことが言えると思う。
 いろいろ言わず、語り了えないで「短」いこと――それが俳句に於てもっとも
よく表れる。古代歌謡から、あるいは万葉集の長歌、旋頭歌、仏足跡歌、反歌―
―そして和歌、という日本の詩は、その音数を短縮して、ついに俳句・十七音に
到達した。
 そして、この「短」い俳句は、その物言えぬことを逆手にとって、より大きく
より広い物事を述べるように努め、それはかなりの程度に成功した。
 その十七音に、その時・今――自己を燃焼、私にかけがえのない一瞬、何より
の自己瞬発――を最大限に表出しようとするとき、作者はあるいは十七音では
「述べられぬ」と思う。そしてまた、より多く言いたいという作者の俳句意欲
を、どこかでまた何時か「切って」 一句を仕上げる。仕立て上げるかを決断し
なければならない。このように「俳句」 一句を作すことの、ほとんどすべての
努力は、どこで、何を、何時、「切る」か、という――作句意志の勁さに示され
る。
 俳句は、この意味で作句意志による切断あるいは最も決断の詩であるはずであ
る。十七音以上の短小化は、ついに自己表現の不可能であることを視つめて、そ
の十七音という最小に自分を賭けること、その十七音一句を自己決定する、その
ときの意志が作句ということである。述べるのでも、考えつづけるのでも、書き
つづけるのでもなく、遂にそこで「切る」ことが一句生成、成就ということ。自
己の思いの連続を自己に強制して「切断」すること。
 一句は、実は全く「言い了える」ことはない。一句は、わが思いの方向、わが
思念の志向をのみ提示する。方向のみ、志向のみであるから、わが思いは終ら
ず、わが思いはより多方向に、つよく広がり止むことがない。鑑賞者は、一句に
よって―――作者が決断したその意志による十七音という「短」さそれゆえの示
す志向、方向の保証の下により想わされ、直感させられる。
 一句言い了えている、と思わせる「完結感」は、俳句には絶対に在らねばなら
ぬものであつても、真実「終り」「言い了える」ということは、俳句という切
断、決断の詩に於ては絶対にあってはならぬ。「完結感」が在らしめられ、そし
て絶対に「完結」して在ってはならぬのが一句・俳句である。
 「短」という一特性を極限にまで詩に於て顕現し、またそれを生命としたのが
「俳句」。そして、その短さゆえの方向、志向性を特定した詩――俳句。

(後略)

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