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沖縄県知事選挙での現職陣営のえげつないポスターの記事の関係でfacebook友達の小幡勉さんから我が
facebookに重要な論考を二つ頂いた。

どちらも言葉についてで一つは「保守」「革新」もう一つは「共産党」についてです。
考えるヒントがあると思いますので御了解を頂いてブログに掲載します。

ご意見をお寄せ下さい。


①「保守」「革新」という枠組みは、もうやめたほうがよいと思いますが如何でしょうか。

その理由は、違憲の日米軍事同盟が日本の政治・経済・文化、社会・伝統をどんどん変えていってしまいました。それを「保守」するのは自民党政権ではありませんよね。日米軍事同盟の廃棄を主張している、「革新」と言われている共産党が「保守」の典型ではないでしょうか?

安倍首相派の「保守」論は、大東亜戦争を正当化し、憲法を否定する違憲の日米軍事同盟を深化させるために自衛隊を海外に派兵して武力行使を可能にする、彼らの言い分を使えば憲法の岩盤規制を緩和させる「革新」派と言えます。

戦前昭和維新を叫んだ「革新」派がとんでもない国家主義者であったことは明らかです。現在の安倍首相派は、この思想を継承して、「保守」しようとしているのではないでしょうか?

戦前、本当の愛国者が共産主義者であったように、また日米軍事同盟廃棄を掲げている憲法活かす派が、本当の愛国主義者であるように、今や、本当の「保守主義者」とは誰のことを言っているのか、ハッキリしてきたのではないでしょうか?そういう意味では、今や。「保守」「革新」という名前の本質は、完全に入れ替わってしまいました。

そういう意味では、違憲の日米軍事同盟と侵略戦争であった大東亜戦争を正当化する「憲法否定派」か、侵略戦争の反省の上に制定された憲法平和主義を日本に活かしていく派か、という枠組みが相応しいのではないでしょうか?

そうすれば、陳腐な、古臭い「共産党」論、日本共産党の親戚であるとされている中国共産党の『脅威』論」などは入る余地はなくなってくるのではありませんか?いかがでしょうか?

「保守」「革新」についての議論は我々の市民グループでもしていて私は安易に保守と革新と言って批判されている方です。他にうまい言い方があればと思います
という私のコメントに対し小幡さんからは

私は憲法活かす派か、憲法否定派か、という枠組みが、現在の情勢に、というか、戦後の枠組みに必要な枠組みだったと思っています。特に憲法改悪の動きが活発になってきて、「護憲」という言葉、「九条を守れ」という言葉と改憲派の主張がかみ合っていないことに気づいてから、特に

今は原発の問題が大きくなっているので私は憲法だけでは括れないと思います。「民主主義かファッショか」というのもありかな?

という私のコメントに対し小幡さんからは

「大津留さん、原発の問題こそ、憲法の人権尊重主義を使って再稼働を止めさせることができるのでは? 米軍基地の騒音公害を裁いた横浜地裁、原発の環境問題を裁いた福井地裁、原発事故によって自殺を余儀なくされた被害者の人間の尊厳を認めた福島地裁などは、憲法をものさしにしているのでは? 原発が、国民の持っているあらゆる権利を侵害していることを明らかにして、憲法の人権論を使ってたたかうことが大切ではないでしょうか?

ごもっともだと思います。
皆さんはいかがお考えでしょうか?


②、

もう一つあります。申し訳ありません。それは、「共産党」という「日本語」についてです。私は、「共産党」の「党名」については、以下のように考えています。


戦前の不屈なたたかいを確認したうえで、「コミュユニストパーティ」、最近は「JCP」と略されていますが、その「C」に当たる部分については、訳語の仕方と内容を発展させる時だと考えています。

そもそも、この「C」を「共産党」と訳したのは、幸徳秋水と堺利彦と言われています。もう100年以上も前の話です。それを漢字文化圏の中国も使ったのですよね。共産党結党は中国の方が少し早いのですが。外国では「共産党」とは表記していないと思いますの、これは漢字文化圏の日本と中国だけの使用かと思います。そこで、

私は、「コミュ」=「共同」論を徹底していくことは「民主主義」を徹底していくことを意味していると考えています。いわゆる「未来社会」は、徹底した「民主主義」=「国民・人民が主人公の社会」であるとの認識からすると、「コミュニスト」=「デモクラシスト?」ではないかと思っています。

そもそも、「コミュンー」=「コミニュニティー」ということからすると、生産手段を私的所有をしている資本家=「有産者」と違って、生産手段を私的所有していない、或は最近では、生産手段を私的所有しないと言われている「労働者」=「無産者」の共同社会としての「共産主義社会」という意味は、「生産手段の社会化」が徹底された社会という意味からすると、それは「生産手段の民主化」、すなわち「民主主義が社会の隅々にまで徹底された社会」ではないかと思います。

また「デモクラシー」は「デモ」=「ピープル=人民・国民」と「クラシー」=「パワー」=「統治力」が一緒になった言葉だということを考えると、「人民が統治力を持つ」「人民が主人公」ということを意味していると思います。これは、国民・人民民主主義ということではないでしょうか?

そういう点からすると、また文字通り、人権・自由・民主主義社会をめざすという意味からすると、「共産主義社会」「共産党」という名前も、その訳語・翻訳の仕方の検討に入るべきではないかと思っています。同時に、このことは憲法を徹底して活かしていくということをも意味していると思うのですね。

ということを考えると、「共産党」という名前を、「C」の持っている意味、歴史的に果たしてきた役割などを踏まえつつ、その伝統を発展させるという視点から検討し直して、次なる社会を準備していくという意味で、発展させていくことが検討されるべきではないでしょうか?それが「国民・人民民主主義党」かどうか、現在の私には判りません。

少なくとも、以前「ディクターツゥラー」を「独裁」「執権・執政」「権力」などと訳していたことを、訳語の意味そのものを検討した時の方法論を使って検討する段階が来ているように思います。

そのことは、共産党のたたかう歴史的伝統を貶めるものではありません。「共産党」=「独裁」論があるから、などというレベルの話ではありません。これは、これまでの人権と民主主義を実現するために命をかけてきた人民のたたかう伝統を発展させていくという視点で、独り「共産党」という「党名」の枠内に限定するのではなく、文字通り「デモクラシー」を「民主主義」と訳した時以来の大転換を図るという意味も考えながら、日本の、世界の未来社会の展望をも考えるという視点に立っていることを意味しています。

以上の意味から、「党名」検討の時期に来ていると思いますが、如何でしょうか?山口さんの問題提起と沖縄の古臭い「共産党」論から、そろそろ決別する時が来ていると痛感していましたので、長くなりましたが、私の問題意識を書かせていただきました。

「コミュニスト・パーティ」という名前を放棄した各国の「共産党」は衰退し、「日本共産党」だけが元気であり、私の中では「共産党」という名前に対するマイナスイメージは長い間の為政者によって作られて来たものであり、自らの反共意識を変える必要はあるが「共産党」が党名を変える必要はないと思っていますがこの小幡さんの論考には大いに考えるべき刺激を受けました。
これについてもみなさんのご意見をお聞かせ下さい。

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