結婚しても男が「イクメン」や「カジメン」に絶対になってはならない理由
facebookでこういう記事を見つけた。
結婚しても男が「イクメン」や「カジメン」に絶対になってはならない理由
タイトルがやや誤解を招く可能性があるがあえてこういう刺激的なタイトルにしたのだろう。
私も3人の子育てをした。
小さいときはおしめの交換や風呂入れ
保育園、幼稚園では自転車の後ろに乗っけての園通い
小学校に入っては学校への集団登校の引率や
中学校、高校では学校まで車での送りなど
それぞれ自分の意思でやった事で今思い出すことはみな楽しい思い出となっている。
もっともかみさんに言わせれば私は仕事人間で家族を帰り見ないと言われてはいるが。
海外に三年も居たのでその時は家の事は何もやらなかった事は認めざるを得ないが。
そういう意味ではそうほめられたものではない。
最近イクメンという言葉が登場し、いい傾向だと思っていたがこの文章にあるように妻への「協力」とか「参加」とか「お手伝い」というならばそれは違うといわざるを得ない。
家の仕事を「手伝う」のは子どもだ。
曰くこうだ
会社の仕事は手伝うものでも、参加するようなことでもなく、そこにあるから「する」ことなのだ。育児には時々参加したり、不参加だったりはできない。
子どもが育つのに休みはないのだから。
自分の仕事を「手伝う」という人はいないだろう。
自分の仕事は「する」だ。
同じように、家事も育児も「する」のだ。
もし「イクメン」が辞書に登録されるなら「イクウーマン」も登録されるべきだろう。
「マゴイクメン」、「マゴイクウーマン」も登録されるべきだろう。
以下全文です。」
ライティング・ラボ
結婚しても男が「イクメン」や「カジメン」に絶対になってはならない理由
Posted on 2015-01-12
記事:西部直樹(ライティングラボ)
ここ数年、若い知人たちが、つぎつぎと結婚をしている。
いらぬ節介だとは思うが、若い婿たちへ、ひと言忠告を申し上げたい。
結婚しても、カジメンやイクメンはなってはいけない!
カジメンとは 家事を積極的に手伝う夫
イクメンとは 育児に参加する夫
のことだ。
どうしてかって?
少し前、あるシンポジウムに出ることになった。
行政が主催するごく小さなシンポジウム・パネルディスカッションである。
テーマは、「カジメン、イクメンになる」というようなもの。
「積極的」に家事や育児に関わっている男性を集め、これからの男女共同参画社会について……云々ということである。
パネラーの一人として参加することになった。
その中で、他のカジメン、イクメンたちの話に、ちょっと違和感を覚えた。
曰く
「私が家事を「手伝う」ようになったのは……」
「育児に「参加して」みると、これが楽しいので……」
家庭生活に必要な家事は、手伝うことなのか?
家族を作っていく育児は、参加するものなのか?
「手伝う」とか、「参加する」というのは、家事や育児に馴染まないのではないか。
※ 手伝うのは、本業以外のこと
手伝うというのは、本業、自分の仕事以外のことで、他者の本業というか仕事を手助けするということだろう。つまり、その作業の主体ではないということだ。
例えば、子どもが家の仕事を「手伝う」とか。
私は北海道、オホーツク海に面した小さな町で生まれた。
家は畑作と酪農を営む農家である。
畑と家畜がいると、親は休む間がない。
当然のように、子どもも働くことになる。
畑仕事に、家畜の世話など、学校から帰ってきたら、あるいは休日は
家の仕事を「手伝う」のだ。
手伝いは、面倒で、辛く、できれば避けたいものだった。
子どもの本業は、勉強と遊びだから、面倒で、辛く、避けたかったのだろう。
※ 仕事はするもの
家の手伝いから解放されて、就職した時のことだ。
新人の頃、配属された日には、何をしていいのかわからず、しばし、呆然としていた。
少しずつ仕事を覚え、それでも1年を過ぎるまでは、先輩の仕事を「手伝ったり」していた。
社会人の仕事に「参加」させて頂いているようなものだった。
新人時代が終わり、後輩ができると、先輩社員からこう言われた「仕事は指示を待つのではなく、自分で作るものだ」
なるほど。
見渡せば、自分がやるべきことはわかってくる、仕事は見つかっていくのだ。
それから、紆余曲折を経て、独立し、自分で会社をしていると、仕事は作るものでもなく、自然とそこにあるもの、あるいは湧水のように、湧き出るものだと思うようになった。
仕事のtodoリストは、長く、全てを消し去ることができない。
仕事は手伝うものでも、参加するようなことでもなく、そこにあるから「する」ことなのだ。
※家族をつくる
長じて家庭を持った時のことだ。
結婚すると何かが大きく変わるかと思っていたが、思いの外独身時代と、日常生活は変わりないものであった。
もちろん、独身時代と結婚してからでは、変わったことは多々ある、数えれば253個くらいあげることができるが、本題ではないので割愛しておこう。
変わらなかったことは、生活するということ。
生きて活動するためにおこなうことは、独身時代も結婚後も変わりはない。
家のことを「手伝っていた」子どもの頃は、被扶養者だったから、家庭の主体ではなかったからだ。だから手伝っていたのだ。
家事を手伝うということは、家庭の主体ではなく、被扶養者であるということなのか?
手伝っている限り、誰からに世話をしてもらわなければならない、自立も自律できない子どもである、ということではないか。
参加する、ということは、「今日は不参加です」とか、行動に選択の余地があるかのような言葉である。
育児には時々参加したり、不参加だったりはできない。
子どもが育つのに休みはないのだから。
自分の仕事を「手伝う」という人はいないだろう。
自分の仕事は「する」だ。
同じように、家事も育児も「する」のだ。
カジメン・イクメンは、家事をする、育児をする男性が珍しいから、あえてつけられた名称だ。
「カジメン」「イクメン」と言われることを誇らしいとか思ってはいけない。
家事をする、育児をする女性を「カジウーマン」とか「イクウーマン」などと呼ばない。なぜなら、当然のことだから。当然のことをしている人は、特別な名称では呼ばない。
特別な名称を与えられるということは、当然のことをしていない者だからだ。
誰かが子どもにミルクを与えていたら、その間は何もできないのだから、別のものが家事をする。おむつを替えるのは、近くにいる者だ。夜泣きをすれば、体力のある方があやせばいいのだ。
家事や育児は「する」ものだ、参加することでも、手伝うことでも、ない。「する」のだ。当たり前ことだから、あえて名称などいらない。
名をつけるならもう付いている、それは「夫」と「父親」だ。
だから、男子たるもの、結婚したからといって、家事を手伝ってはいけない、子どもができたら育児に参加してもいけない。決してカジメンやイクメンになってはいけない。
では、何になればいいのか「夫」や「父親」になるのだ。
若き男性たちよ、夫とか父親として、え~と、頑張ろうではないか
さてと、原稿を書き終えたから、今日はゴミの回収日だったな、ゴミを出して、洗濯してと、あっと、食器洗いが残っていた……。
以上です。
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宇都宮健児・井戸川克隆 未来を語る
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