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友人のfacebook記事を紹介します。
希望のまち東京をつくる会参加記です。
宇都宮さん以外の名前は伏せておきます。
そして部分的に略しています。

この方は無党派ですが昨年の衆議院選挙で共産党の池内さおりの当選の為に尽力された方なので後段の運動論には説得力があります。

曰く

運動にこの社会の底辺に生きる人々を組み入れる体制づくりをグランドデザインの中に入れるのが必須なのではないか、という点です。
それは、市民運動に内在する様々な自己矛盾の危うさや規模・範囲の大きさを考えた場合には、小さくない要点だと思うのです。意識を持って運動に参加した人々を、再度個人毎のサバイバルの次元に押し戻してしまうような際どい軋轢や分断も日本の市民運動には多々あって、大きな方向性・目的のために幅広く連帯しようと言うのならば、単に仲間割れするな、ではなしに、前向きにそれを軽減していける力強い理念を持った結束体の存在がもっともっと必要とされている実情である気が私はするのです。

確かに来るもの拒まずで誰でも参画させていると混乱する面はあります。 しかし、これは私が無党派ながら共産党候補の応援をしたことがあるので感じたことなのですが、共産党の選対であれば障害者や貧困者の支援者も受け入れながら、足を引っ張られるということもなく、比較的器用に適材適所の役目を担ってもらって確実にプラスとしている様子でした。 それは、来るもの拒まずだし、支配するということとはまた違って、組織としての意見は集約させて、自分たちはこういう考えと姿勢で行くから、それに賛同してくれるのなら手伝って下さい、と、あくまで公平性を維持しつつ外部から自由に参加出来るスタイルを徹底しているから成功しているのではないか、というのが私の印象です。

時間のある方は全文をお読み下さい。

【3・18 希望のまち東京をつくる会・大会議】

3月18日午後6時30分から連合会館4階404会議室において「希望のまち東京をつくる会・大会議~再生産可能社会を目指して~」という会議が開催され、私も出席しました。

希望のまち東京をつくる会は、都知事選挙における宇都宮けんじさんの選対が解散せずに存続していたのですが、発展的に改組し、特に政治団体としての解散を届けて、政治に影響を与える市民セクター、水平なネットワークをつくっていこう、ということで、そのための提案をし合う会議でした。

時期としては年度末に合わせたかったけれども、時間があまりに足りないので5月の連休明けを目処に目指すとのこと。

また、宇都宮さんが中心となって別途「公正な税制を求める市民連絡会」(仮称)の設立が検討されており、その発足イベントが5月16日の日に同じく連合会館の二階会議室で開かれるそうです。集会後にデモも検討中だとか。

さて、新しい市民セクターをどう構築していくか、という討議になった訳ですが、当然活発な議論が為されました。

まず、超党派でネットワークを作っていくにせよ、会としての綱領、政策課題へのグランドデザインがコミュニティーの結節点として必要だろうと言うことで、大筋としてはレジメの中でも提案されていた、
①民主主義
②平和
③脱原発
④反新自由主義
といったところで合意出来るのであれば、緩やかに連帯していこう、ということで、そこにはほぼ全員異論がないようでした。

そして、責任体制と会員制度の確立とともに、プロジェクトを自由に立ち上げられる制度設計をしなければいけない、ということで、具体的にそれを決めていく時にはこういう場で討議していてもまとまらないので、プロジェクトチームを現事務局中心に作って決めていく。

専従スタッフを置けるような資金繰りや組織化の具体案の討議こそ最重要課題、現実的にどう存続拡大させていくかを考えたなら今その他の個別の方策を討議したり理想を語り合っている場合ではない、という声も続きましたが、運動のターゲットは若い人でもいいが、資金は年配から取ったらいい、10年20年先を見据えるのなら会員が亡くなった時に遺贈する、といった制度を作れば一番大口の資金源になる、といった斬新なアイデアも。

行政・司法・立法を監視する組織として方向付けていくのがいいのではないか、と提言された方もおられました。

また、宇都宮さん曰く、
「運動の熱が十分にないところに組織化だけ優先させ過ぎると虚しいことになりがちだから、そこらへんも難しい面があるんだよね。資金繰りや組織化は重要だけど、やはりそればかりでは運動が硬直化する」
ということで、運動を広げていくに当たってのグランドデザインと対案はやはりきっちり練られる必要がある、といった見解のご様子。

会としてトータルな政治課題を視野に入れながら、時宜にかなったキャンペーンのプロジェクトを個別に幾つも並行で組織していくことを目標にしていこう、ということで、具体案としては、
①まず、2016年参議院議員選挙で与党に3分の2を与えないための取り組みが急務であるということとともに、
②現行選挙制度の改正、政党助成金削減、供託金廃止、公職選挙法改正、比例定数削減反対、
③全国区の運動としてもやっていくのだけれど、やはり東京ローカルの運動の継続も重要だろうということで、国政選挙・都知事選挙等での「オール東京」の実現を目指して超党派で、幅広い市民が参加出来る「市民選挙」の実現を目標に、様々な協議を行なっていく、
④安保関連法、改憲、TPP、消費税増税、原発再稼働などの政府の暴走を止めていくためのプロジェクトをそれぞれ立ち上げていこう、
といった計画の沿革が出されました。

シンプルに言うと、新体制発足に向けて、
①会の目標を明確化するためのグランドデザインと対案の模索
②その上での組織化を目指したプロジェクトチームによる討議
③専従スタッフを置けるような会員登録も含めた資金繰り、制度設計の構築
といったところが当面の課題となるようでした。

宇都宮さんは、
「若者の取り込みの鍵は、やはり教育者、大学や高校の教師が生徒に運動のアピールをしていくと大きいのではないか。学校によっても、そういうイニシアチブを取れる指導員のいる大学は、学生の運動参加への理解や熱が格段に高い。大口の取り込みとしてはそうした教育者の窓口を増やしていくのが効果的なのではないか」
といったことを提言されていました。

私が個人的に強く思ったのは、運動にこの社会の底辺に生きる人々を組み入れる体制づくりをグランドデザインの中に入れるのが必須なのではないか、という点です。
それは、市民運動に内在する様々な自己矛盾の危うさや規模・範囲の大きさを考えた場合には、小さくない要点だと思うのです。意識を持って運動に参加した人々を、再度個人毎のサバイバルの次元に押し戻してしまうような際どい軋轢や分断も日本の市民運動には多々あって、大きな方向性・目的のために幅広く連帯しようと言うのならば、単に仲間割れするな、ではなしに、前向きにそれを軽減していける力強い理念を持った結束体の存在がもっともっと必要とされている実情である気が私はするのです。

ブレインや実働部隊としてメインで動くところには確かに社会経験や知識・学識などの能力の高さが現実的に要求されるし、そうしたところの人材をまず専従に置くのが順当なのでしょう。
ですが、やはり組織を自由で平等、公平な民主主義の熱を保持したものとして企画していくつもりであれば、そこに社会的弱者やマイノリティーの人々が参画していける基盤をつくっておかないと、宇都宮さんが仰ったように運動の熱が十分に維持していけない硬直化した虚しい組織運営に陥りがちになるのでは、と感じます。
(中略)

この社会の現状の中で市民運動に率先して参加している人を考えると、まず主婦などの女性、男性なら定年退職した高齢者、若者なら非正規労働者であったり、障害者であったり、自営業者、ライター業やクリエイター系の自由業の人々など、多種多様ながら人数的には非常に限られていて、その中でも社会の底辺にいる人たちは自分たちの土壇場の暮らしの境遇の中で止むに止まれぬ想いで参加して来ています。私もそういった一人です。

しかし、こうした様々な市民運動体の中でもこうした会合や院内集会の場まで出向いて行って発言する社会的弱者や少数者の人というのはほんの僅かなんですね。
そうした場所は底辺の人間よりも社会意識は高くても比較的生活の安定した中間層や、それ以上の暮らしをしている専門職の人などが多くて、どうも本当に社会の最底辺を生きる貧困労働者やマイノリティーの人が入って行きにくい空気がある。
やはり、そこには目に見えない階級性が運動する人間の側にも少なからずあると感じます。私は自分なりの発言をする方なので、そうした場にもどんどん入って行きますが、一番この社会の矛盾を肌身で実感していて、熱意のある知り合いの声の小さな者、力弱き人々が、それでもあまりそうした場には出て来ない現実を知っています。

底辺の非正規労働者や障害者、無学な貧困家庭で育った人間は、何も好きでそんな境遇になっている訳ではありません。止むに止まれぬ苦渋・悔しさと、必死の想いで自分たちの人生を送っていて、そうした人々の市民運動参加者の熱意はまさしく本気です。
そうした人々の本気さを、社会全体の中で見たらまだまだ弱小な勢力である市民運動体が、十分に掬い上げられないなら、運動内部にも民主化、人権意識といった点での障壁があると言わざるを得ません。
病気になっても満足に病院にも行けないような人々の切実さを、公平に運動の中に取り込める動きがもっとあって欲しい、私はずっとずっとそれを思っているのです。

確かに来るもの拒まずで誰でも参画させていると混乱する面はあります。
しかし、これは私が無党派ながら共産党候補の応援をしたことがあるので感じたことなのですが、共産党の選対であれば障害者や貧困者の支援者も受け入れながら、足を引っ張られるということもなく、比較的器用に適材適所の役目を担ってもらって確実にプラスとしている様子でした。
それは、来るもの拒まずだし、支配するということとはまた違って、組織としての意見は集約させて、自分たちはこういう考えと姿勢で行くから、それに賛同してくれるのなら手伝って下さい、と、あくまで公平性を維持しつつ外部から自由に参加出来るスタイルを徹底しているから成功しているのではないか、というのが私の印象です。

「いや、共産党は底辺の人間には、あくまで下っ端の仕事しかさせなくて、トップは東大出とかエリートで固めている」
「そういう弱者や底辺の人間を共産党が吸い上げていると言うのなら、それは素晴らしいことだけれど、共産党が得意とする分野は共産党が独自に行なっていけばいい」
等々、政治的な見解はまちまちですから、いろんな声があります。
ですが、私は実際共産党員ではないし、共産党の内実が組織としてどうか、なんて議論はどうでもいいのです。
私は別に隠れ共産党員でもありませんし、今、目の前にある社会に何を望むか、どんな政策を期待するか、それが現実に存在する選択肢の中で選挙の中で実現していこうとするのならどうしたら良いか、そういったことを自分なりに真剣に考えて、たまたまある時共産党候補の応援という選択を取っただけです。
ただ、それによって共産党アレルギーが如何に広範に市民に広がっているかも痛感したのですが、そこと弱者救済は共産党が独自に行なえばいい、という理屈を合わせるとおかしなことになると思うのです。
弱肉強食の原理によって弱者や少数者を排除せずに多様な人々と共生し、人間らしい社会を築く、という民主主義の根幹に関わる弱者や少数者との連帯を、仮に共産党の専売特許という位置付けにして、尚且つ自分たちがその共産党とはイデオロギーが違うから、などと一線を画していた場合には、一体いつ民主主義をやるのでしょう?
一体、それを外してどうして民主主義の運動が出来るのでしょう?

そうした実例を、社民党でも、緑の党でも、他のどんな団体のどんな運動体でも、実体験を以って感じさせてもらえたなら、次からいくらでもそれを引き合いに出させて頂きますよ。肝心なのはどこの組織・団体・政党がそれを行なっているか、ではありません。
実際に、そうやって底辺の人たちも上手く活用して参加させる方式が可能である、という事実が大切なのです。

また、それを共産党が出来ているのは、彼らはその理念故に弱者救済という姿勢では一貫しているので、そうした手法が自ずと確立されてきたということでもあり、逆に言えばそれを他の多くの市民運動が十分に出来ていないのならそこは色眼鏡抜きにして見習うべきです。
そうした事柄は民主主義の本質に関わる事柄です。自由と、平等と、人権意識の本質に関わる普遍的なテーマなはずです。

それに、宇都宮けんじさんは、長年、弱者救済と貧困問題、といったところで活動されて来た方です。
実際、都知事選で宇都宮さんを支持した人々の多くが、格差や貧困問題、人権、といったことに関心の高い層であったのですから、それを引き継ぐ運動が、運動の連続性を発展的につなげて行くためにも、専従スタッフ以外にも、参加の関わり具合に段階を設け、会費や貢献の選択肢などといった、その人の社会的・経済的立場に応じた参加形式に極力多層性・柔軟性を持たせて、様々な人が参加出来る間口の方式をつくっておくべきだと私は考えます。
それが最初のグランドデザインに入っていてこそ、後のプロジェクトなり資金繰りなどを合理的・現実的に行なっていく際にも運動としての活気が保てるのではないでしょうか?

事務局でも何でもない、選挙時にも末端のボランティアに過ぎなかった私がこんなことを主張するのも僭越と言えば僭越でしょう。
ですが、意見を述べるのは自由でしょうし、私が知る限り、柔軟性がありつつ多様な価値観の支持者との緩やかな連携を可能にして来ながらも、民主主義の本質というものからは徹底的にぶれない稀有な連帯の一つが、宇都宮選挙を支えた人々の連帯であると認識しています。
その範囲は、希望のまち東京をつくる会だけに限定されていない気がするのですが、現実的に宇都宮選挙絡みで結集し、選挙後にもその緩やかな連帯の中で培われた要素を、組織として継続発展させていくのであれば、宇都宮選対がそのまま市民団体となった希望のまち東京をつくる会にその結節点を期待し発言するのも、あながち憚られるものではないのではないでしょうか。

経験・学識の有無、貢献度や能力差、得手不得手といったものは各人毎にある訳ですが、それでも私たちは皆同じ人間です。
宇都宮さんがよく仰るように、一人一人の人間は微力ではあるが無力ではない、としたならば、微力な個人を支配したり抑圧するのではなしに集めて、力を大きくさせる民主的な運動体というものもさらに一層必要とされるはずだと感じます。

以上です。
宇都宮健児・井戸川克隆 未来を語る

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