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なぜ子規は稲の花にこんなにこだわったのか

今日の季語は稲の花
稲の花は二時間しか咲かないので私も見た事はない。

子規の稲の花の句はちょっと調べただけで七十四句もありました。
なぜ子規は稲の花にこんなにこだわったのでしょう。

今日の句はこれにしました。

七十四句子規の拘り稲の花 公彦

明治24年
気車路や百里余りを稲の花

明治25年
名月にうなつきあふや稲の花

明治26年
聖代
電信に眠る燕や稲の花

明治27年
大藩のもの静かなり稲の花

牛小屋に町は盡きたり稲の花

稲の花道灌山の日和かな

絶壁は蕎麦に盡きたり稲の花

明治28年
何とはなくてそゞろありぬ稲の花

犬山の城はるかなり稲の花

南無大師石手の寺よ稲の花

裏口や出入にさはる稲の花

稲の花四五人語りつゝありく

真宗の伽藍いかめし稲の花

汽車道をありけば近し稲の花

山城に残る夕日や稲の花

うぶすなに幟立てたり稲の花

遠望
稲の花今出の海の光りけり

石手寺
二の門は二町奥なり稲の花

豊年
百姓の家の低さよ稲の花

病起郭外に出つ
杖によりて町を出づれば稲の花

ある寺にて
本堂やうらへまはれば稲の花

村中の先生顔や稲の花

明治29年
稲の花阿彌陀を買ふて戻りけり

大寺の上棟式や稲の花

稲の花人相書のまはりけり

夕焼けて雨雲黄なり稲の花

稲の花東籬菊いまだ莟なり

明治30年
鶏鳴て里ゆたかなり稲の花

明治31年
四国路の小さき馬や稲の花

君か代や五尺の稲の花盛

湯治廾日山を出づれば稲の花

此頃の五十三次稲の花

電信の街道筋や稲の花

演習のあるべき村や稲の花

汽車を下りて遠き宿場や稲の花

駕おろす鳥居の前や稲の花

明治32年
婆つれし仏参りや稲の花

うぶすなに幟立てたり稻の花 正岡子規
そよそよとそよぎ出しけり稻の花 正岡子規
二の門は二町奥なり稻の花 正岡子規
何となけれとそゞろありきや稻の花 正岡子規
南無大師石手の寺よ稻の花 正岡子規
君か代や五尺の稻の花盛 正岡子規
四國路の小さき馬や稲の花 正岡子規
夕燒けて雨雲黄なり稻の花 正岡子規
大國のもの靜かなり稻の花 正岡子規
大寺の上棟式や稻の花 正岡子規
大藩のもの靜かなり稻の花 正岡子規
婆つれし佛參りや稻の花 正岡子規
山城に殘る夕日や稻の花 正岡子規
本堂やうらへまはれば稻の花 正岡子規
村中の先生顔や稻の花 正岡子規
杖によりて町を出づれば稻の花 正岡子規
此頃の五十三次稻の花 正岡子規
氣車路や百里餘りを稲の花 正岡子規
汽車道をありけば近し稲の花 正岡子規
汽車道を辿れは近し稲の花 正岡子規
牛小屋に町は盡きたり稻の花 正岡子規
犬山の城はるかなり稻の花 正岡子規
百姓の家の低さよ稻の花 正岡子規
眞宗の伽藍いかめし稻の花 正岡子規
稻の花人相書のまはりけり 正岡子規
稻の花今津の海の光りけり 正岡子規
稻の花四五人かたりつゝ歩行く 正岡子規
稻の花庄屋を會の議長にて 正岡子規
稻の花東籬菊いまだ莟なり 正岡子規
稻の花道灌山の日和かな 正岡子規
稻の花阿彌陀を買ふて戻りけり 正岡子規
稻正に二百十日の花曇り 正岡子規
絶壁は蕎黍に盡きたり稻の花 正岡子規
裏口や出入にさはる稻の花 正岡子規
電信の街道筋や稻の花 正岡子規
駕おろす鳥居の前や稻の花 正岡子規
稲の花鷄鳴て里ゆたかなり正岡子規

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