トラックバックピープル(一般)

カテゴリー

« 佐々木妙二歌集 「花芯」を読んで | トップページ | 花芯 佐々木妙二歌集から 福田穂さんが「直截さ」と書いて選んだと思われる7首 »

佐々木妙二著 「現代語短歌への道」から

佐々木妙二著 「現代語短歌への道」から

大津留公彦

・定形基準律短歌について
定型が存在する限り私は定形を基底とする定型基準律形態を活用しようと考えている現代語によって定型を求め、破調をおそれず、破調形態を一つの形態として追求してゆく。定形基準律短歌である。各句の音数がどうのということではなく、一首全体としての短歌韻律を捉える。(中略)
要するに定形は現在ある如くに今後幾世紀その生命を保つかは知らないが、その定形の存在する限り、定形基準律短歌があり、この形態を最大限に活用して私自身を表現してゆく。これが現代語短歌に於ての私の今日的主張である。(p14)

短歌は定形(又はその基準律)でなければならないなどと私は主張しているのではない。ただ私はそこに私の短歌の安定があると言うているだけである。
私の作家経歴をふりかえると、定形文語に始まり、現代語五行歌となり、五格調短歌を求め、自由律短歌(より短い長歌)を作り、最後に現在の様な現代語短歌になった。全く無定見と思われる歩き方であったが、それがありのままの道程であった。(p35)

「定形口語歌」が百年の歴史を持ちながら、いまだに日本の短歌の主流であり得ない大きな原因の一つは、その素材内容の問題を別にすれば、口語が定形の中に、内容と共に窒息したからである。現代に生きている人間は、現代語で作品すべきであるというわかり切った不動の理論を持ちながらの現状を悲しまざるを得ない。それは現代語(又は口語)の罪でも定形の罪でもなく、作者の力不足につきる。
私は定形基準と言ったが、簡単に言えば五七五七七を必ずしも厳格に守らなくてもよいということである。現代語を生かすためには現代語の性質上、定音数にこだわる事なく字足らずでも字余りでもよい。ただ一首全体としての定形の、又は求心的に定形を求めるリズム(定形基準律)を内包する事によって、私共が短歌として受容できるということである。(p37)

現在の短歌人口は数十万人とも言われ、その98%は文語歌人で、文語で作歌している。つまりこの人達に文語が通用しているのだから文語も現代語だと言うかも知れないが、この人達だって日常、文語で生活しているわけではない。短歌のときだけその表現用語として用いているだけである。
現在の「新日本歌人」の現代語行わけ自由律短歌は本質にかかわる多くの課題を抱えてはいる。が、重要なことはかつて現代語自由律短歌も文語短歌も「短歌は一つである」と決定づけられたが、それが空念仏でなく現在どのように受け止められているのか、考えてみるべき時ではないかと思う。(p190)

「新日本歌人」の最近の行わけ作品の八割が定形基準律である。他にも種々の要因があり得るから、この数字だけで行わけ作品の形態の最終的結論を言うことは出来ないが、現段階の一つの事実ではある。行わけ短歌の生成発展の現在であるとしても大きな流れであり方向である。定形短歌から完全に絶縁しない限り、この流れは続くと思う。少なくとも定形短歌が存続する限り続く。(p193)

★妙二は「現代語五行歌」を作っていた。
こういう歌がある。

今短歌と五行歌は別物として扱われ、交流がないが歌としては括られる。
他ではない事だと思うが、現在の新日本歌人には五行歌も登場しており月集に選ばれたりもしている。
定形基準律短歌と五行歌が如何にシンクロするのか、しないのか。最近行われて「新日本歌人」誌上での論争に注目しよう

・行わけについて
啄木はその歌集では三行だし、矢代東村には三行四行五行などというのもある。私が三行にする場合は、三行にすることによってその作品の私の裡のリズムが読者にそのまま伝わってほしいから、その行わけが最もよいと思うときだ。二行も三行も同じ理由だ。視覚に訴える部分も少しはあるかも知れない。一行表示が最も適しているものを二行、三行に切るなどは論外だ。(p18)

★行わけの歌は最初から行わけで作らないとリズム感が違う。

・発想という言葉について
短歌の発想という言葉がよく使われる。文語的発想とか現代語(口語)的発想などという。発想というのは短歌に表わすべき内容および過程をいうのであって、言葉となって表された結果が表現なのだから、言葉となって表された段階で文語歌であり或いは現代語歌であると私は理解している。(p20)

★安易は言葉使いは戒めたい。

・切り口
短歌の素材としてものごとには多様な面があり又いろいろの角度から 見てどの面を捉えるかが大切である。この断面が即ちものごとの切り口である。この切り取り方は人によって異なる、そこに個性が出てくる。それゆえに人真似でなく自分の目で切り取った切り口でなければ意味がない。自分が切り取った断面が新鮮であればその短歌は生きているのである。(p43)

★円柱は上からの切り口では丸だが横からの切り口では長方形だ。

・技巧
技巧の無い短歌はあり得なく、吾々は作歌のときに意識すると否とに関わらず表現技巧に心を砕いている。ただ技巧が技巧として目立つものは本当の技巧ではなく、本当の技巧は表現の底にあって、おのずからのもの、自然のものでなければならない。その様な作歌を私は心がける。いわゆる技巧派と言われる様な、技巧を弄する作者になりたくない。真の技巧が身につくことに努力したいものである。(p47)

★のみの跡が見える銅像はまだ技術が足りないと白秋は言った。

・チェックポイント
口語短歌に対する批判を要約すると凡そ次の様である。
①安易な感傷
②低俗な内容(内容の陳腐)
③リズムの弛緩
④無気力
⑤世界観の消極性
(p133)

★歌の一首一首にこのチェックをかけたい。

以上です。

以上です。
以上です。

俳句は新俳句人連盟

短歌は新日本歌人
・・・・・・・・・・・
人気ブログランキングへ

良ければこちらもお願い致します

FC2ブログランキング

更によければこれもお願いします。

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

« 佐々木妙二歌集 「花芯」を読んで | トップページ | 花芯 佐々木妙二歌集から 福田穂さんが「直截さ」と書いて選んだと思われる7首 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 佐々木妙二著 「現代語短歌への道」から:

« 佐々木妙二歌集 「花芯」を読んで | トップページ | 花芯 佐々木妙二歌集から 福田穂さんが「直截さ」と書いて選んだと思われる7首 »