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2018年9月22日 (土)

石川啄木の小説「雲は天才である」を読んだ。


石川啄木の処女小説「雲は天才である」を読んだ。
明治三九年に書かれた啄木二十歳の三十五頁の中編小説です。

渋民の代用教員時代に題を取った教員集団の話として面白いと思って読んでいて妙だなと思ったのは突如その教員集団の緊張した場面の話はそのままにしてそこに突然訪問してきた珍客「石本俊吉」の話になってしまう。いつかその教員集団の緊張した場面に戻るのだろうと思って読んでいたが結局その場面には戻らずに小説は終わってしまった。
読者と激論をしていた教員集団は職員室に置き去りになったままです。
描写力には感心をしますが、まだほとんど会話をしてない「石本俊吉」の描写はなんと四頁にも及んでいます。
この小説はいわゆるオムニバス形式となっています。
当時こういう手法がどの程度あったのか不明ですが、読者のフラストレーションは再度職員室に帰って続きをやって貰わないと解消出来ない。
小説としてはその方がまとまりがいいと思いますがどうでしょうか?
しかし今さら啄木に続きを書いて貰うわけには行かないので読者がこのまま評価するしかない。

岩城之徳さんらの解題では「雲は天才である」の「雲」は放浪者の象徴だという。
すなわち主たる登場人物「新田耕助」「石本俊吉」「天野大助」の三人が「雲」です。
ゴーリキーを尊敬していた啄木は自分がモデルの「新田耕助」によせて自分を放浪者の運命を辿るものと規定したのではという。

では「天才」は誰でしょうか?
「新田耕助」でしょうか?この三人でしょうか?
いずれにせよこの題は魅力があります。読んでみる気を起こさせる題です。
昔文学学校で、題は主題と付かず離れずがいいと習いました。
主題が放浪者であればこの題はふさわしい題といえるでしょう。
この「天才」の意味は「天才」石川啄木に聞いてみるしかないですが、、

三郷の勉強会で啄木と種田山頭火を隔月で読んでいます。
この「雲」には啄木の四年先輩である山頭火がふさわしいでしょう。
「石本俊吉」あたりは山頭火に置き換えられるでしょう。
場所も境遇も作品も違いますが意外と啄木と山頭火は近いのかも知れません。
2018年9月22日 大津留公彦


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「歌碑のある風景」を紹介します。
私も三郷市の万葉歌碑を紹介しています。