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辻井喬さんの「茜色の空」(鉄人政治家・大平正芳の生涯)を読んだ。

辻井喬さんの「茜色の空」(鉄人政治家・大平正芳の生涯)を読んだ。
大平正芳という政治家を改めて見直した。
自民党という政党にはこういう人も居たという昔のこの党の幅の広さを感じた。
本の帯にはこう書かれている。
「30年前、生命を賭けて政策を実現しようとした指導者がこの国にいたー」
発行は5年前なので35年前ということになるが今からすると38年前になる。
大平総理の亡くなった1980年6月私は仕事でイラクのバグダッドに居た。
亡くなられたあと、バグダッドの日本大使館に弔問の記帳に出かけ、列に並んで記帳した覚えがある。イラク・イラン戦争の勃発の直前だった。

この本を読んで感心したのは以下のことです。
・ 絶えず本を読んでいること。
・ クリスチャンの信仰を貫いたこと。
・ 学者の意見を絶えず聞いていること
・ 金銭倫理がきちんとしていること。
・ 権謀・策略を使わないこと。
・ 論理・理論を貫くこと。
・ 柔軟であること。
・ 人間的な優しさがあること。
・ 酒をあまり飲まないこと。

これだけ勉強をしている政治家は現在の自民党には居ないのではないだろうか。
湿性肋膜炎で高松高商を休学した時にはこういう本を読んでいる。
カント「純粋理性批判」、ヘーゲル「精神現象学」、フレイザー「金枝篇」、内村鑑三「基督信徒のなぐさめ」
ヘーゲルの物事一回のアウフヘーベンでは成り立たず、もうひとつの核を中心にした弁証法があって、その二つの核を巡っての調和を探してこそ本当の解が得られるという考えは「楕円形のように二つの中心が均衡を保ち緊張した関係にある」という楕円の理論として何度もこの本に出てくる。
一方向からでなく多面的に見るというバランス感覚が大平さんの信条であったような気がする。
東京商科大学で歌人としても有名な経済学の大塚金之助が特高に逮捕されるという世情の中で大学時代を送っている。本の中には共産党宣言のフレーズをもじったが記者には理解されなかったというところも有った。
吉田茂は昭和14年から「ヨハンセン」というコードネームで憲兵隊に監視されていたようだが「吉田反戦論者」から思いついたコードネームだったのだろうとこの本に書いている。
他の平和主義者にも監視がついていただろうとある。
この本は単なる自叙伝ではなく、辻井喬でなければ書けない部分がある。
辻井さんに書かせた大平正芳という人物の魅力があったと思います。
「ヨハンセン」のあとにはこう書いている。
「こういう事実を知れば、いろいろ理屈はあるけれども、軍隊のようなものを持たないで済めばそれにこしたことはないという考えが生まれてくる。文民統制にすれば武力を背景にした権力は生まれないとする声があっても、人民の支配欲、権勢欲には度し難いものがあるから、トップに立つために制服組に統制権を売り渡す文民が出ないという保証はなにのである。」
これは保守合同の時の大平さんの考えではあるが辻井喬さんの考えでもあるだろう。
大蔵省入省後に仙台で税務監査局の関税部長をしたあと内モンゴルの張家口に1年半居たことがその後の日中国交回復に向けて重要な役割を果たす契機となる。
岸信介は満州国のグランドデザインを書いた官僚だが大平さんはその現場で中国の農民と苦労を友にしている。全く対極に居る。これはその後の福田赳夫との関係にも繋がっているような気がする。

最後に安保の時の文章を引用します。
「日が経つにつれて、全国を揺るがした安保問題の経験は正芳の胸中で重いものになってきていた。民衆は常に権力によって統治されるべきものと信じて疑わない岸信介の感性は、事毎に民衆の反感を買った。そこに左翼が付け込んで、改正の意図をアメリカへの従属を半永久化する改悪と思いこませてしまった。岸信介の更なる失敗は、形勢が悪くなればなるほど、術策によって局面を打開しようとしたことであった。それが自らの頭の良さへの自信が落とし穴になった事例だ。その術策は民衆の潔癖感を逆撫でした。」

そうして池田勇人内閣になり大平さんの活躍となる。
この文章にその孫の今の総理を思い浮かべてもおかしくは無いでしょう。
頭の良さというところを除いてですが。

2018年10月9日 大津留公彦


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2017年の大津留公彦の俳句
白木槿
http://p.booklog.jp/book/124052
「歌碑のある風景」を紹介します。
私も三郷市の万葉歌碑を紹介しています。