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2019年4月26日 (金)

永田和裕と河野裕子の相聞歌

 先日のBSの平成万葉集はいい番組だった。2回目のテーマは「男と女」だった。

特に永田和宏と河野裕子の相聞歌が痛く胸に刺さった。

特に河野裕子の絶詠のこの歌です。

 

「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」河野裕子

以下あるサイトから二人の歌だけを紹介します。連休中に本を読もうと思います。是非みなさんもご鑑賞下さい。

 

 「歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る」という永田和宏

 

左脇の大きなしこりは何ならむ二つ三つあり玉子大なり(裕子)

 

歩くこと歩けることが大切な一日なりし病院より帰る(第九歌集より 裕子)

 

四年まへ乳腺外来に行きしかど見過ごされたりこれも運命か(裕子「日付けのある歌」)

 

病院の横の路上を歩いているとむこうより永田来る。

 

 何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋じゃない(裕子)

 

白木槿あなたにだけは言ひ残す私は妻だったのよ触れられもせず (河野裕子「葦舟」)

 

淳の肩にすがりて号泣したる夜(よ)のあの夜(よる)を知るひとりが逝きぬ(永田和宏 夏・2010)

 

どこをどうふらつきをりし魂か目覚むれば身は米とぎに立つ(裕子)

 

 あの時の毀れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて(裕子)

 

一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間 もうすぐ夏至だ 永田和宏「夏2010」)

 

みほとけよ祈らせ給へあまりにも短きこの世を過ぎゆくわれに(裕子「京都歌紀行」)

 

わたくしはわたくしの歌の為に生きたかり作れる筈の歌が疼きて呻く(裕子「蝉声」)

 

 悔しいときみが言ふとき悔しさはまた我のもの霜月の雨(永田和宏「夏・2010」)

 

 ふた匙なりともの御言葉の通りやっとふた匙を啜り終へたり(裕子)

 

白梅に光さし添ひすぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅(裕子)

 

わが知らぬさびしさの日々を生きゆかむ君を思へどなぐさめがたし

 

さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ

 

泣いている暇はあらずも一首でも書き得るかぎりは書き写しゆく

 

長生きしてほしいと誰彼(だれかれ)数へつつつひにはあなたひとりを数ふ

 

 のちの日をながく生きてほしさびしさがさびしさを消しくるるまで (以上裕子)

 

 歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る(永田) 

 

雨?と問へば蝉(せん)声(せい)よと紅は立ちて言ふ ひるがほの花

 

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり

 

君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る

以下全文を是非お読み下さい。

https://blog.goo.ne.jp/basama2009/e/49b053bda559ccb1528de86493596cbf

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