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畢生の大著ー資本論 志位和夫氏の挨拶から

畢生の大著

新版『資本論』刊行記念講演会「ルールある経済社会」と『資本論』――新版『資本論』刊行によせて志位委員長のあいさつ これまでの訳書を全面改訂―それを可能にした二つの条件

からの引用とコメントをします。

新書版の完結からちょうど30年で改定が可能となった二つの条件

 一つは、マルクスが残した『資本論』の膨大な草稿の主要な部分が、『資本論草稿集』などの形で日本語訳としても刊行されて、マルクス自身の研究の発展の過程を、私たちが読む条件がつくられたこと

 いま一つは、その『資本論』の草稿の研究によって、エンゲルスによる『資本論』第2部・第3部の編集のたいへんな苦労や功績とともに、その問題点も明確となり、それを前向きに解決して、マルクスが到達した理論的な立場を、より明確にする条件がつくられたこと

この背景にはインターネットの発達で全ての関連文書は直ぐに見る事が出来るようになった事が大きいと思う。それでマルクスが引用した各種英国資料が直ぐに読めるようになったと同時にエンゲルスによる編集上の問題点も検討・解決し、訳文、訳語、訳注の全体にわたる改訂を行うことも出来たのだと思う。

マルクスが到達した理論的立場が奥行きをもって立体的に――「ルールある経済社会」の基礎となる諸命題も

一例をご紹介。

 日本共産党綱領は、当面する経済の民主的改革の内容として、国民の暮らしと権利を守る「ルールある経済社会」をつくることを中心課題にすえています。『資本論』には、私たちの綱領のこの方針の基礎となる大事な解明が、随所にちりばめられています。

“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”……」――資本への社会的規制が不可避になる

 たとえば第1部第8章「労働日」の叙述です。

 マルクスのこの言葉は非常に有名ですが、志位さんはカンブリア宮殿でのやり取りを紹介しています。

 私は、以前、2008年のリーマン・ショックの後に「派遣切り」が問題になったさいに、それを主題にしたテレビ番組に出演したときに(09年1月放送、テレビ東京「カンブリア宮殿」)、テレビ局の側から「『資本論』からの引用で一言でわかるものを紹介してください」という注文を受けまして、たいへんに難しい注文でありますが、次の命題を紹介したことを思い出します。

 「“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」(新書版(2)464ページ)。

 この一文を読み上げましたら、司会で作家の村上龍さんが「マルクスはやっぱりいいことをいいますね。いまでも生きていることを」といい、女優の小池栄子さんが「マルクスといま初めて触れ合いました、私」とのべ、マルクスが現代に生きているということが、この一文で伝わったということを、とても印象深く心に残っています。

この番組は私も記憶があります。両司会者が納得していたのを覚えています。

 資本は、最大の利潤をくみ上げるためには、労働者の健康や寿命に何らの顧慮も払うことなく、労働時間の非人間的な延長を追求する。しかし、そうなれば、労働者階級全体が精神的にも肉体的にも衰退し、社会全体が成り立たなくなる――「大洪水」がやってくる。その「大洪水」を止めるには、社会による「強制」によって、労働時間を規制するしかない。社会のまともな発展のためにも資本への民主的規制から避けて通れなくなる。マルクスは、このことを痛烈な言葉で語ったのであります。

この文章は誰にでも納得性のある言葉だと思います。特に非正規労働で苦しめられている人たちには、維新の労働者分断の訴えよりも胸を打つものだと思います。

労働者の役割と労働組合の存立の基礎だと思います。

 「自分たちを悩ます蛇にたいする『防衛』のために、労働者たちは結集し、階級として一つの国法を、資本との自由意志的契約によって自分たちとその同族とを売って死と奴隷状態とにおとしいれることを彼らみずから阻止する強力な社会的バリケードを奪取しなければならない」(新書版(2)525ページ)。

 「社会的バリケード」という言葉はこの版ではじめて使われたそうです。前の版がどういう言葉だったのか気になります。労働基準法などの 「社会的バリケード」がどんどん壊されて行っているがそれは社会そのもののバリケードも壊して行っていると思う。

工場立法の一般化は、未来社会にすすむ客観的・主体的条件をつくりだす

 「工場立法の一般化は、……新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」(新書版(3)864ページ)。

 マルクスはここで、二つ側面から「社会的バリケード」のもつ意義を解明しています。

 第一は、古い生産の諸形態をしめだし、労働過程の全体を「社会的規模での結合された労働過程」に転化することを促進し、「生産過程の物質的諸条件および社会的結合」とともに、資本主義の胎内で「新しい社会の形成要素」を成熟させるということです。

 第二は、工場立法の一般化によって、労働者に対する「資本の直接的なむき出しの支配」が産業全体に広がり、「資本の支配に対する直接的な闘争」を一般化させ、「古い社会の変革契機」を成熟させるということです。

 こうして『資本論』では、この工場立法を、社会変革の客観的条件と社会変革の主体的条件という側面の両方から、統一的にとらえています。

 「綱領でのべている『ルールある経済社会』とは、資本主義の枠内で実現すべき目標ですが、それを綱領で『ルールある資本主義』と表現していないのは、『ルールある経済社会』への改革によって達成された成果の多く――たとえば労働時間の抜本的短縮、男女の平等と同権、人間らしい暮らしを支える社会保障などが、未来社会にも引き継がれていくという展望をもっているからです」

『ルールある経済社会』かという『ルールある資本主義』という問題については思い出がある。紅林進さんの「民主制の下での社会主義的変革」の中で[「ルールある資本主義」や「よりましな資本主義」の主張にとどまるのでなく、資本主義自体の問題性と限界を明らかにし、資本主義に代わる社会主義のビジョンを積極的に提示してゆくべきである。]という部分が誤解であり『ルールある経済社会』へと日本共産党がまさに今、努力している事だろうと書きこれは紅林さんの激励的提起だと書いた。(「社会主義って何だ、疑問と討論」所収)

このルールは未来社会を作り出す契機となる事でしょう。

恐慌の運動論」の発見はマルクスの資本主義観、革命論を大きく変えた

「ルールある経済社会」の基礎となる一連の解明は『第1部完成稿』で初めて行われた

 いわゆる『61~63年草稿』にも、これらの命題の萌芽となり、起点となる考察がのべられています。しかし、『第1部完成稿』では、それが階級闘争の生き生きとした歴史的叙述をふくむ大長編の叙述に大きく変わりました。そのことについて、マルクスはエンゲルスにあてた手紙で、「『労働日』に関する篇を歴史的に拡大した」「これは僕の最初のプランになかったことだ」(1866年2月20日)と書き送っています。

  これらは、『61~63年草稿』から66~67年の『第1部完成稿』までの間に、マルクスの資本主義観に大きな転換が起こったことを示しています。

破局的な危機を待つのでなく、労働者階級のたたかいによって革命を根本的に準備する

 それは、マルクスが、1865年前半の時期に、恐慌論にかかわって大きな発見を行ったということです。

不破さんの命名だという「恐慌の運動論」は「恐慌=革命」説を乗り越えて資本の再生産過程に商人が入り込むことによって、再生産過程が商品の現実の需要から独立した形で、「架空の需要」を相手にした架空の軌道を走りはじめ、それが累積し、破綻することによって恐慌が起こるというものです。歴史的にも恐慌即革命とはならないのは最早自明でしょう。

 この「恐慌の運動論」の発見は、マルクスの資本主義観を大きく変え、革命論も大きく変えるものとなりました。すなわち、あれこれの契機から始まる破局的な危機を待つのではなく、資本主義的生産の発展のなかで、社会変革の客観的条件と主体的条件がどのように準備されていくかを全面的に探求し、労働者階級のたたかい、成長、発展によって革命を根本的に準備していく。これが革命論の大きな主題となりました。『資本論第1部完成稿』には、こうした立場にたった資本主義の「必然的没落」論が、全面的に展開されることになりました。

 「ルールある経済社会」論の基礎となる『資本論』の命題はこの中から生れて来たくので重要である。

マルクス畢生の大著を理解するうえで大きな意義

 エンゲルスが編集した現行版の『資本論』の大きな問題点の一つは、マルクスが「恐慌=革命」説を乗り越える前の古い理論が第3部の一部に残ってしまっているうえに、マルクスが1865年前半に、恐慌の新しい発見を叙述した『資本論第2部第1草稿』――「恐慌の運動論」をのべた部分については、エンゲルスが編集のさいに「断片的な草稿」で「利用できなかった」と扱ってしまったということにありました。

新版では、これは第7分冊になる予定だそうです。

 私は、昨日、メディアのみなさんに、世界で初めてのことだと紹介したところ、「それでは新版『資本論』を英訳や独語訳で発刊する予定はありますか」という質問を受けまして、なるほどと思いましたが、これは世界で初めてのものであり、独自の科学的価値をもつものになると思います。

是非各国語訳を出して欲しいものだと思います。

 この到達点を理解することは、『資本論』が展開している資本主義論、革命論の全体を理解するうえでも不可欠であり、新版『資本論』は、私たちがマルクスのこの畢生(ひっせい)の大著を理解するうえで、大きな意義をもつものと確信をもって言いたいと思います。

 この畢生の大著を福岡、名古屋、大阪に次ぐ東京で四度目の正直で3年がかりで一昨年やっと読み終わったが更に今回の新版の中身をフォローして行きたい。2019924日 大津留公彦

参考 「民主制の下での社会主義的変革

社会主義って何だ、疑問と討論

新版『資本論』刊行記念講演会「ルールある経済社会」と『資本論』――新版『資本論』刊行によせて志位委員長のあいさつ

動画 

文章

弊ブログ

紅林進さんの「民主制の下での社会主義的変革」を読んだ

啄木とゴータ綱領批判

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