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おは!twitter俳句(氷柱)と成人式  

今日は成人式でした。

会場前で環境問題、憲法問題、自衛隊中東派遣問題、桜を見る会問題のシール投票と改憲発議反対署名で多くの若者と対話しました。

憲法や政治のことはあまり知らないというのが総じての印象です。それでも24人にシール投票、14人に署名して貰いました。

娘が成人式で参加していた市会議員にも署名して貰いました。

成人を迎えた若者にエールを送ります。

選挙権が出来たので社会的課題も考えて選挙に行ってね。

今週の俳句と短歌です。

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2020年01月13日(月)

@twryossy 戸隠の二人に在りし日軒氷柱 公彦
2012年01月13日(金)
かの人見し糸瓜の棚の氷柱かな 公彦

【今日の季語3668<746】氷柱(つらら):晩冬の地理季語で「垂氷(たるひ)」「立氷(たちひ)」の古語傍題や「銀竹」「氷条」などの漢語傍題も。居住地では軒端から滴る水が凍り付くところから「軒氷柱(のきつらら)」とも呼ばれる。◆はればれと昼の氷柱の水しぶき(飯田龍太)


【今日の季語3668:別記①】ツララは古くは《水面に張り詰めた氷》を指し《垂れ下がった氷》にはタルヒ(垂氷)の呼び名を用いた。


【今日の季語3668:別記②】『源氏物語』末摘花の巻には「朝日さす軒の たるひ は解けながら などか つらら のむすぼほるらむ(=どうして氷は凍りついているのだろう)」の歌があり、両語を上記のように使い分けている。


【今日の季語3668:別記③】ツララが現在のように垂下した氷を指すようになるのは中世以降のことと見られる。室町期の古辞書に「汴」字にツララの和訓が施されているのは、そのことを示す事例にあたる。


【今日の季語3668:別記④】この字は、中国では黄河の一支流にあたる河名を表す漢字で、意符「氵」と声符「卞(ベン)」を併せた形声字にあたる。


【今日の季語3668:別記⑤】日本ではその「卞」を「下」と同義と見なして《凍った水が下がる》意を表す会意字に和様化し、これにツララの読みを与えたもので、当時すでにツララが《下がった氷》の意を表す和語であったことが知られる。


【今日の季語3668:別記⑥】ツララが《氷》から《氷柱》の意に転じたのは、同義語コホリ(氷)によってその座を奪われたからであり、さらに、本来は《氷柱》の意を表したタルヒの座をツララが奪う連鎖反応を生んで、居場所を失ったタルヒは廃語の羽目に追い込まれた。

2020年01月12日(日)

@twryossy 寒風や家に妻あり夫あり 公彦
2012年01月12日(木)
寒風や曇る眼鏡に転びけり 公彦

【今日の季語3667<745】寒風(かんぷう):三冬の天文季語「冬の風」の傍題で「風冴ゆ」などとも。季を表す語を「風」に冠する季題は四季それぞれにあるが、当季には和語よりも強い響きを持つこの漢語傍題が相応しい。◆寒風のぶつかりあひて海に出づ(山口誓子)


【今日の季語3667:別記①】例句作者には、よく知られた「海に出て木枯らし帰るところなし」の吟があり、冬の風を「海に出」ると表したところや、それを「帰る」「ぶつかる」と擬人的に表現した点に通底するものがある。


【今日の季語3667:別記②】別吟の「海に出て」「帰るところなし」は、特別攻撃隊の名のもとに再び帰ることなく海に散った若者たちへの思いを托した句とされるが、例句にもそのことを思わせるふしがある。


【今日の季語3667:別記③】ブツカルの形が文献に姿を見せるのは幕末以降のことで、これよりもブッツカルが先行するところから、その二拍目の促音を短略した形と見ることができる。


【今日の季語3667:別記④】さらにそのブッツカルは、これに先行するブッツケルに対向して後に生まれた新語であろう。先行のブッツケルは、ウチツケル(打付)の促音形にあたり、語頭がウからブに転じたのは、これを濁音に置き換えて強調したものと解される。


【今日の季語3667:別記⑤】ブッツケルからブッツカルが生まれる現象は、他動詞から自動詞が派生する事例に属する。人を主体に「漬物をツケル(漬)」と他動詞を用いる表現から、後に漬物を主体とする自動詞「ツカル」が生まれたのもこれと軌を一にする。

2020年01月11日(土)

@twryossy 新海苔の封切り豊かな夕餉なり 公彦
2012年01月11日(水)
新海苔の香りの老舗賑わえり 公彦


【今日の季語3666<744】新海苔(しんのり):晩冬の生活季語で「初海苔」「寒海苔」の傍題も。この時季に採れる海苔の初物をいう。厳冬の海の恵みを干し上げたものは色も濃く香りもひときわ高い。◆新海苔や降り出す雪の佃島(皆川盤水)


【今日の季語3666:別記①】「海苔」が古代から食されていたことは、『常陸国風土記』などの記事から知られる。その信太郡の条には、「浜浦(はま)の上に多(さは)に海苔[俗(くにひと)、乃理(のり)と云ふ]を乾せりき」とある。


【今日の季語3666:別記②】ここに施された和訓「乃理」の「乃」は、上代特殊仮名遣では乙類の/nö/を表す真仮名で、ノリ(糊)のノもこれと同じ乙類にあたる。両語はさらに「ぬらぬら」したものに用いる呼称であるところにも共通要点が認められる。


 

【今日の季語3666:別記③】さらに現代語の「血のり」にも「ぬらぬら」したものが潜んでいる。この語は本来ノリの単独形で《生血》の意を表したのが、後に説明的に「血」を加えた"重言"と見られる。


【今日の季語3666:別記④】大槻文彦編『言海』<1884>はこれらのノリの語源を「滑(ヌラ)の転」と解しているが、これはノリを象徴語「ぬらぬら」の語基にあたるヌラの母音交替形と捉えるもので、首肯に足る語源解であろう。

2020年01月10日(金)

@twryossy 重ね着の人たちの顔皆睦月 公彦
2012年01月10日(火)
父の服重ね着をして出勤す 公彦

【今日の季語3665<743】重ね着(かさねぎ):三冬の生活季語で「厚着」や「重ね着る」の動詞形傍題も。寒さを防ぐのに衣類を何枚も重ねて着る結果、同季別題「着ぶくれ」の状態にも立ち至る。◆応とでし厚着の僧の男ぶり(新庄シゲ子)

【今日の季語3665:別記①】例句の「応とでし」は、《「はい」と答えて出て来た》の意にあたる擬古的表現。作者が寺の玄関で来訪を告げた、その声に答えて現れた若い男前の僧の姿を詠んだもの。

【今日の季語3665:別記②】その「応(おう)」は「否応なしに」の形で成句にも用いられ、《不承知・否定》の意を表す「いや(否)」に対して、《承諾・肯定》の意を表すこともあるが、ここでは相手の呼びかけに対する《応答》の声を「音」として写し取った感動詞にあたる。

【今日の季語3665:別記③】その一方の「否・応」も、イナ(イヤ)・オウという声を表すのに、その字義や字音を借用した表記にあたる。

【今日の季語3665:別記④】和語の感動詞にあてられる漢字は、それに相応しい字義や字音を有するものが選ばれることが多く、「応」もその一例にあたる。この語を表す仮名は「おう」の他に「おお・あう・わう・をを」などの形も用いられ、漢字表記もまた一定しなかった。

【今日の季語3665:別記⑤】それが後に「おう」の形が主流を占め、それに応じて同じオウの字音を持つ「応」が定着することになった。

【今日の季語3665:別記⑥】その「応」字は、字音が同じというだけでなく「応答」や「応酬」などの熟語に見るように、《こたえる》の字義を備えているところにもこの感動詞の用字として相応しいものがあり、あたかも「応」が先にあったかのような錯覚を生むまでに至った。

2020年01月09日(木)

@twryossy あらぬ方へ外れし手毬の行く先や 公彦
2012年01月09日(月)
遥かなりイチレツダンパン手毬歌 公彦

【今日の季語3664<742】手毬(てまり):新年の生活季語で「手毬つく」「手毬唄」などの傍題も。正月の女児の遊びだったところから当季の季語に。古くは糸を巻き付けて作られたのが装飾品として現代に伝わる。◆あらぬ方へ手毬のそれし地球かな(川崎展宏)

 

【今日の季語3664:別記①】童歌「毬と殿様」に唱われる「手のそれた」毬の姿を、紛争の絶えない巨大な球体に見立てた例句の壮大な発想に面白さを感じつつも、当今の地球もまた国際平和の手をそれて危うい方向に転がり出そうとしている、そのことが憂慮されてならない。

【今日の季語3664:別記②】「毬つき」は、現在も新年の行事として伝わる「蹴鞠始(けまりはじめ)」の蹴鞠に由来する遊びとされる。「毬」をツクというのも、本来は「羽根突き」と同義の動詞で、「お手玉」のように空中に向けて投げ上げる遊びであったことを示す。

【今日の季語3664:別記③】その「毬」が、後に弾力性を帯びた素材で作られ、江戸後期には地面に弾ませる形を取るようになり、さらに明治期には素材がゴムに変わってその様式が確立した。

【今日の季語3664:別記④】川端康成『浅草紅団』<1929-30>には「てんてんてんと空中でマリつきをしてゐると見せかけて売るのだ」とあることや、「お手玉」をマリツキと称する高知の方言資料などから、近代にもなお「毬つき」は原姿を留めていたことが知られる。

2020年01月08日(水)

@twryossy 寒鯉を育てる叔父の元気なれ 公彦
2012年01月08日(日)
凍鯉の水面を大きく揺らしけり 公彦

【今日の季語3663<741】寒鯉(かんごい):晩冬の生類季語で「凍(いて)鯉」の傍題でも。「鯉」だけでは季語にならないが、寒中の鯉は美味であるところから「寒」字を添えて当季の季題に。◆寒鯉の色あつまりてなほ淡し(古館曹人)

【今日の季語3663:別記①】傍題のように「凍」を用いる季語は、汎称の「鳥」や「蜂・蠅・虻・蝶・鶴」などの生類から、天文・時候・植物の領域にも広く及ぶ。それらが氷りついたように動かない姿を古語動詞イツ(凍)の名詞形イテを用いて隠喩的に表した。

【今日の季語3663:別記②】このイツ・イテは古代文献には使用例が見当たらず、平安末期の歌集『堀川院百首』<1105-06頃>夏部に収める「冬さむき いてし氷を埋めおきて」が比較的早い例にあたるので、その起源はさほど古い時代にまで遡るものではないと見られる。

【今日の季語3663:別記③】江戸期の歳時記『改正月令博物筌』<1808>「凍(いてる)」の項には「氷るほどにはあらで、寒気にこりかたまるなり」とあり、イツは後代にはコホル(氷)にまで至っていない状態を表す語と解されている。

【今日の季語3663:別記④】しかし古例にあたる上掲歌では「いてし」を「氷」に上接させているところから見れば、初めからそのような明確な区別があったとは限らない。

2020年01月07日(火)

 

@twryossy 松納め第三次世界大戦という言葉 公彦
2013年01月08日(火)松明けに小さい諍いありにけり 公彦

 

【今日の季語3662<740】松納(まつおさめ):新年の生活季語「松取る」「松下し」などとも。正月を飾った「門松」を取り払うこと。六日夕から七日朝にかけて行う地域が多く、正月気分を離れて別題「松明け」の時候を迎える。◆われとわがこゝろに松を納めけり(久保田万太郎)

【今日の季語3662:別記①】例句の「われとわがこゝろ」は、形式上は「我」と「我が心」が対等に並ぶ形を取っているが、実質的には全体で《自分自身》の意を表す慣用句と解すべきであろう。

【今日の季語3662:別記②】永井荷風『腕くらべ』の「我れとわが身の浅間しさに独(り)口惜(し)涙をこぼす」にもこれと類同の「われとわがみ」の形が見える。

【今日の季語3662:別記③】この解に立てば、本句は「みづからのこころ」と詠むことも可能であるが、それでは表現面における膨らみが失われる。

【今日の季語3662:別記④】本句の運辞には、俳句の言語空間を満たすものは意味だけではないことを思わせるものがあり、その蔭には作者の技量が隠れている。

【今日の季語3662:別記⑤】ちなみにこの表現は、別の万太郎句「われとわがつぶやきさむき二月かな」「ゆく秋やわれとわが知る身のやまひ」などにも使用されており、「われとわが」は作者の好む措辞であったことが知られる。


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