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浅草等光寺の啄木歌碑

啄木の葬儀が行われた等光寺に立ち寄りました。
土岐善麿の生家でもあり歌碑もあるはずですが入れませんでしたのでネットから紹介します。

ーー
浅草等光寺の啄木歌碑
 啄木は明治41年(1908年)、文学者として身を立てるため上京して創作活動に入り、明治42年から朝日新聞の校正係となった。小説や短歌の創作に励み、浅草の賑わっている様子を歌に残している。啄木は苦しい生活の中で肺結核を患い明治45年(1912年)に27歳で死去した。葬儀は啄木の親友の土岐善麿(歌人・国学者)の生家であった等光寺で行われ、啄木一周忌追悼会も等光寺でおこなわれた。なお、啄木の遺骨は間もなく妻節子の強い希望で函館に移されている。また、啄木葬儀の一月前には、母カツの葬儀も行なわれている。
啄木の葬儀が行なわれたこの浅草等光寺には、啄木の顔のレリーフを彫り込んだ啄木歌碑があります。

啄木の歌碑は啄木生誕70周年の1955年(昭和30)、金田一京助氏らが集まって歌碑除幕式が行われた。この歌碑は門を入ってすぐ右手にあり、黒みかげ石の歌碑で、一握の砂にある「浅草の夜のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心」の一首が刻まれ、左上に胸像が刻まれている。歌碑の右には台東区教育委員会による案内板がある。

石川啄木歌碑                                 
台東区西浅草一丁目六番一号 等光寺 

石川啄木は明治十九年(1886)岩手県に生まれる。はじめ明星派の詩人として活躍した。しかし曹洞宗の僧侶であった父が失職したため一家扶養の責任を負い、郷里の代用教員や北海道の新聞記者を勤め、各地を転々とした。 明治四十一年(1908)、文学者として身を立てるため上京して創作生活に入り、明治四十二年からは東京朝日新聞の校正係となった。小説や短歌の創作に励み、明治四十三年十二月には処女歌集「一握の砂」を出版する。生活の現実に根ざし口語をまじえた短歌は歌壇に新風を吹き込んだ。 しかし苦しい生活の中で肺結核を患い明治四十五年(1912年)四月十三日に小石川区久堅町の借家で死去した(27才)。親友の土岐善麿(歌人・国学者)の生家であった縁で、葬儀は等光寺でおこなわれ、啄木一周忌追悼会も当寺でおこなわれた。墓は函館市の立待岬にある。                         
この歌碑は、啄木生誕七十年にあたる昭和三十年に建てられた。「一握の砂」から次の句が記される。 
           
浅草の夜のにぎはひにまぎれ入りまぎれ出で来しさびしき心  
           
平成十五年三月                              
台東区教育委員会
以上
たかしの啄木歌碑礼賛より
写真はサイトに行って見て下さい。
https://blog.goo.ne.jp/takuboku1511


浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心 
啄木

この歌は、東京朝日新聞(明治43年3月18日)に発表、「一握の砂」に掲載。39010a53f68a4deabcc157bf2f5e7835

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石川啄木の小説「我等の一団と彼」を読んだ

筑摩書房の啄木全集第三巻の小説「我等の一団と彼」を読んだ。
三郷で行っている短歌俳句勉強会での報告の為に啄木の作品を時系列で読んでいる。
来月の明治四十三年の報告をするために読んだ。

小田切秀雄の巻末の解説によればこの小説は明治四十三年の五月末から六月初旬に書かれ、啄木死後の大正元年に読売新聞に二十八回にわたって連載されている。

この小説ははっきりとした筋立てのある小説ではなく、新聞記者仲間の登場人部の会話(特に高橋という「彼」の発言)に魅力のあるエッセイに近い感じがした。
これは完結した中編小説であるが、終わり方は唐突であり、更に続けることも出来たであろう。その場合は啄木唯一の長編小説になったかもしれない。
この時期は大逆事件が起こった時期と重なっており、八月下旬には歴史的な評論「時代閉塞の現状」が書かれている。啄木が思想的発展を遂げた時期でこれ以後小説は書かれていない。
明治三九年の「雲は天才である」からわずか四年間しか啄木は小説を書いていない。
小説に集中することを世の流れが許さなかったということでしょう。
小説を含む全作品を読むことが必要でしょう。

小田切秀雄は啄木の小説の世の評価と「我等の一団と彼」についてこう書いている。

 啄木の小説についての評価が遅れたのは、啄木自身のがわにも責任がないわけではない。かれの小説は全部で十五篇だが、このうち「漂白」・「菊池君」・「刑余の叔父」・「札幌」・「足跡」は未完であり、「病院の窓」のように明らかな失敗作もあって、日本近代文学をその最も高い芸術的水準ににおいて代表する作品群のなかに数えねばならぬのは啄木の場合「我等の一団と彼」だけである。
又時代背景と浪漫主義・自然主義・社会主義についてはこう書いている。
明治三九年から四三年という期間は自然主義主導のもとに反自然主義の諸潮流を激発しながら日本近代文学が飛躍的に発展し、成熟し、たちまち行きづまり、分化していったまことに特別充実し時期であっ啄木は自然主義の近代的な人間解放のたたかいの側面を浪漫派としてまったく独自な方向にうけとめ展開して小説第一作「雲は天才である」を書いたときから、最後の小説「我等の一団と彼」でまさに自然主義を内がわから乗りこえようとする新しい人間造型に到達するまで、時代の文芸思潮の高揚のその突端部と相渉りつつ批判的に摂取し、密着し、打開するという、他に例のない道をきりひらいたのであった。啄木がそのきわめて短い生涯のなかに、浪漫主義・自然主義・社会主義という日本近代の思想・文芸思潮を身をもって強烈に生きぬくことを通して、それらの思想と文学のいわば核心的なものとその内容的・歴史的な関係とを明きあらかにしている、ということはかれの小説においても見ることができるのである。
啄木の小説の読み方につてはこう書いている。
 もちろんかれの場合、小説だけでそれが全面的に表現されているのではない。(中略)短歌や詩や評論や手紙や日記などをふくめた啄木作品の全体によっていわば総合的にそれが強烈豊富に示されているのであるが、このことはかれの小説が歌や詩や評論やと深い内面的な関係と相互におぎなう性格をもっている、ということを意味する。そして、かれの短歌を立入って理解するためにはかれの小説を読むことが必要であり、またかれの評論を深くとらえるためにはかれの小説作品のなかでの素材と文学的思考の実際とをつき合わせてみねばならぬ、ということがある。これを逆にいえば、啄木の小説以外のかれの仕事、特に評論などとあわせて読むことが必要だ、ということである。(後略)
時系列で啄木の作品を読むということは今年度から始めたことですが、碓田のぼるさんの助言を受けての事です。啄木をその変遷の中で動的に読むということでしょう。 毎回啄木全集八巻を全部開かねばならず苦労はあるのですがこの小田切秀雄氏の啄木の小説の読み方がまさにそれを言っていると思います。 碓田のぼるさん、小田切秀雄さんの教えに従い、今後も啄木の全作品を時系列で読んで行きたいと思います。 2018年9月20日 大津留

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「石川啄木と杉村楚人冠―閉塞の時代とその親愛」(碓田のぼる著)(光陽出版社)を読んだ

「石川啄木と杉村楚人冠―閉塞の時代とその親愛」(碓田のぼる著)(光陽出版社)を読んだ
一言で言うならばこの本は碓田のぼるさんでなければ書けなかった。
一つは啄木の研究者であり特に大逆事件以後の啄木研究については他の追随を許さないからである。
もう一つは楚人冠旧宅の近くに半世紀住み、義理の父は楚人冠の作った我孫子の俳句会(湖畔吟社)のメンバーであり楚人冠に直接薫陶を受け、楚人冠全集全十八巻を譲り受けており、碓田のぼるさんの亡くなった奥さんは楚人冠夫人の茶の弟子だったからである。

第二章の一は書下ろしだがそれ以外は「新日本歌人」誌の2103年4月―8月まで連載されたものである。その当時も読んだがこうして纏めて読んでみると読後感は圧倒的である。
第二章(同時代を呼吸する人びと)の一の書下ろしには若い時からのこういう人たちとの楚人冠との関係が記されている。伊藤左千夫、森鴎外、斉藤茂吉、土岐善麿、、
足尾鉱毒事件と明治の文化人の関わりのことも書かれて居る。

啄木は亡くなった年1945年の一月に極貧の中で楚人冠に三通の手紙を書いている。
第一の手紙は1月9日付けで年賀状への返信であるであるが長文である。
片山潜の指導する東京市電の6千名のストライキがあり「国民が団結すれば勝つといふ事、多数は力なりという事」という有名なフレーズを1月3日の日記に残している頃である。
前年の大逆事件についても触れている。
楚人冠は啄木救援カンパを集めて啄木にその旨送っている。
1月27日には啄木は第二の手紙でお礼を述べている。
1月26日には37円の義捐金が佐藤真一編集長の手で啄木の元に届けられている。
その礼状が第三の手紙である。
楚人冠はこの三通の手書きを生前公表しなかった。
それは大逆事件の菅野須賀子の獄中からの「針文字書簡」を公表しなかった事と同じく自分には何も出来ない「無念さの証」として又友情の証として公表をはばかったのだろう。

碓田さんは以下の楚人冠の菅野須賀子への思いについての大胆な推論も立てている。
楚人冠が朝日新聞の特派員としてベルリンで大逆事件に思いを馳せた「伯林の春衣」を書いた日付が不自然に明治44年4月9日となっているのは菅野須賀子の命日の1911年4月9日の191149を全部足すと25になり菅野須賀子の命日になるからだという。
楚人冠の大逆事件への思いを知ればこそこういう推論も成り立つのだろう。これも菅野須賀子への友情の証として公表をはばかったのだろう。
この本を千葉県民と啄木に興味を持つ人にお勧めします。
啄木と杉村楚人冠の関わりは公表されず友情の証と 2018年9月3日 大津留公彦 以上

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共謀罪と石川啄木

litera編集部が6月12日付けで書いた

共謀罪をめぐる状況は石川啄木が大逆事件について警告した内容とそっくりだった! 暗黒の歴史を繰り返させるな!
http://lite-ra.com/2017/06/post-3236.html
は明日にも参議員院法務委員会で共謀罪が強行採決されようかというタイミングと啄木と大逆事件との対比で秀逸な内容だ。
大逆事件の当時、啄木は朝日新聞にいたのでその詳細をいち早く知ることが出来たがその発表は許されなかった。しかし後世に残そうと命を削って裁判記録を筆写して残した。
それが早死の原因だったのかもしれない。

今年の啄木祭で碓田のぼる氏は啄木の発表された改作後の歌と発表されなかった元歌を比較し元歌の方がはるかにいいが後世の為にあえて改作して残したと言われた。
啄木は「後々への記念のため」として「日本無政府主義者陰謀事件経過及び付帯現象」というノートを残した。
まさに今日の我々の為である。
共謀罪を啄木と後世の我々は許さない。


一部を紹介します。

公権力はちょっとしたきっかけでいとも容易く暴走する。その端的な例のひとつが、1910年に起きた大逆事件(幸徳事件)だろう。
 これは、明治天皇暗殺計画を企てたとして幸徳秋水ら大勢の無政府主義者や社会主義者らがいっせいに検挙され、幸徳を含む12名が死刑に処された事件。しかし、実際に暗殺計画に関わったのはそのうち数名でしかなく、これは権力に楯突く思想家たちを根絶やしにするためのでっちあげ事件だとされている。
 この事件に対して尋常ならざる執着をもち、公権力の暴走を批判し続けたのが、石川啄木である。
 周知の通り、彼は1912年に肺結核により26歳の若さでこの世を去っているが、死の前年には「ココアのひと匙」という詩を書き、幸徳らの運命に共感の念を送った。
〈われは知る、テロリストの
かなしき心を──
言葉とおこなひとを分かちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを適に擲げつくる心を──
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。〉
 啄木は大逆事件と出会ったとき、東京朝日新聞に勤めていた。1910年6月2日、啄木は物々しい報道管制と同時にこの事件のことを知る。そのときのことをこのように記録している。
〈東京各新聞社、東京地方裁判所検事局より本件の犯罪に関する一切の事の記事差止命令を受く。各新聞社皆この命令によつて初めて本件の発生を知れり。命令はやがて全国の新聞社に通達せられたり〉(「日本無政府主義者陰謀事件経過及び付帯現象」)


●石川啄木は大逆事件を公権力の暴走によるものと見抜いた
啄木は同時期に「所謂今度の事」というエッセイを書いているが、報道統制下にあり、大逆事件によるでっちあげの全容がわからないなかでも、彼は警察のやり口に問題があることを鋭敏に感じ取り、このように書いている。
〈然しながら、警察の成功は遂に警察の成功で有る。そして決してそれ以上では無い。日本の政府が其隷属する所の警察機関のあらゆる可能力を利用して、過去数年の間、彼等を監視し、拘束し、啻に其主義の宣伝乃至実行を防遏したのみでなく、時には其生活の方法にまで冷酷なる制限と迫害とを加へたに拘はらず、彼等の一人と雖も其主義を捨てた者は無かつた。主義を捨てなかつた許りでなく、却つて其覚悟を堅めて、遂に今度の様な兇暴なる計画を企て、それを半ばまで遂行するに至つた。今度の事件は、一面警察の成功で有ると共に、又一面、警察乃至法律といふ様なものゝ力は、如何に人間の思想的行為に対つて無能なもので有るかを語つているでは無いか。政府並に世の識者の先づ第一に考へねばならぬ問題は、蓋し此処に有るであらう。〉
 そこから彼は、大逆事件で弁護を担当していた平出修を通して、この事件がでっちあげなのではないかという疑義を確信へと深めていく。そして、幸徳が弁護士に宛てた意見書に、啄木が前書きなどを足した「A LETTER FROM PRISON」を執筆。そこで彼はこの裁判こそが無法であると徹底的に批判する。

●石川啄木のエッセイと共謀罪議論に共通するもの

 また、「A LETTER FROM PRISON」のあとがき(「EDITOR’S NOTES」)では、啄木が残業中に周囲の社員と交わした会話が記録されているのだが、その会話を読むと、またひとつ発見がある。100年以上前に書かれた文献なのにも関わらず、そこでなされている会話は、まるで2017年のいま交わされているものの写しのようである。
 たとえば、事件をめぐる海外との関係。現在国会の場で安倍政権は嘘に嘘を塗り重ね、まともな議論もしないまま「共謀罪」を進めている。この姿勢には国外からも非難の声が相次いでいるのはご存知の通り。国連人権委員会の特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏に端を発し、国連の立法ガイドを執筆した刑事司法学者のニコス・パッサス氏は「新たな法案などの導入を正当化するために(国際組織犯罪防止)条約を利用してはならない」と警鐘を鳴らす。また、国際ペンクラブのジェニファー・クレメント会長も「法案は表現の自由とプライバシーの権利を脅かすものとなるだろう。法案に反対するよう、国会に強く求める」と声明を発表している。しかし、政権はその批難の声にも耳を貸そうともしていない。

●大逆事件後にもでていた新聞記者のネトウヨ的低レベル発言

 こういった、政府による無法なやり口に対しては啄木や、先に出た国際法学に詳しい記者のように疑問の声をあげる人もいる一方、実は、こんなも声も出ていた。啄木らの議論に混ざってきた別部署の新聞記者はこんなことを語っている。その語り口は、まるで現在の安倍応援団やネトウヨの主張のようである。
〈彼は直ぐまた口を尖らして吒るやうな言葉を続けた。『ああいふ奴等は早速 殺して了はなくちや可かん。全部やらなくちや可かん。さうしなくちや見せしめにならん。一体日本の国体を考へて見ると、彼奴等を人並に裁判するといふのが既に恩典だ………諸君は第一此処が何処だと思ふ。此処は日本国だ。諸君は日本国に居つて、日本人だといふことを忘れとる。外国の手前手前といふが、外国の手前が何だ。外国の手前ばかり考へて初めから腰を拔かしていたら何が出来る。僕が若し当局者だつたら、彼等二十六名を無裁判で死刑にしてやる、さうして彼等の近親六族に対して十年間も公民権を停止してやる。のう、△△ 君、彼等は無政府主義だから 無裁判でやつつけるのが一番可いぢやないか。』
名指された予は何とも返事のしようがなかつた。ただ苦笑した。〉(「A LETTER FROM PRISON」)


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三郷で啄木と子規の勉強会を1年間やっています。

三郷で啄木と子規の勉強会を1年間やっています。
残りはあと3回です。

近藤典彦先生の解説を中心に教材として学んでいます。

今月の「一握の砂」についての二度目の学習テキストを紹介します。
15の設問について自由に意見を出して頂き、その後近藤先生の説を紹介しました。
近藤先生によって一握の砂は新しい光が与えられていると思います。

以下三つのファイルです。


717短歌・俳句勉強会予定
「717_20161211.doc」をダウンロード

一握の砂に関する設問15問
「setsumonn.docx」をダウンロード

一握の砂に関する設問15問に対する回答
「ichiakunosunashiryou.docx」をダウンロード

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文京区啄木文学散歩をしました。

文京区啄木文学散歩をしました。

師走の寒いながら快晴の中を大学の先輩たちと文学の薫り高い文京区の石川啄木の史跡を巡りました。
近藤典彦さん(元国際啄木学会会長)にご案内頂いたコースで歩きました。
コースの中に世の中に知られてない新発見が二つありました。
コース
①樋口一葉菊坂旧居跡 ②赤心館跡(③菊富士ホテル跡記念碑も見学)⇒④蓋平館別荘跡⇒(宮沢賢治、樋口一葉、金田一京助旧居跡を通る)⑤喜之床 ⇒地下鉄丸の内線「本郷三丁目駅」 ⇒「茗荷谷駅」 ⇒⑥啄木終焉の地歌碑及び啄木顕彰室(最近出来た物)の見学

日時:12月10日(土)
13:00 地下鉄丸の内線「本郷三丁目駅」改札 (出口は一つだけです)
13:20 宮沢賢治旧宅跡
13:30 樋口一葉旧宅跡
13:40 金田一京助旧宅跡
13:50 伊勢屋(樋口一葉が通った質屋・土日は無料にて内部閲覧可)
14:10 赤心館跡(入り口新発見)
14:20 菊富士ホテル跡記念碑
14:30 蓋平館別荘跡(現在は解体され更地となっている)
14:50 東大・安田講堂、
15:00 東大・三四郎池
15:20 樋口一葉の生育の家
15:30 東大赤門前→詩「ココアの一さじ」のモデルとなった喫茶店(新発見)
15:40 喜之床
16:00 地下鉄丸の内線「本郷三丁目駅」
16:15 地下鉄丸の内線「茗荷谷駅」
16:30 啄木終焉の地歌碑及び啄木顕彰室(最近出来た物)
17:00 忘年会(白木屋茗荷谷店)
――
啄木関係で今話題なのはドナルド・キーンの「石川啄木」です。
ここに朝日のインタビュー記事があります。
http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ5L4CTXJ5LUCVL00Q.html
参考迄に
訪問する各地のミニデータと参考記事です。

①樋口一葉菊坂旧居跡 (本郷4-32)※寄り道
樋口一葉が明治23年から25年に、母と妹と一緒にこの辺りに住んでいたそうです。一葉も使った井戸が残っていました。
②赤心館跡 石川啄木旧居跡 (本郷5-5-16)
啄木が北海道から文学への志をもって上京した際、友人の金田一京助を頼って同宿したのが赤心館です。現在はオルガノ株式会社の社屋になっています。
蓋平館(がいへいかん)別荘跡(本郷6-10-12)(去年まで太栄館という旅館があったが現在取り壊している)
明治41年9月から明治42年6月迄の9ヶ月間暮らした。
③富士屋ホテル跡地
宮本百合子等の文化人が多く宿泊した旅館
④蓋平館(がいへいかん)別荘跡(本郷6-10-12)(去年まで太栄館という旅館があったが現在取り壊している)
明治41年9月から明治42年6月迄の9ヶ月間暮らした。
⑤旧喜之床(本郷2-38-9)(元弓町2-17)
今はアライという理容院になっています。当時は新井こうさんという家だったようなので同じ新井さんが所有者だと思います。
私が東京に来た40年近く前には唯一の現存する東京の啄木史跡として在りましたが今は明治村に行っています。
⑥(「啄木終焉の地」碑(東京都文京区小石川5-11-7)
啄木はここで亡くなった。最近、立派な歌碑と顕彰記念館が出来た。
――
コース参照
http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/sanpohongo.html
参考
国際啄木学会2015年東京セミナー
http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-223e.html
以上です。

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2016年度「啄木コンクール」作品募集!

啄木コンクールが今年も行われます。

作品は20首
応募料は1000円
募集期限は2016年1月31日まで。
賞金は入選5万円佳作1万円。
投稿先は新日本歌人協会
です。

啄木を始めとする生活派短歌の流れを継承する新日本歌人協会の主催する行事です。
奮ってご応募下さい。

詳細はこちらをご覧下さい。

2016年度「啄木コンクール」作品募集のご案内

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国際啄木学会2015年東京セミナー

Takuboku


我が新日本協会の主催する今年の啄木祭は5.31に行われます。

2015年啄木祭のご案内

啄木祭の文化行事に出演頂く藤枝貴子さんを紹介します

その前の啄木関連の行事にはこれがありますので紹介します。

国際啄木学会2015年東京セミナーの案内の転載です。

  テーマ:岩城之徳初代会長没後20年
  サブテーマ:啄木終焉の地歌碑建立

 日時:2015(平成27)年5月10日(日)11:00~19:30
 場所:明治大学駿河台校舎研究棟4階第1会議室 、カフェ・パンセ

東京セミナー前日の文学散歩

 本郷界隈の散歩と啄木終焉の地歌碑及び啄木顕彰室の見学(小雨決行)

 2015年5月9日(土)12:40集合 13:00~15:00 or 16:00

集合場所:文京区役所(シビックセンター)1階フロア:インフォメーション付近
【散歩コース】 シビックセンター(文京区役所)26階の展望台から啄木ゆかりの地について全体的な説明を行った後、シビックセンターを出発して下記の順に徒歩と電車にて移動する。

文京区区役所⇒蓋平館別荘跡⇒赤心館跡(菊富士ホテル跡記念碑も見学)
⇒(宮沢賢治、樋口一葉、金田一京助旧居跡を通る)喜之床 
⇒地下鉄丸の内線「本郷三丁目駅」 ⇒「茗荷谷駅」 
⇒啄木終焉の地歌碑及び啄木顕彰室の見学

詳細は以下です。

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啄木祭の文化行事に出演頂く藤枝貴子さんを紹介します

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5月31日に行われる啄木祭の文化行事に出演頂く藤枝貴子さんを紹介します。

偶々私がかみさんと越谷レイクタウンで聞いたアルパの音色をもう一度聞きたくてメールでお願いした所ご了解を頂いたものです。

藤枝さんは私の顔をご存じないと思います。

全く縁が無いと思っていたのですが文団連でご一緒しているうたごえの仲間たち一押しのクミコさんのCDのレコーディングにも参加されており同じ埼玉県人で子どもが幼稚園に今年上がった(こちらは孫ですが。。)という共通項がありました。

たかこ・やぎりんバンド♪としての活動もされています。

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啄木の井戸は深い(2014啄木祭に参加しました)

2014啄木祭に参加しました。

100年も前に活躍した啄木は今の時代に確かに生きていると確信した今年の啄木祭でした。
以下の会でした。
ーーー
2014年啄木祭
日時:4月27日(日)13時半
場所:東京仕事センター
講演者:池田功(明治大学教授 国際啄木学会副会長)
講演タイトル:現代における啄木の魅力
主催:新日本歌人協会
ーーー
以下一部の記録です。

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