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カテゴリー「文化・芸術」の記事

わらび座ミュージカル「小野小町」を観た。

5.20に東京国際フォーラムでわらび座ミュージカル「小野小町」を観た。
小野小町は六歌仙(在原業平 僧正遍昭 喜撰法師 文屋康秀 小野小町)の一人である。

歌人の末席を穢す者としてはいろんな和歌が印象に残ってます。
中でもテーマのように最後に流れるこの歌が一番凄いと思いました。

「我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ」

何たる達観の境地であろうか。
これは唯物論者の言葉です。
少なくともただ美人で和歌が上手かっただけではない強い女性としての小町を知りました。

わらび座に頼まれた時にたまたま小野小町を調べていたという、脚本を書いた内舘牧子は世界三大美人の一人(日本では)の小野小町の強さをこの歌で表したという。
わらび座も 「強いからこそ美しい」というキャッチフレーズを使っている。
warabi.jp/komachi02/

「美人薄命」と言いいますが、小野小町は92歳まで生きたそうです。
医療の発達していない当時としては大変な長生きをした人でしょう。
最後は洞窟で暮らすシーンで終わりました。
こういう人生の終わり方が出来るといいですが凡人には無理でしょうね。

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徐京植さんの啄木発見

私が新日本歌人代表の幹事である文化団体連絡会(文団連)主催の「生きる権利と文化フェスティバル」が土日の二日間行われた。

土曜はナターシャ・グジーさんのコンサートが、日曜は東京経済大学教授の徐京植さんの講演があった。

徐京植さん私達が学生時代その救援運動に関わった徐勝・俊植さんの弟だ。
NHKのeテレの心の時代で「フクシマを歩いて」という番組徐さんは紹介されて講演依頼が殺到しているという。
会場で三つの詩が読み上げられた。
何れも3・11前に作られたものだがフクシマに送られているエールのようだった。
(このフェスティバルでは我が新日本歌人の短歌群読「憲法を詠む」をはじめ各団体からの出し物があったが、「うたごえ」の「原発下請け労働者の歌」はなんと31年前に作られたものだという。
それを聞くまではてっきり最近作られたものだと思った。
こういう歴史の事実は発掘と顕彰と伝承されなければならないならないと思う。)

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「啄木から受け継ぐもの」(2011啄木祭碓田のぼる講演録)

本日エヂュカス東京で開催された2011啄木祭に参加しました。

twitterでライブで呟いた内容を一部加筆・修正してアップします。
あくまでも私流の解釈で正確な書き起こしではありません。

2011啄木祭なう

短歌群読「東日本大震災」
独唱 野村圭子ソプラノ ピアノ伴奏 長友美夏
啄木コンクール表彰 入選 該当者なし 佳作 三浦勉「未明」

ーー

碓田のぼる氏講演「啄木から受け継ぐもの」(15時ー16時半)  

配られたレジュメはこうなっていました。

1。啄木晩年5年間の実生活の推移
2。奇跡の一年のどだいー啄木における生活の発見
3。「大逆事件」との邂逅ー命をけずる格闘
4。死を前にした9ヶ月間の「金銭出納帳」
5。ここに未来ありと「新しき明日の来るを信ず」をめぐって

以下概要です。

北上の歌碑没後10年の1922年に作られた歌碑が最近作られた陸前高田の分を含めて150個以上ある歌碑の第一号だった。
1933年に小林多喜二は殺された。
そういう時代背景を無視して誤解している人は多い。

やとばかり桂首相に手をとられゆめみてえさめぬ秋の夜の二時

の歌は誤解されている。
桂首相の歌が握手を求めて来たとする歌だというのが誤りの典型で啄木はこの歌で桂首相に危害を加えられる事を恐れているのであって酒でも飲もう等と言っている訳ではない。

時代背景を理解しないと啄木の歌は理解できない。

喜之床での明治43年が啄木の作品のピークである。

今は茗荷谷野駅から行く小石川久堅町は徳永直の作品の舞台で当時の住宅地域としてはあまりいい所ではない。

秋近し! 電燈の球のぬくもりの さはれば指の皮膚に親しき

の歌は世間で言われているような単なる秋の感傷ではなく、やっと電気が引かれて来た喜びを歌ったもの。

井上ひさしの「泣き虫弱虫石川啄木」も喜之床時代の事を描いている。

明治42年6月17日喜之床に移り妻と娘と暮らしはじめるたが、その後に起こった妻の家出事件が啄木の思想に大きな影響を与えた。
啄木の愛情観は妻によって打ち破られた。
家族への責任の自覚と共に生活とは何と文学に問うようになり国家について考え始めた。

「食うべき詩」という評論で啄木「食うべき詩」を提唱しその定義とは

「両足を地面(じべた)に喰っ付けて歌う詩という事である。実人生となんらの間隔なき心持をもって歌う詩という事である。」

と述べている。

彼は新しい実人生と何ら間隔なき心の文学の境地に進み出た。

その後啄木は大逆事件の記録に関わって行くが啄木は大逆事件によって命を短めたのだろうと我が師渡辺順三はよく言っていた

1910年(明治43年)9月 韓国併合(決して対等な合併を表す「日韓併合」でない)

この頃の歌である(明治四十三年歌稿ノート)にはこういう歌がある

はたらけどはたらけど猶我が生活楽にならざりぢっと手を見る

赤紙の 表紙手ずれし国禁の書読みふけり秋の夜を寝ず

ことさらに灯火を消してまぢまぢと革命の日を思ひ通津来るる

「一握の砂」には(表記も変えて)こう改作されて掲載されている。

赤紙の表紙手擦れし 国禁の 書を行李の底に探す日

(これは官憲に指摘されても昔読んでいた本と言う風に言い逃れが出来る)

ことさらに灯火を消して まぢまぢと思ひてゐしは わけもなきこと

(この歌は改作した事によっていかにも無理が出ている。まぢまぢと思うことが「わけもなきこと」のはずが無い)


啄木はオリジナルのままでは発禁とされることが分っていた。

以下「九月の夜の不平」の中の九首は歌集「一握の砂」に収録されてない。

何となく顔が卑(さも)しき邦人の首府の大空を秋の風吹く

常日頃好みて言ひし革命の語をつゝしみて秋に入れりけり

今おもへばげに彼もまた秋水の一味なりしと思ふふしもあり

この世よりのがれむと思ふ企てに遊蕩の名を与へられしかな

秋の風われら明治の青年の危機をかなしむ顔なでゝ吹く

時代閉塞の現状をいかにせむ秋に入りてことにかく思ふかな

地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く

明治四十三年の秋わが心ことに真面目になりて悲しも

何もかも行末の事みゆるごときこのかなしみは拭ひあへずも

これらの歌は大逆事件や韓国併合がバックにある。

「地図の上朝鮮国」の歌は今も使われている日本の領土である赤を弔いの色である黒で消し抵抗の意志を表したものと思われる。

革命の日→わけもなきことなど大逆事件や韓国併合を扱った歌を一握の砂には改作して入れた事は、
閉塞時代の打開方法を文学の領域からアプローチしたもので「時代閉塞の現状」はその頃の代表的評論である。

啄木は大逆事件の記録を「のちのちの世の為に」書いた。
のちのちの人間はそのことに思いを致したい。

一握の砂551首の83.1%(碓田計算)は明治43年作だと戦後分かった。
この一連啄木の言葉を借りれば「弱き心の所産」ではなく「権利に於いてである」

啄木は「田園への思慕」という評論にこう書いている。

「私は、私の思慕を棄てたくないはない、益々深くしたい。そうしてそれは、今日にあっては、単に私の感情に於てではなく、権利に於てである」

岩手県知事は今回の震災の復興に向けた計画について「犠牲者の思境の思い」と言われたがその思いは啄木の思いに通じるところがあり知事は啄木を読まれていたのかもしれない。

幽玄の舞は強い心でと風姿花伝も言っている。

死の前の9カ月間の節子の金銭出納簿は啄木の死の翌日で終っているので啄木が書かせたか?

朝日新聞が働いてない啄木に給料を出したのは偉い。

明治41「政府は軍事費の傀儡にして、国民挙って其の奴隷とせられつつあるを」
明治44「僕の社会主義は僕にとおて夢ではない、必然の要求である」
   「長い間自分を社会主義者と呼ぶことを躊躇していたが、今ではもう躊躇しない」

啄木には複眼の思想がある。
例としては

猿と人間の対話の猿の発言に自然保護の思想
ロシアの将軍マカロフの死を悼み追悼し
戦艦ポチョムキンの反乱兵士を評価する

死の直前に東京都電のスト勝利(片山潜指導)に当たって「 団結すれば勝つ」と啄木が行ったのはエンゲルスのいう「多数者革命」の思想に通じる。
その思いを死の三カ月前の日記に残している。

例え他を捨てても残したい言葉です。

死の状況の中でも未来を見据えた。

墓碑銘を朗読して終わります。

‘今日は五月一日なり、われらの日なり。’ これかれのわれに遺したる最後の言葉なり。 その日の朝、われはかれの病を見舞ひ、 その日の夕、かれは遂に永き眠りに入れり。

ああ、かの広き額と、鉄槌のごとき腕と、
しかして、また、かの生を恐れざりしごとく
死を恐れざりし、常に直視する眼と、
眼つぶれば今も猶わが前にあり。

彼の遺骸は、一個の唯物論者として、
かの栗の木の下に葬られたり。
われら同志の撰びたる墓碑銘は左の如し、
‘われには何時にても起つことを得る準備あり。’

ーーーーー
碓田先生の啄木研究のエッセンスのような講演でした。

秋近し! 電燈の球のぬくもりの さはれば指の皮膚に親しき

の歌の解釈等は先生の発見であり他の啄木研究者の追随を許さぬ正に独壇場の感じがありました。

啄木を継承する民主主義短歌運動体であろうとする新日本歌人協会員として「啄木から受け継ぐもの」を受け継いで行きたいと思います。
ーーーーーー

訂正する前にオリジナルのつぶやきはここにあります。

http://twilog.org/ootsuru/asc


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日刊電子新聞
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「一葉が見た下町 模型に」

2010年10月 3日 (日)に一葉の江戸 正太郎の上野浅草
という記事を書いた。

今朝の日本経済新聞の文化欄に「一葉が見た下町 模型に」という三浦宏さんの文章があった。

現在一葉記念館で行われている「一葉と江戸」という特別展に「三浦屋」という吉原の遊郭の実に写実的な模型が展示されているがそれを作った人だ。

遊郭というものがこういう構造になっていたというのはこの模型を見るとよくわかる。

三浦さんの文章を少し引用します。

「一葉の小説にはそんな下町の様子がよく描かれている。下谷で暮らしたのはわずか九ヶ月半だけれど、一葉には江戸っ子の気質がある。貧乏暮らしでもお金が入るとウナギを食べに行っちゃうし、14歳で入門した歌塾「萩の舎」の歌会では古着姿でも堂々としていた。歌に自信があったんだろう。妹を大事にしていて人力車によく乗せてやったそうだ。一葉の長屋の模型を作った時、建物よりも先に人力車を作ったのはそんなわけだ。」

さすがに一葉と同じ下町に住んで来た人なので、なんだか一葉がすぐ近くに居る感じの文章だ。

更に引用しよう。

「一葉は生活のため下谷で駄菓子、荒物を扱う店を開いた。一葉の長屋を再現する時には日記「塵の中」を読んで、店に並べた品物も考えた。げたの歯は白く、なんていう記述があったから、げたの差し歯も作った。私が子供のころはげたの歯入れ屋という商売がまだ残っていたから、はっと気づいた。
一葉記念館ではいま、「一葉と江戸」という特別展をやっていて、三浦屋のほか模型をいくつか展示している。一葉の時代の下町には江戸の風情が残り、明治の新しい文化も入って来た。そんなおもしろい時代の雰囲気を味わってほしい。」

本を読んで時代考証が出来るといういい例だろう。


一葉記念館の「一葉と江戸」という特別展は10月1日から12月24日までやっています。

以下電脳空間からいくつかの情報です。

ーー

浅草在住の三浦 宏さん(83)は、先々代は船大工、先代は檜の風呂桶、と三代続く職人さん。ご本人は風呂桶の職人です。その技をいかして、江戸時代の町家を十分の一の模型で再現。その緻密さは驚くほどです。
時代考証から当時の生活全般にわたり、自分で調べて製作しますので、1点の製作に1〜2年かかるそうです。しかし、その確かさは歴史学者や建築家からも一目置かれるほどです。

テプコ浅草館 企画展『檜細工師 三浦 宏 匠の技』から


こんな本があるようです。
針穴写真という不思議な世界です。
ピンホールカメラには、露出に恐ろしく時間がかかる一方で、撮影対象のすべてにピントが合うそうです。

amazonには内容と著者に付いてこう書いていました。

ーー

内容(「BOOK」データベースより)
まだ人の温もりが、情緒が、風景とともにあった時代。檜細工が再現した一葉の作品世界。針穴写真が切り取ったあの日の明治。樋口一葉を訪ね、味わうヴィジュアル・ブック。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
三浦 宏
1926年 東京浅 草生まれ。桧細工師・三浦玉舟としても知られる。祖父、父の技術を継承し、風呂桶製作のかたわら、江戸期の家屋や生活道具を職人としての経験と時代考証に もとづき再現。特に十分の一の縮尺で製作された作品は内部まで事細かに表現され人々の気配までが作品にとりこまれている

田所 美惠子
針穴写真家。1990年渡仏。シャロン・スュール・ソーヌ市立ニエプス写真美術館で針穴写真を学んだ後、パリで針穴写真の撮影を始める。1999年社団法 人日本写真文化協会功労賞受賞。大学、美術館での講議やワークショップ、雑誌新聞テレビ等、さまざまなメディアを通じ、針穴写真の先駆者として普及に努め る。2006年より日本針穴写真協会会長

森 まゆみ
東京都文 京区生まれ。早稲田大学政経学部卒業。1984年地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(愛称「谷根千」)を刊行。現在、「谷根千」の仕事を続けながら、環境保 全の活動や幅広い執筆を精力的にこなし、『鴎外の坂』で一九九七年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたも のです)

以上です。

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国際ペン東京大会開会式&レセプション参加記

Photo
(写真提供しんぶん赤旗)井上ひさし作「水の手紙」の群読劇=26日、 東京・早稲田大学大隈講堂


昨日の国際ペン東京大会開会式は素晴らしかった。

水の問題を提起して感動的だった井上ひさし作群読劇も奄美高校の高校生の島唄も迫力があって良かった。
国際ペンや日本ペンの代表や早稲田大学の代表の挨拶もそれぞれ味があった。
政府を代表して2時間前に来たという伴野豊外務省副大臣の話もユニークでコミット感があって良かった。

ただ残念だったのは二つあった基調講演の一つの天安門事件でフランスに追われたノーベル文学賞受賞者の高行健氏が文学者の使命は共産主義と闘う事とネトウヨばりの反共話を延々とした事。

国際ペンと日本ペンの基調はそういう事なのかと疑問を持った。

その後の京王プラザホテルでのレセプションで多くの人と挨拶が出来た。
これだけの人とお話出来たの事は私の人生の中でも画期的な事だった。

早大からレセプション会場に移動するシャトルバスの中でのスウェーデン人の小説家との話も印象的だった。
・日本ペンは国際ペンの中て最大規模で貢献度が高い。
・tankaは文学に興味のあるスウェーデン人なら皆知っている。(少し嬉しかった)
・東京都知事が小説家なのは、いい事だ。スウェーデンでは政治家は文学に興味がない。
 (ナショナリストなので私は嫌いと言ったらそれは分かると言っていた)

以下国際ペン東京大会レセプションで挨拶した人です。
海外関係者
syaman raponganさん (台湾)edvard kovacさん(スロベニア)
日本ペン関係者
阿刀田高会長 中西進さん副会長 浅田次郎専務理事 吉岡忍常務理事 篠弘監事 小中陽太郎さん 松本侑子さん
光本恵子さん 秋尾暢宏さん 浅見夏紀さん 安森ソノ子さん  新倉真由美さん 江藤真規さん 高井泉さん 川瀬文也さん 大久保智弘さん

開会式とセミナーの責任者であった吉岡さんはこの準備に1年半かかったという。
お疲れさまでした。

会場では夫婦で参加している海外参加者が多かった。
夫婦して表現者でこういう会に一緒に参加出来るというのは羨ましいと思った。
会の後一緒に参加した山本司氏と喫茶点で話し28日の短歌のフォーラムでの再会を約して新宿駅で別れたのは夜遅くなってからだった。

途中まで以下twitterで中継しました。

国際ペン東京大会開会式なう!早稲田大学大隈講堂は事前登録者で一杯 13時から井上ひさし作群読劇「水の手紙」で幕開けです。

posted at 12:57:13

国際ペン東京大会開会式 いよいよ開会です。 #PENcongress Tokyo 2010 でつぶやきます。

posted at 13:01:29

国際ペン東京大会開会式2 PENは万年筆ではなくpoet essay novel の略です。私は勿論pです。携帯は使えないのでtsudaるのはあきらめました。 #PENcongress Tokyo 2010

posted at 13:07:21

国際ペン東京大会開会式3 前半が終わりました。「水の手紙」は環境と文学というテーマにふさわしい井上ひさしの遺言のような講演でない公演でした。私達は水で出来ているんです。 #PENcongress Tokyo 2010

posted at 15:10:03

国際ペン東京大会開会式4 阿刀田高日本ペン会長 ジョン•ラストン•サウル国際ペン会長 外務副大臣挨拶 奄美高校の歌と踊りが迫力があった。 #PENcongress Tokyo 2010

posted at 15:21:13

国際ペン東京大会開会式4 後半はマーガレット・アトウッドさん高行健さんの基調講演です。 #PENcongress Tokyo 2010

posted at 15:27:23

参考記事

spork.jp
http://www.spork.jp/2010/09/post-153.php
国際ペン 東京大会 大隈講堂などで開催 吉岡忍さんに「環境と文学」を聞く
  世界102カ国の文学者らで組織する国際ペンの年次総会「国際ペン 東京大会2010」が9月23日~30日、早稲田大学大隈講堂などで開催される。参加85カ国・地域は過去最多となる。「環境と文学」をテーマに掲げ、環境をめぐる多彩な朗読劇を上演する今大会について、作家で日本ペンクラブ常務理事の吉岡忍さんにインタビューした。


NHK
国際ペンの大会 東京で始まる
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100926/t10014206981000.html
世界の作家や詩人などでつくる団体、「国際ペン」の日本での26年ぶりの大会が「環境と文学」をテーマに26日から 東京で始まりました。
「国際ペン」は文学の振興や表現の自由を広げようと1921年にヨーロッパで発足した作家や詩人な どの団体で、現在、世界の100を超える国と地域のおよそ2万人が参加しています。日本で26年ぶりに開かれることしの大会のテーマは「環境と文学」で、 26日の開会式では、ことし亡くなった劇作家の井上ひさしさんが世界の水の問題を扱った戯曲、「水の手紙」が上演されました。

読売新聞
国際ペン 東京大会、中国出身の亡命作家ら講演
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100926-OYT1T00510.htm?from=nwlb

「しんぶん赤旗」
環境と文学考える
国際ペン総会が開会
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-09-27/2010092701_04_1.html
大会テーマ「環境と文学—いま、何を書くか」の基調となる、井上ひさし日本ペンクラブ前会長作の群読劇「水の手紙」を公演。村から水が消え人が消えたウズ ベキスタン、コロラド川の河口が干上がったメキシコ、国土が海に沈む危機にさらされるモルディブ、遠くの井戸まで水をくみに行かなければならないアフリカ など、世界各地の環境破壊と水の問題、貧困と格差の問題を告発し、「水はめぐる、世界をめぐる。水は一つ、世界は一つ」と語りかけます。

新日本歌人」(月刊月850円)と「炎」(年二回発行一冊1000円)の申し込みはメールフォームからどうぞ

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平山良明氏ジェームズ三木氏講演録

憲法を考える歌人のつどい in 発明会館 に参加しました。
最前列に陣取ってtwitterでtsudaろうと思いましたが残念ながらインタ−ネットが通じませんでしたので箇条書きにまとめて記録します。
最初の方は中休みに外に出てtwitterで 送った記事です。

ーーーー

短歌往来で 沖縄連載中 (奄美五島について)の沖縄の歌人平山良明さん沖縄の歴史について講演中です。
琉球国は500 年間戦争をしなかった。
沖縄は大琉球 台湾は小琉球と言われ今でもそういう言い方が台湾にある。

平山良明氏講演2

短歌四首

かみほとけキリストもいくさの道具たり風向き如何「憲法九条」
基地ある限りおきなわの戦後は終わらない世紀を走れ「憲法九条」
ふところにジュゴン棲まわせ空広し辺野古朝ぼらけ蒼きしずもり
神の道は何処も閉ざされ行くあたわず基地のフェンスに石がんとうが睨む

平山良明氏講演3
沖縄文学全集/短歌編編集雑感
沖縄の歌
那覇の江はらめき過ぐる夕立はさびしき舟をまねく濡らしぬ
折口信夫
狭き貧しきこの島にして彼等の為ゴルフ場あり誰も疑わず
呉我春男
いはまくらかたくもあらむやすらかにねむれとそいのるまなびのともは
中宗根政善

平山良明氏講演4
沖縄の歌はなまなましいと言われるが生々しいでいいではないか!
憲法九条を世界憲法に!
平和は各人の幸せな生活につながり人生の豊かさにつながります。

ーーーー

ジェームズ三木氏講演「憲法と私」

憲法を考える歌人のつどいジェームズ三木さん講演1

漫談風に気楽に喋っていたが、中身は説得力があった。

以下殴り書きです。
1955年にフランク永井に対抗して歌手デビューしたが全然売れなかった。
テイチクの宣伝の部長に名前を付けてくれと頼んだら「これから税務署に行くので忙しい」と言われディックミネと混ざったジェームズ三木という名前となった。

憲法を考える歌人のつどいジェームズ三木さん講演2
江守徹に似てるとよく言われると本人に言ったらむっと来てあんたは西田敏行に似ていると言われたのでむっと来て次の配役は石田三成と吉良上野介にしてやった。

憲法を考える歌人のつどいジェームズ三木さん講演3
7人の刑事の最終回が脚本家デビュー作だが「ジュース三本」とクレジットされた。
自分の脚本のテレビドラマで刑事が和服で犯人を追いかけているのでおかしいなと思ったら、「私服」が「和服」と印刷されていた。

憲法を考える歌人のつどいジェームズ三木さん講演4
八代将軍吉宗で大奥の奥女中が若侍を局部屋に連れ込むはずが屋が抜けて局部に連れ込んでしまった。
独眼竜政宗は毒になったり流になったり正宗になったりした。
正宗は菊正宗

憲法を考える歌人のつどいジェームズ三木さん講演5
四文字熟語では弱肉強食が焼肉定食に、荒唐無稽が後頭無毛に
更に「あたかも」を使った短文に「冷蔵庫に牛乳があったかもしれない」になる。

この後はブログで続けます。

では続けます。

言葉を大事にしよう

最近テレビを見ていても変な感じの言葉がある。
「マグロの値段がうなぎ上り」
「自動車産業が自転車操業」
「日本映画は「おくり人」で息を吹き返した。」

2万年前ネアンデルタール人が絶滅してホモサピエンスが生き延びたのは言葉を持ったから

1200年日本人は縦書きだったが最近一気に横書きになっている
アナウンサーが旧中山道を一日中山道と読んだのは横書きだから
漢字は中国語 日本人は皆中国語で自分の名前を名乗る
絶対に短歌を横に書かないようにして下さい

語りは24%文章は50%しか伝わらない

B4でコピーしてくれと言われた人が地下4階まで行った
地下鉄で子どもたちが箱に向かって叫んでいたので見ると「皆さんの声を入れて下さい」と書いてあった
病院で「お小水はここからお願いします」と掲示してあった(ちょっと間違うと悲惨なことになる)

脚本家は書く前から映像が出来ている
(それと同じ映像が出て来た事は一度もない)
作曲家は楽譜で建築家は設計図で正確に再現してもらえるが言葉というものは曖昧

大事な事は簡潔に書く事が大事

丁寧に書くと焦点がぼけて伝わらない
(親切な人ほど道の教え方が下手)

相手の身になる事が大事

小説は一つの視点で書いている
ドラマはアングルが切り替わるのでそれぞれの視点が必要
黒沢明は一言でその映像は分らなければならないと言った
1シーンには1テーマとも言った
(子どもに3つ叱ることがあったら3回に分けて行った方が伝わる)

憲法も曲げて解釈されることがある

憲法とは何か?
国歌権力が勝手な事をしないような罠
国家がそれを変えようと言う時には気をつけなければならない
泥棒が縄を解いてくれと言っているようなもの

戦前の憲法とあまり変わらない案しか出さない日本国政府にGHQは3つの原則を提示した
戦争放棄 基本的人権 民主主義
それに基づき日本は草案を作った
日本国憲法は初めて口語になった
(山本有三等の国語学者の意見が入った)
peopleを「国民」と訳してしまったので対象は日本人のみになったが本来の意味は「世界の人々」
これによって外国人は日本国憲法の外に置かれた
「前項の目的を達成する為」という芦田均が入れた言葉を根拠に九条には例外があるという主張をする人がいる
「遺憾に思う」は謝罪ではない (国際的に誤解が起る元)
戦前戦争はやってはいけないと(国際連盟で)決まったので日本政府は「事変」という言葉を発明した
巡洋艦の事をイージス艦と呼んでいる
今でも軍隊は九条で持てないので日本政府は軍隊を「自衛隊」と呼んでいる

(小沢氏は文脈が乱れる 文章にすると何がなんだか分らなくなる。管氏は前置きが長いので訳が分らなくなる)

日本は脱小沢より脱アメリカが必要
日本人はアメリカを恐れている
CIAは外国の元首を暗殺する
テレビ局の社長(正力松太郎)がCIAだったと最近はっきりした
アメリカは日本人をどれだけ変えられるか実験した事がある
それはアメリカでは母の日にカーネーションを贈るとキャンペーンを張った事
1年も経たないで日本人は皆母の日にカーネーションを贈るようになった

北朝鮮の人は日米が闘っている時には日本人だった
創氏改名で金は金田になり朴は木下になった
朝鮮戦争は休戦状態のまま60年が経ってしまった
アメリカは軍需産業が動かしている所があるので紛争の種は残しておきたい
アメリは北朝鮮と仲良くしておきたくない
最も非民主的な軍隊を使って民主主義を広められる訳がない

憲法は民主主義の押しつけと言う意見があるが日本の法システムで外国から入っていない物はない
聖徳太子の「17条の憲法」初め長く中国からの輸入だったし大日本国憲法は伊藤博文らがドイツに留学して学んで作ったもの


「地デジ」という言葉は汚い
明治になって輸入ことばに当てた「葉書」や「為替」等という言葉は大和言葉の伝統を引いていて美しい
歌人は新しい言葉を創造して欲しい

憲法が出来た時に9割以上の国民が賛成した
前文と九条は世界憲法に値するが日本は自衛隊を持っているため世界に広げられない

我々は一人一人が歴史の中継ランナー
情愛や日本情緒を次の世代に渡さなければならない
核兵器や大気汚染など汚れたボタンを渡していいのか?
我々は先祖に対しても子孫に対してもだめな世代となろうとしている
核兵器が使われると人類は全滅する
100年後人類があって欲しいなら、国境や戦争が無くなって欲しいなら、その為に今何を成すべきか

政治家は次の選挙、企業の経営者は利益の事しか考えてない
政治家にも企業家にも無理なら歌人が考えて下さい
政治も経済も手段なので手段を目的化してはいけない
学問も健康も手段
目的は歌詠みの心の中にきっとあるはず

今は若い人に手段ばかり教えて目的を教えていない
目的は 愛 安らぎ 楽しみ
喜怒哀楽の喜は山に登った達成感であり、楽は山登りの途中の期待感
(ちなみに怒は不安感 哀は失望感)
人間は楽しみの為に生きている
歌詠みは非常な楽しみ

政治は国家がある限り対立する
経済も対立する
宗教も紋族も対立する
しかし 文学芸術は対立しない
価値観を共有出来るというのは国際交流の基本
ドラマは韓国にやられ相撲はモンゴルにやられ政治はアメリカに足首を掴まれている
盧溝橋事件のように韓国船沈没事件が見える

全員が平和愛好家であり同時に闘争本能がある
ドラマは食欲系と性欲系に分かれる
欲望の暴走を制御する装置が昔は神であり今は憲法や法律
今は国取りの為に戦争が行われていたが今千葉県と神奈川県が戦争するという心配はない

戦争のない社会は必ず実現出来ると私は信じる

ーーー
こうして箇条書きで書くとつながりが分りにくいかと思いますがこの講演のテーマは文学者の役割の提起と憲法の世界性です。

歌人には新しい言葉の創造等の宿題を貰った。
横書きをしないようにと言うのは当然議論があるだろう
旧中山道を一日中山道と読んだのは横書きの責任よりもそんなアナウンサーを採用した企業の責任だろう

ともかくジュームズ三木さんの信念のような物を感じた講演会でした
「憲法はまだか」と言う著作もあります

いろいろと読んでみたい本が増えました

ーーーーーーーーーーーーーーー
(NHK問題)
日曜討論に全政党の参加を!
ーーーーーーーーーーーーーーー
(定数削減問題)
秘書の経費も含めて、1人の国会議員にかかるお金は約7000万円です。80人分削ると56億円。
一方で、政党助成金は320億円ですが、これを削ったら何と450人分の国会議員を削るのと同じくらいになる。

ーーーーーーーーーーーーーーー
(消費税増税問題)
泉谷しげるの消費税「10%」だと!?

消費税増税絶対反対!大脇道場キャンペーン第5弾!導入以来、累計で224兆円。 同時期に大企業などの法人三税(法人税、法人住民税、法人事業税)などの減税が累計で208兆円。

Photo
ーーーーーーーーーーーーーーー

湯浅誠さんを東京都知事に!


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江戸東京博物館へ行った

娘と両国の江戸東京博物館へ行った。
中に入ったのは初めてだった。

江戸東京博物館
なかなか展示物がスケールが大きく大したものだった。
日本橋は実物大の大きさで復元されていた。
両国橋の模型などは橋の上の小さな人物まで力が入って作られている感じがした。
よく見ると橋の真ん中でおかっぴきがスリをつかまえているシーンなどがあった。

たまたま特別展で写楽展をやっていて美術に興味のある娘も喜んでいた。

ギリシャ・コルフ島にある国立コルフ・アジア美術館のマノス・コレクションにあった写楽の絵だ。


下はかみさんに土産で買った内輪の写楽の絵です。
新発見の絵です。

3

東洲斎写楽 「四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪」  
 今回発見された写楽の肉筆作品。図上には松本幸四郎が演ずる加古川本蔵のせりふの一部が記されています。賛(さん)の冒頭に五代目松本幸四郎とありますが、賛は後世に書き足されたものと思われ、その顔の特徴から四代目を描いたものとわかりました。
  老練の名優(幸四郎は当時数え 59 歳)が演ずる忠義の武士と、若い女形(米三郎は同じく 22 歳)が扮する初々しい娘の、役者の風貌と役柄の性格が生き生きと再現されています。


江戸東京博物館へ行った
カタヤマのステーキ(「いつまでも庶民の味を」という不破哲三さんの色紙を掲示しているステーキのうまい店)
御参考
2009年3月21日 (土)
レストラン カタヤマ紹介

江戸東京博物館へ行った
写楽展の横断幕

江戸東京博物館へ行った
江戸の町並み

江戸東京博物館へ行った
両国橋

江戸東京博物館へ行った
凌雲閣の模型です。

かつて石川啄木はこう歌っている。

 浅草の凌雲閣にかけのぼり息がきれしに飛び下りかねき

高さ52mという、当時としては驚異的な高さを誇る八角形の高塔ですから走って上がれば啄木の息も切れるでしょう。本気で自殺する気だったとは思いませんがこの高さではとても自殺する気にはならないでしょう。

企画展の案内文

真筆と確認された写楽の肉筆画を世界で初めて一般公開!   2007 年に世界遺産に登録されたギリシャ・コルフ島にある国立コルフ・アジア美術館には、ウィーン駐在ギリシャ大使のグレゴリオス・マノス氏が、 19 世紀末から 20 世紀初頭にかけて、パリとウィーンで購入した 1 万点以上におよぶ美術が所蔵されています。  そのコレクションは 1 世紀のあいだほとんど人の目に触れることがありませんでした。しかし、 2008 年 7 月に日本の研究者による大々的な学術調査が行われ、謎の浮世絵師、東洲斎写楽による肉筆扇面画が発見されたのです。これは写楽が版画での活動を終えた後の 1795 年(寛政7) 5 月に描かれたものとみられ、従来の写楽研究に大きな影響を与える大発見となりました。このほかにも、喜多川歌麿、北斎などの新出の浮世絵版画のほか、江戸城本丸にあった狩野探幽の屏風の摸本(原寸大)など絵画作品も次々と確認され、ギリシャに眠る秘宝の全貌が明らかになりました。  本展はこうした調査の成果を紹介するもので、膨大なコレクションから浮世絵、絵画など約 120 件が出品されます。真筆と確認されている写楽の肉筆画が一般に公開されるのは、世界で初めてのことです。

Photo


今夜はもう一本書く予定です。
ではまた・・・

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IKEAと ウィリアム・モリス展

最近近所にできたIKEA新三郷の99円モーニングを食べに出かけました。
(IKEAはスエーデンの大衆家具屋さんです。)
結局二人で千円にはなりましたがお値打ち朝昼飯を食べました。


これで千円


99円モーニング


99円モーニングの看板

我が家は息子が生まれた30年前に西船橋に住んでいたので船橋のIKEAによく行っていたので食卓やソファ-をはじめIKEAの家具が多い。

そのあとせっかくの休みだからと妻の提案で、妻と二人で上野の東京都美術館で開かれている

生活と芸術——アーツ&クラフツ展 ウィリアム・モリスから民芸までhttp://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2008/368.html#2

を見に行った。

ウィリアム・モリスは(大阪に住んでいた時に)京都で展示会があった時に次女と妻と見たことがある。
次女がその展示会のあと少し影響を受けたようだと妻は今日言ってました。
(最近このブログのタイトルに使っている猫の絵は「タビサの庭」という我が家の猫を描いた次女の作品です。

我が家にはウィリアム・モリスの書いた柄のテーブルクロスやリバティのカーテンがあります。
(リバティはイギリスのデザイン会社でウィリアム・モリスのはじめたデザイン運動「アーツ&クラフツ」の成果を引き継いでいます。)

生活と芸術——アーツ&クラフツ展 ウィリアム・モリスから民芸まで ウィリアム・モリス 《果実あるいは石榴(5番)》 1862年(制作は1864年) © V&A Images/Victoria and Albert Museum Given by Morris and Co. 「アーツ&クラフツ展」へようこそ。19世紀後半にイギリスで興ったデザイン運動「アーツ&クラフツ」の広がりを、 ウィリアム・モリスを中心とするイギリス、ウィーン工房がひときわ輝いたヨーロッパ、そして民芸運動が花開いた日本での美しい作品からたどります。 装飾芸術の殿堂、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館(V&A)との共同企画で、V&Aと国内の美術館などから、家具、テーブルウェア、 ファブリック、服飾、書籍やグラフィック・デザインなど約280点を一堂に出品します。必見は、柳宗悦らが昭和初期に建てた「三国荘(みくにそう)」の 再現展示です。柳の収集品や若き濱田庄司、河井寬次郎、黒田辰秋らの作品で飾られた室内には、民芸の原点を見ることができます。 手仕事の良さを見直し、自然や伝統から美を再発見し、シンプルなライフスタイルを提案する。アーツ&クラフツが生み出した精神は 、現代の生活に影響を与えながら、今なお遠い理想のようにも映ります。モリスや仲間たちが作り出した家具や壁紙、当時の最先端都市ウィーンの 前衛的な家具やグラフィック、「用の美」を見いだした民芸の美意識を味わいながら、生活のなかの芸術について思いをはせる機会となるでしょう。

ウィリアム・モリス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


によるとウィリアム・モリスはマルクス主義者でマルクスの娘エリノア・マルクスらと行動をともににしたらしい。


ヴィクトリア朝のイギリスでは産業革命の成果により工場で大量生産された商品があふれるようになった。反面、かつての職人はプロレタリアートになり、労働の喜びや手仕事の美しさも失われてしまった。モリスは中世に憧れて、モリス商会を設立し、インテリア製品や美しい書籍を作り出した(植物の模様の壁紙やステンドグラスが有名)。生活と芸術を一致させようとするモリスのデザイン思想とその実践(アーツ・アンド・クラフツ運動)は各国に大きな影響を与え、20世紀のモダンデザインの源流にもなったといわれる。

プロレタリアートを解放し、生活を芸術化するために、根本的に社会を変えることが不可欠だと考えたモリスはマルクス主義を熱烈に信奉し、エリノア・マルクス(カール・マルクスの娘)らと行動をともにした。エリノアらと民主同盟を脱退し、1885年、社会主義同盟を結成、その後、再びエリノアらと脱退し、エリノアらとハマスミス社会主義協会を結成した。

その後は政治家としてイギリスの議会で活躍したらしい。


この展示会にはロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館の所蔵品と京都の大山崎の大山崎山荘のコレクションがたくさん集められていた。
時に目立ったのが、「アーツ&クラフツ」の流れを組む日本の民芸運動の創始者である柳宗悦らが昭和初期に建てた「三国荘」の部屋の再現である。
京都の五条にある河井寛次郎美術館と大山崎山荘で見た覚えのある民芸運動の作品が展示されていた。


ジョン・ラスキン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
にによると
ラスキンはウィリアム・モリスだけでなく多くの人に影響を与えている。

* レフ・トルストイはラスキンを「自身の心で考える稀有の人物の一人」と評した。
* 夏目漱石は『文学論』でラスキンの美学を紹介している。
* 真珠王御木本幸吉の一人息子隆三(1893-1937年)は、旧制一高時代にラスキンの著作に出会い、オックスフォード大学留学でラスキンの研究に情熱を注ぎ、銀座に「ラスキン文庫」を開設した。
* マルセル・プルーストはラスキンに傾倒しており、著作のフランス語訳まで行っている。文体でも影響を受けた。
* ガンディーもラスキンの著作に影響を受けたという。

銀座に「ラスキン文庫」は今も活発に活動しており私の知人も熱心にラスキンの研究をしていた。

社会主義の流れがあまり意識しない日本の世の中の底流に幅広く影響を与えている事を思う。


展示会のあとグラタンを半分づつ食べましたが花粉症の妻の目が充血してきたので車で一気に家路をたどりました。



上野公園のジャグリング日本一(?)の青年の5ツ輪の妙技


今日はこんな所です。

メールマガジンの発行を始めました。
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「60歳のラブレター」

今日は妻と二人で親族の病気見舞いに行った。
帰りに東武東上線の車中で大人のラブレターといういい詩を吊り広告で見た。
「あれ見てみな」と言ったが妻は字が小さいからいいと見なかった。

日光に紅葉を見に行こうという事を提案するラブレターだった。
ネットで探してみたが見つからなかった。

その代りに住友信託銀行の「60歳のラブレター」がありました。
大賞一つと金賞十五個紹介します。

こんな手紙を妻に書いてみることがあるかな・・・?

ーーーーー

第8回「60歳のラブレター」金賞受賞ラブレター
※受賞者の年齢は、2008年1月31日現在のものです。

大賞 宮川 紀之 (みやかわ のりゆき) 様  [千葉県 67歳]

君にいいそびれていることがあるんだ。二人で六畳一間の生活を始めたころ、もう四十年も前だなあ。会社の悪友に帰り際、新婚は早く帰れ、と冷やかされ、意地を張って、何いってんだ、と、やせ我慢して一杯付き合っていた頃だ。ある朝、今日は早く帰るよ、といって出かけたものの、会社を出るころにはすっかり忘れ、またもや午前様。
 で、部屋に帰ると、君は布団にもぐってた。目尻に涙の跡があったっけ。いつもは起きて待っているのにどうしたんだ、と少し怒っていった。そうしたら君は、ポソっと「今まで、ずっと駅で待ってたのよ」といって背を向けた。あっ、そうだ、しまった!と思ったけど、口から出たのは「バカ、会社に行けばいろいろある、何ふくれてるんだ!」とやってしまった。素直に謝れない、男の何かが邪魔したんだ。僕も青かったなあ。

 今でもふとそのことを想いだし、君が、西武線の駅で、電車から次から次へ吐き出されてくる人たちの中から、たったひとり、この俺をずっと探していたのか、と思うと胸がツンとなって、ああ、あのとき、ぎゅっと抱きしめてあげればよかったのに、と、きまって切なくなるんだ。こんなこともう覚えてないだろうけどね。でもいつかそのことを謝ろうと思っていたんだよ。  ごめんね、千恵子。


金賞 平野 聖子(ひらの せいこ) 様 [青森県 57歳]

  おバカさんの妻から夫へ
あなた覚えてますか、初めて会ったあの頃のこと。
私の友人が勤めている会社の先輩だったあなたにひと目惚れし生まれて初めて書いたラブレター、十日程してあなたから手紙が届き高鳴る胸を押さえて封を開けた瞬間、恥ずかしさの余り何処か遠くだれも知らない町へ逃げ出したくなったわ。なぜってそれは紛れもなく私があなたに出した手紙、それも誤字や脱字の箇所に赤ペンで線を引き丁寧に添削、ショックでした。
ただ最後の空いた一行に「今度の休みに会いませんか」っと、そのひと言に救われたわ。後で友人が「あの人校正の課にいるのできっと仕事ぐせが出ちゃったのよ」と、笑ってから「でもね、こんな手紙を書く女性の顔が見たいってわたしに言うのよ、失礼よねだからやめなさいよこんな男の人」って、そう言われてもあなたのこと好きだから許せたの、私。
そんな好奇心丸出しで会ってくれたあなたと結婚まで辿り着き子どもたちにも恵まれ三十年経った今でもラブラブの私たち、人生ってほんとに面白いものですね、あなた。     

金賞 小澤 美智子(おざわ みちこ) 様 [埼玉県 61歳]

「お母さんが一人になっちゃ可哀想だよ」と貴方が私の家に来てくれ三人で始めた結婚生活だった。
心細かった母子二人の暮しが一転し 母は本当に喜んでくれた。
家族が四人五人と増え幸せそのものだった年月…。
二人の子どものうち一人は順調な巣立ちをしたけれど 一人は私達をおいて遠くに旅立ってしまった。
そんな時も貴方は「前を向いて行こう!仕方ないんだ 明るく生きていく事があの子の供養になるんだよ」と引っぱっていってくれたよね。
母は天寿を全うする時「パパのおかげで良い人生だったよ」と貴方の手を握り永遠の眠りについた。
思えばこうして二人だけで生活するのは初めての事だね。
よそと順序は逆だけど 四十年目の新婚生活って事にして仲良くやっていきましょう これからもどうぞよろしくネ

金賞 星野 典子 (ほしの のりこ)様 [埼玉県 56歳]

 結婚当初、私は料理本を片手に連日悪戦苦闘していました。材料をそろえ、調味料もきちんと計り、書かれているとおりに作っても、いまひとつ美味しくできない。今思い出しても、憂鬱な新婚生活でした。
 一ヶ月ぐらいたった頃だったでしょうか。偶然あなたが作ってくれた料理は、献立、味付け、盛り付け、すべてに文句なし。そんじょそこらの料理人顔負けでした。聞けば、大学時代から作っていて、一時は海外で日本大使のための料理まで作っていたとか。「それならそうと言ってくれればいいのに!」という私に、「がんばって作っているのに、言ったらかわいそうだと思った」と。
 それから今日まで、私は「食べる人」専門となりました。
 あなたの料理を食べて育った子は今では180センチを超えるまでに成長しました。最近一人で大学生活を送るようになって、時々料理の作り方を聞いてきているようですね。あの子があなたのように美味しい料理ができるようになったら、近い将来また一人、私と同じ幸運な女性が生まれることでしょう。
 いつもは「ごちそうさま」としか言わないけれど、ほんとうに感謝しています。子どもと二人分の「ありがとう」を贈ります。
 ところで、今夜のメニューはなんですか。

金賞 山田 久子(やまだ ひさこ) 様 [埼玉県 60歳]

浩三さん覚えていますか・・・・・
大きなお腹をした私が雨の中を、駅まであなたの傘を持って行った日の事を。
幼い頃に、母親を亡くしたあなたは下校時に雨が降っていても傘を持って来てもらったことがなく、その光景にあこがれを持ち続けていましたね。夕暮れ時、“傘を持って来てくれないか…”という駅からの電話に、“タクシーで帰ってくればいいのに…”と言いかけた私は以前に聞いたその事を思い出したのです。ソロソロと歩いて行ったので三十分以上待ったと思いますがとてもうれしそうに迎えてくれましたね。そして私を駅に残して自転車で帰り、車で迎えに来ましたね。出産を間近に控えていたので頼めるのはこの時しかないと思ったのでしょう。“無理なことを頼んですまない”とあなたはくり返し言っていましたが、喜んでもらえたので私もとてもうれしかったですよ。
あれから三十五年、私が頼みたいこと以上によく気がついて親切にしてもらい大変助かっています。喜んでくれる人がいることは幸せだとよく言っていますが、私も同感です。最近はあなたのやさしさに慣れてしまい感謝の表現がおろそかになっていたと思います。あなたの心遣いにいつも心から感謝しています。 でも休日の朝、もう少し寝るつもりでトイレからもどると布団が片づいていたり、さましておいたつもりのお茶が洗われていたり…私にはとてもできない素早い行動にびっくりです。これからはもう少しのんびりと過して下さい。そして私の作る大好物のコロッケを末永く食べて下さいね。

金賞 藤沢 照子 (ふじさわ てるこ)様 [東京都 76歳]

会社人間の貴方が、突然六時前に帰って来た。
「ママ明日は大事な試験なんだろ。夕食の片づけと子供の面倒みるから勉強しろよ」と言う。資格が欲しくて栄養学を学び始めた私に、明日は実習を兼ねた国家試験。二人の小学生の子は、主人の言うことは何でも聞く。「ママ、ガンバルのよ」と声を揃える。翌日、筆記試験後の料理検定会場で取り出した二本の庖丁はピカピカに研がれていた。「ありがとうあなた。おかげでいい成績で合格しました。」合格証書を胸に抱き、主人にまっさきに見てもらう。一つづつ階段をのぼり、料理教室の教師になれたのも、みなあなたの後押しのおかげとは、互いに解り合っていると思って言えなかった。だけど私が貴方においしいと言ってもらいたくて料理作ってることは十分解ってるよね。

金賞 星野 小夜子 (ほしの さよこ) 様 [千葉県 57歳]

正信さんへ
2006年10月、あなたは突然くも膜下出血で倒れました。7時間にも及ぶ大手術の後も、あなたは生死の境をさまよっていました。ICU(集中治療室)で体中管につながれ、緊迫した日々は続いていました。意識が戻り、やっと右手が動くようになったころ、私はあなたに便せんを渡して言いました。
「私へのメッセージをどうぞ」と。「アイ・ラブ・ユー」とでも書いてくれるのかなと期待していたのに、そこに書いてあったのは一言「だんご」。
次の日の便せんには「草だんご」。あの時、よほど草だんごを食べたかったのでしょうね。それは夫にいつ死が訪れるかもしれないと、はりつめていた私の心に「笑い」と共に希望の光が訪れたのでした。
命のつながったあなたは、忘れてしまったかもしれませんね。でも私にとって、あの「だんご」「草だんご」の文字は、それがミミズのはったような文字であるだけに、私にとってはかけがえのないラブレターなのです。
妻 小夜子より

金賞 田野倉 肇 (たのくら はじめ) 様 [神奈川県 60歳]

32年前、あなたは私との結婚に反対する両親を説き伏せて、聾唖障害者の両親と同居している私のところに来てくれました。
あなたは、はじめての手話や筆談に苦労しながらも両親に明るく笑顔で接してくれました。そんな中で二人の子供を出産し、両親の世話と子供の育児に忙しい日々を送るようになりました。
お酒が飲めないあなたですが、帰りの遅い私の晩酌に毎晩付き合ってくれました。その時間が唯一の夫婦の会話時間であり、会社のこと、家族のこと、将来のことを時間を忘れて話し合い、深夜になることもたびたびでした。
8年前に両親が相次いで他界し、子供も成人した今もあなたとの「晩酌会話」が続いていますが、最近になって気付いたことがあります。それは、「晩酌会話」の半分くらいが会社の話であり、そのほとんどが仕事の愚痴で、私はこの「晩酌会話」によって、仕事のストレスを発散していることに気付きました。あなたも両親の世話や育児でたくさんのストレスがたまっていたはずですが、私の愚痴をいやな顔もせずに聴いてくれました。そのおかげで私はストレスを解消し、会社勤務を続け、定年を迎えることが出来ました。逆にあなたは、ストレスがたまり続けていたかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そこで定年を機会にあなたを全国の32ヶ所の温泉に招待します。32ヶ所の温泉で32年間にたまり続けたストレスを洗い流してください。温泉でストレスを洗い流した後は、夫婦の「晩酌会話」を楽しみましょう。少しだけ会社の話しをしてもいいですか??。
愚痴を聴いてくれる奥様へ
愚痴をこぼす夫より

金賞 藤田 純子 (ふじた じゅんこ) 様 [神奈川県 48歳]

疲れていたり体調がすぐれないと不機嫌になりすぐ貴方に八ツ当り。それでも、どこ吹く風の貴方にまたまた腹を立てるダメな私…。早寝・早起きでA型の几帳面な貴方と遅寝・遅起きでB型の大雑把な私。もう結婚して26年ですね。まだ私が小学生だった頃新任の教師として赴任して来た貴方はすご~く素敵でした。子供達の為に一日一日を精一杯過ごしている貴方を見て「先生のお嫁さんになりたいなぁ~」と思ったのは私一人ではなかったはずです。それでも年の差13才!たんなる憧れで終わるはずが縁とは不思議な物で35才と22才での結婚。亡父は「娘はやらないが、この写真ならくれてやる。」と成人式の時に写真屋さんに飾られた写真を差し出した事も今は笑い話しですね。昨年は無事定年を迎え、本当ならゆっくりして欲しいのですが、長男の大学受験を控えもうひと頑張りして貰っているのが心苦しいです。(本当にそう思ってますよ!!)でもね…ひとつ忘れないで欲しい事は家族全員貴方を大好きだと言う事!貴方がいる夕飯は心がなごみどんな物でも美味しく感じます。これからも末長く宜しくネ!
純子より

金賞 鈴木 省三 (すずき しょうぞう)様 [静岡県 60歳]

昼、お弁当を食べながら。36年もの間、君はお弁当を作ってくれました。お弁当箱はアルマイトやプラスチックなど時の経過とともに変わりましたが、中身の“おいしさ”はいつもいっしょです。ぼくは変わることのない“おいしさ”にいつの間にか慣れてしまい、あることが当然のようになっていました。冬のある日、その“おいしさ”が突然姿を消したことがあります。ぼくはうろたえ、自分自身に―しっかりしろ―と。君は不安げに「行ってくるね」「待ってるからな」。控室の古い週刊誌のページをめくる音が耳ざわりで、息子が「うるさいな」。予定の時間が過ぎても手術室から戻ってきません。ぼくはあのおいしいお弁当を作っている君の笑顔が見たくて、早く早くと祈っていました。
 日差しが穏やかな今日、こうしてお弁当を食べています。今日でお弁当を持つのは最後です。おいしさを噛みしめながら、ぼくは君の作ってくれたお弁当のおかげで心豊かに楽しい日々が送れたことに感謝しています。これからは時々ぼくがお昼ごはんを作るよ。 長い間本当にありがとう。

金賞 井尻 逸也(いじり いつや) 様 [大阪府 73歳]

私が会社をはじめた頃、おまえは一緒に手伝ってくれた。毎朝子供たちを学校へ送り出して、二人で車で事務所に向かうのが常だった。人を入れてもすぐ辞めてしまうし、無人の会社に電話がかかってきたら…といつも気が気でなかったなぁ。
私が外回りの間、おまえは電話番から、帳簿付け、連絡と全部こなしてくれたね。仕事のこと、私の立場、かかえている問題まで全て把握し、見事に内助の功、二人三脚で支えてくれた。あの頃は携帯もワープロもなかった。得意先への書類づくりも、深夜に帰宅してから原稿を渡すと、翌朝にはキチンと整理した、おまえのきれいな手書きのものが出来上がっていた。「わたしはいつでも眠れるから」。といっても大抵は徹夜だった。そして車の助手席では眠っていたね。
<いつでも母ちゃんが居る>…安心して仕事ができたよ。

それにおまえは、子育てと家庭も切り盛り。いつも一足先に家に帰るおまえだったが、仕事のため二人とも居残りの時もあった。お腹をすかしているカギっ子の子供たちへ、途中でハンバーガーを買ったり、必死で家路を急いだね。二人の気持ちはいつも一緒だった。そんな時、おまえの云ったことば---
「わたし、半分はお父さんのために生きているんやから…」
ありがとう!私は熱くこみあげてくるものをこらえ、ただ「うん」と答えるだけだった。
そのあたたかさは忘れたことはない。

そして、背もまるくなったおまえを前に、いま私は、<これからの人生、半分以上はおまえのために生きよう>と心底思っているよ。 本当にありがとう! 出来すぎの母ちゃんへ

金賞 川端 泰三(かわばた たいぞう) 様 [大阪府 66歳]

病院には怖がりの性分なのか、君は診てもらいたくなかったのだろう。
少しまえから、体の不調を口にしていながら。
しかし、その間も症状は治まりを見せず、自分でも不安になってきたのかついに決心をし、たいした病気でないことを祈るような気持ちで願う私と一緒に病院に向かったね。
ほとんど会話を交わす余裕のない2人に、診察結果を知らされるまでの時間はあまりにも長く、病名を告げられた君の落ち込みようは、とてもひどいものだったよ。(むろん、私も)
このままでは本当に病気に負けてしまう。そうはさせてなるものか。なんとしてでも、いつもの陽気で元気な君でいてほしい。
私は君を勇気付け希望を持たせるため、2人で旅行を計画し手元にあった卓上のカウントダウンウォッチに君の見ている前で、出発日を入力したね。
その日から2人で毎日、カウントダウンされる数字を見ては出発までの日にちをおたがいに確認しあったね。
しかし運命とは時に残酷なもので2人の願いは叶うことなく、そのカウントダウンの数字がゼロになるのを見ることなく、君は逝ってしまった。
やがて日にちが経ち、カウントダウンの数字がゼロになり、私は今日、君と約束した旅に、一人で出る。
いつもの旅のように、窓側のシートに目をやってしまう。そこには、うれしそうに微笑み返してくれる、あのやさしい君ではなく、知れない男性が新聞を広げている。
知り合ってから別れが来るまで、私は照れくさくて一度も“愛してるよ”と言葉で言えなかった。ごめんね。“愛してたんだよ”「芙美子」

金賞 後藤 純夫(ごとう すみお) 様 [大阪府 68歳]

この手紙を33回目の結婚記念日に届けます。我儘で自分勝手で、時として、貴方を辛い悲しい目に遭わせた自分を反省し、貴方にゴメンナサイねと伝えたい手紙です。どうか、“嘘に決まっている”と思わないで読んで下さい。最近、私の友人夫婦のいい話二つを聞きました。一つは“面白い人生でした、思い残すことはありません”と言いながら奥さんが亡くなった話です。もう一つは、ある日、“長い間お世話になりました、有難うネ”と言い、それから十日も経たないうちに奥さんが突然亡くなった話です。どちらの友達も、奥さんのことを今でも思い出し、“生きているうちに、あゝもしてやれば良かったなあ”と寂しそうに私に言うのです。
 この話を聞いて以降、いたく反省するようになりました。そして、チョットこそばゆいのだけれど、勇気を出してこの手紙を出そうと思いました。これから先、貴方をほんとに大事にしたいと思いました。30有余年前の私に戻って、貴方を大切にしたいと伝えたいのです。(完)

金賞 浜野 伸二郎(はまの しんじろう) 様 [兵庫県 56歳]

前略、最愛の多鶴子様。
僕達夫婦は今、人生の奥深さを感じる年齢になり、もうひと仕事をと走り続けています。
「二十歳ぐらいまでの命かも」と告げられていた僕は、生きた証を残そうと記念に詩集を発刊。遺稿集のつもりの詩集を、「売り捌いてあげよう」と訪ねて来たのが君でした。
初対面のきらめいていた君は、「顔色が青白く、何処か暗かったから、何となく放っておけなくなった」と、僕を見て思った。
福祉活動を共にするようになった四ヶ月後「あなたの手足は私がするわ」とプロポーズをしてくれてゴールイン。
先天性の病に冒されていた僕は、歩くことも着替えることも全く出来なかった。
そんな僕を、赤子のように抱き風呂に入れて、食事を作り食べさせてもくれました。また、通院や会合、ショッピングも一緒に楽しみました。
だが、僕の“死”の恐怖は夫婦を脅かし、社会の“偏見”と闘い、“生活苦”に涙する日もありましたが、共に生きる糧として、福祉・平和の活動に喜びを見出し、それを僕は詩におまえは短歌に綴り、昨年、真珠婚を迎えられました。
なによりも太陽のおまえに感謝して、金婚式を目標に、これからも宜しく。
草々

金賞 三宅 清 (みやけ きよし)様 [香川県 57歳]

 57歳という中途半端な年齢は、やはり応えた。せめて60歳までと自分でもそう決めていたから。君はそれほど深刻そうでなかった。29年間、頑張ったのだからと言ってくれた。3日もすると胸がしめつけられそうになった。自分は社会から取り残された敗北者に思えた。君は「お父さん、自分をそんなふうに責めないで」と言ってくれた。次の日の朝の食卓に炊き立てのごはんと、目玉焼きと、キャベツのみそ汁と、好物のめざしが並んでいた。それを見た瞬間涙がとまらなかった。君は元気づけようと、リストラされたことを責めもせず黙って用意してくれた。今の自分には、この食事は、ぜいたくすぎるのだ。時給800円でもいいから稼いでから出してくれ。
堂々とおかわりするから。

金賞 竹之内 美知子(たけのうち みちこ) 様 [鹿児島県 75歳]

底冷えのする寒い夜でした。トイレに行きたいと、お父さんに起こされました。「又ね、寒いのに。」と、つい愚痴をこぼしてしまいました。入口で待っていると、体の芯まで冷えてしまいそうでしたが、布団を掛け終ると「ありがとう」と言ってくれましたね。私は寒いーと言いながら布団にもぐり込みました。その時です。肩を震わせながら、「迷惑をかけるね、お母さんがいないと生きていけないよ、好きだよ。」とかすれ声でした。「ごめんなさい、私が悪かったごめんごめん」と、思いきりお父さんに抱きつきましたね。
手助けの必要な視力障害者となった今、お父さんの苦しい不安な毎日、悲しい気持に比べれば、私がしてあげられる事は微微たる事でした。
ほんとうにごめんなさい。
私の大事なだんな様ですもの。これからはしっかり介護してまいります。安心して下さい。50年間愛されているんですもの。
大好きなお父さんへ


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ネット選挙シンポと小田実を偲ぶ会

ネット選挙シンポと小田実を偲ぶ会
選挙シンポのパネルディスカッション

ネット選挙シンポと小田実を偲ぶ会
小田実を偲ぶ会最後の献花風景

今日は午後は日本橋でjanjanやオーマイニュース等が共同で開いたネット選挙シンポジウムに参加し夜は文京シビックセンターの没後1周年を記念する小田実を偲ぶ会に参加した。なかなか充実した1日だった。
ネット選挙の解禁が如何に日本の民主主義を前進させるかという事を思うと共に小田実が如何に素晴らしい作家、市民運動家そして思想家だったかそして如何に多くの人に影響与えているかを知った。
大学ノート15ページに及ぶメモを書いたので明日以降別記事にてそれぞれ紹介します。

 思うこと多き一日や梅雨明けぬ

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