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2018年順三・妙二忌報告

2018年順三・妙二忌は20数名の参加で無事終わりました。
午前中の順三墓参と講演と歌会で中身の濃い忌日になったと思います。近々赤旗にも掲載されると思います。
以下映像です。

渡辺順三について
藤田貴佐代
http://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/443908961

赤木健介について
下村すみよ
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/443913460

佐々木妙二について
大津留公彦
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/443918707
以下事前チラシです。
http://www.shinnihonkajin.com/wp/wp-content/uploads/2018/01/img20180103_20243273-2-768x1108.jpg

以上です。

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仕事着 佐々木妙二歌集昭和29年)から9首

仕事着
佐々木妙二歌集昭和29年)から9首
大津留公彦

手術台から抱えておろす
体重の、
ついに守りえた 一人の生命

こゝろよく金を貸してくれた順三の
店の灯に
送られて帰る。

技術と誠実が開業術だ と
答えつゝ、
そればかりでもない と、言葉にはいわぬ。

ゆたかだということは
こんなにもいゝ、
うごくと 浴槽から
湯があふれ こぼれる。

日本の
ある町隅の治療院にいて、
父のごとくに スターリンをおもう。

これはひどい 性病
米兵相手の
まだ肢体の伸びきらぬ 日本の小娘。

ま夜中の戸をたゝかれては
誰よりも先に眼をさます
町医者の俺の習性

冷えきってもぐり込むふとんの中に
ふれた妻の足も
まだ温もれないでいる

呼び売りの「ハタ」がまだあまり売れてないと思いながら
改札口の列に押されてゆく。
以上

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自由律歌集「診療室」 佐々木妙二著(昭和25年発行)より十首

自由律歌集「診療室」
佐々木妙二著(昭和25年発行)より十首

大津留公彦選

ひとの子を死なせた とおもう、夜の更けを遊びつかれて 子らの 寝息の深さ

種痘うける列の
つぎつぎ つきだす腕
どれも 逞しく 油に汚れた腕。

俺のどた靴と 行儀よく並んで
この靴も
もっとくたびれた 小さなどた靴。

巴里陥落の新聞きれが
小便壺に浮いている、
ごぼごぼ 小便する

ひと夜に降りつもった 火葬場の雪路、朝あけの雪路、父を送る

甕のなかに 父の御骨の 鳴る音は かける、地の底 ふかく

往診料だと
手に持たされた大根二本、
ぬいてきたばかりの 畑土がついて。

闘士赤木健介は よき友
医者われの言うことを よくきいて
今日は寝ている

徳球書記長も
今日は患者の一人であって
私のいうまゝに 背中を向ける

有楽座の人ごみの中で
ふとかいだ 自分の体臭
クレゾールのにおい。



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花芯 佐々木妙二歌集から 福田穂さんが「直截さ」と書いて選んだと思われる7首

花芯 佐々木妙二歌集から
福田穂さんが「直截さ」と書いて選んだと思われる7首

夜のふけを
アパートの階段降りるとき
どの部屋か ドアに鍵かける音

明日も 今日の悔いを繰り返すとも
明日あれば
枕元の明かりを消す。

枯笹原を
もみあい もみあい わたる風の
消えゆくあたり
もうなにもない 黄れ

遡る自分の血潮をかきまわし
癌の組織をさがしていた
ーーひとり。

傷の痛みのうすらぐ夜なか、
病室の壁に
足の影など うつしてみる

曝されていき生きぬく ふたり
あるを おもい
残された壺の 誇りを拭う。

癌病みの余命幾年と限られても
忘れておれば
今日のだ談笑。

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佐々木妙二著 「現代語短歌への道」から

佐々木妙二著 「現代語短歌への道」から

大津留公彦

・定形基準律短歌について
定型が存在する限り私は定形を基底とする定型基準律形態を活用しようと考えている現代語によって定型を求め、破調をおそれず、破調形態を一つの形態として追求してゆく。定形基準律短歌である。各句の音数がどうのということではなく、一首全体としての短歌韻律を捉える。(中略)
要するに定形は現在ある如くに今後幾世紀その生命を保つかは知らないが、その定形の存在する限り、定形基準律短歌があり、この形態を最大限に活用して私自身を表現してゆく。これが現代語短歌に於ての私の今日的主張である。(p14)

短歌は定形(又はその基準律)でなければならないなどと私は主張しているのではない。ただ私はそこに私の短歌の安定があると言うているだけである。
私の作家経歴をふりかえると、定形文語に始まり、現代語五行歌となり、五格調短歌を求め、自由律短歌(より短い長歌)を作り、最後に現在の様な現代語短歌になった。全く無定見と思われる歩き方であったが、それがありのままの道程であった。(p35)

「定形口語歌」が百年の歴史を持ちながら、いまだに日本の短歌の主流であり得ない大きな原因の一つは、その素材内容の問題を別にすれば、口語が定形の中に、内容と共に窒息したからである。現代に生きている人間は、現代語で作品すべきであるというわかり切った不動の理論を持ちながらの現状を悲しまざるを得ない。それは現代語(又は口語)の罪でも定形の罪でもなく、作者の力不足につきる。
私は定形基準と言ったが、簡単に言えば五七五七七を必ずしも厳格に守らなくてもよいということである。現代語を生かすためには現代語の性質上、定音数にこだわる事なく字足らずでも字余りでもよい。ただ一首全体としての定形の、又は求心的に定形を求めるリズム(定形基準律)を内包する事によって、私共が短歌として受容できるということである。(p37)

現在の短歌人口は数十万人とも言われ、その98%は文語歌人で、文語で作歌している。つまりこの人達に文語が通用しているのだから文語も現代語だと言うかも知れないが、この人達だって日常、文語で生活しているわけではない。短歌のときだけその表現用語として用いているだけである。
現在の「新日本歌人」の現代語行わけ自由律短歌は本質にかかわる多くの課題を抱えてはいる。が、重要なことはかつて現代語自由律短歌も文語短歌も「短歌は一つである」と決定づけられたが、それが空念仏でなく現在どのように受け止められているのか、考えてみるべき時ではないかと思う。(p190)

「新日本歌人」の最近の行わけ作品の八割が定形基準律である。他にも種々の要因があり得るから、この数字だけで行わけ作品の形態の最終的結論を言うことは出来ないが、現段階の一つの事実ではある。行わけ短歌の生成発展の現在であるとしても大きな流れであり方向である。定形短歌から完全に絶縁しない限り、この流れは続くと思う。少なくとも定形短歌が存続する限り続く。(p193)

★妙二は「現代語五行歌」を作っていた。
こういう歌がある。

今短歌と五行歌は別物として扱われ、交流がないが歌としては括られる。
他ではない事だと思うが、現在の新日本歌人には五行歌も登場しており月集に選ばれたりもしている。
定形基準律短歌と五行歌が如何にシンクロするのか、しないのか。最近行われて「新日本歌人」誌上での論争に注目しよう

・行わけについて
啄木はその歌集では三行だし、矢代東村には三行四行五行などというのもある。私が三行にする場合は、三行にすることによってその作品の私の裡のリズムが読者にそのまま伝わってほしいから、その行わけが最もよいと思うときだ。二行も三行も同じ理由だ。視覚に訴える部分も少しはあるかも知れない。一行表示が最も適しているものを二行、三行に切るなどは論外だ。(p18)

★行わけの歌は最初から行わけで作らないとリズム感が違う。

・発想という言葉について
短歌の発想という言葉がよく使われる。文語的発想とか現代語(口語)的発想などという。発想というのは短歌に表わすべき内容および過程をいうのであって、言葉となって表された結果が表現なのだから、言葉となって表された段階で文語歌であり或いは現代語歌であると私は理解している。(p20)

★安易は言葉使いは戒めたい。

・切り口
短歌の素材としてものごとには多様な面があり又いろいろの角度から 見てどの面を捉えるかが大切である。この断面が即ちものごとの切り口である。この切り取り方は人によって異なる、そこに個性が出てくる。それゆえに人真似でなく自分の目で切り取った切り口でなければ意味がない。自分が切り取った断面が新鮮であればその短歌は生きているのである。(p43)

★円柱は上からの切り口では丸だが横からの切り口では長方形だ。

・技巧
技巧の無い短歌はあり得なく、吾々は作歌のときに意識すると否とに関わらず表現技巧に心を砕いている。ただ技巧が技巧として目立つものは本当の技巧ではなく、本当の技巧は表現の底にあって、おのずからのもの、自然のものでなければならない。その様な作歌を私は心がける。いわゆる技巧派と言われる様な、技巧を弄する作者になりたくない。真の技巧が身につくことに努力したいものである。(p47)

★のみの跡が見える銅像はまだ技術が足りないと白秋は言った。

・チェックポイント
口語短歌に対する批判を要約すると凡そ次の様である。
①安易な感傷
②低俗な内容(内容の陳腐)
③リズムの弛緩
④無気力
⑤世界観の消極性
(p133)

★歌の一首一首にこのチェックをかけたい。

以上です。

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体験的歌人覚書1(佐々木妙二さんに叱られたこと)

体験的歌人覚書1
佐々木妙二さんに叱られたこと
大津留公彦

私の新日本歌人協会への入会は1975年だと思う。その年の啄木祭の広告を朝日新聞で見て参加した。会の後に水野昌雄さんに誘われてお茶を飲み、後日碓田のぼるさんとの共著「短歌の旅と風土」という本が送られてきてその中に「是非会員となって歌を発表して下さい」というしおりが入っていた為である。

その当時の東京歌会が行われていた八丁堀区民会館に通った。
記憶によれば主な参加者は佐々木さんと金丸辰雄さんと福田穂さんと大野静子さんなどだと思う。司会は日向勝さんがやっていた。
金丸さんと福田さんの毎回の丁々発止のやり取りが面白かった。まとめ役は佐々木さんだった。
最初に参加した日だったと思うが、金丸さんの歌(歌は忘れたが)に対してプチブル的だと言った事に「君は分かっているのか」と凄く怒られた。
学生から社会人になったばかりの自分の若気の至りだったが、この佐々木さんに叱られた事は四十年以上経つ今でも歌作りの上で深く胸に刻んでいる。

その後、新日本歌人の事務所のあった笹塚の佐々木医院に校正の手伝いで何度か通ったのが佐々木さんとお会いする最後となった。

佐々木妙二の笑う姿は覚えなし怒られしことあまりに強く 公彦

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「いのち」 佐々木妙二歌集(昭和62年発行)より十首

「いのち」
佐々木妙二歌集(昭和62年発行)より十首
大津留公彦選

八十年私を支えてきた背骨
老い枯れるとも曲がることなし

どこへでも麻痺の片腕が従いてきて
いつも何かを訴えている

当然のことを言うても通らない
通さなければいつまでも通らない

声あげて泣いてもどうにもならないから
まことにひとは 声あげて泣く

八十をいつまで生きるか生きていて
いつも明日のすることがある

陽だまりに麻痺の片足なげだして
てんとう虫とぬくもっている

あるがままの自分を正直に生きてゆく
それだけでよい それが出来ない

多数決に葬られるとも言い通す
孤立はつねに さわやかにある

人は人、私にかかわりないことだ
そうは思うが なかなか寝付けぬ

屈託なく車椅子押す妻の眸(め)に
耀うものか 欅若葉の

以上です。

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佐々木妙二歌集 「生」より十二首選と感想

佐々木妙二歌集 「生」より十二首選と感想です。

一切の批判を拒否して従いてきて
生涯を賭ける愛であったか

おとこ・おんな 疑うことなく 共に棲む
鳥も けものの 同じ形に

老い枯れて 杉が一本 雪原に つったっている
どう見ても 私だ

つきつめて話しあいつつ腹の底に
固まってゆく妥協の限度

多数意見さもあらばあれ
孤立するものの強さに 敢えてものいう

女体から切り離される ひと塊の
血肉に 生命 生きてひそむを

中絶の手は洗うとも つきまとい
洗い落とせぬもの なにかある

集団のきおいに人はついてゆく
取り残されるも ひとつの意志ぞ

善良な老人などになることはない
憎み徹せよ 美しいまでに

幾人の命に関わり持つメスを
清しく拭うて ケースに納める

人に逆らい ひとすじの道を歩いてきた
添いくる妻にも 泥をかぶらせ

歩けなくとも それなりに私は生きてゆく
のぼれない石段は
のぼらないだけ

ーー
感想
1983年に出た八十歳の佐々木妙二の第六歌集である。
多くは癌の後遺症と下半身麻痺状態での歌である。
新日本歌人協会の代表にして優れたまとめ役であった上の、この自己内省の透徹さに驚く。夏目漱石の個人主義をも思う。
歌集の題が示すように多くが生命の歌である。
解説で水野昌雄氏は「風景を描く水彩画家ではなくして、常に人物像を持
もってする油絵画家であり、彫刻家的であるともいえよう。」と書いている。
対象は常に人間である。
そしてその作歌姿勢は戦前・戦中から変わらないという。
妙二の作歌姿勢と現代語短歌に学びたい。
ーー
以上です。

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花芯 ・佐々木妙二歌集選歌15首

花芯 ・佐々木妙二歌集選歌15首
大津留公彦

麻酔にはいる患者の肢体の
緊張の
とけゆくまでの 数秒をまつ

いたわりが 私にあったら
君の眼は
もっとおだやかに なっていたかも知れぬ。

黒髪ゆたかに
こころすなおな吾娘のため
よい青年よ あらわれてくれ

その瞬間
日本人をわすれ
人間をわすれ
なぐり 蹴ちらしたら若い警官ら

あの青年の なにに娘がひかれたのか、
父にはわからぬ、
わからぬともいい。

二十年、そばに暮らしてきた君に
言わないことが
あまりに多い。

安保破棄の
デモの中にいるのだと思いながら
また 昏睡におちてゆく

十幾人の血が
私の性格を変えるという、
信じがたいが、そうかも知れぬ。

抵抗なく
安保・自動延長にはいっていく
この夜 静かな 時間の経緯

この壺に まつわるおおもいに
かかわりなく
美しい形に
壺は そこにある。

癌手術の余命五年と掲載され
なすべきことの
やりくりつかぬ。

癌病みの おのれ自身を
見きわめて
なし得ることの ひとつに 向かう

果たしたい事ひとつあり
癌病みの私の生命
いま暫く 保て

ありふれた夫婦わかれの 一つという、
そのひとつ ひとつの
単純ならぬ。

「党に生き
残る生涯を全うせよ」ーー
友のはげまし 胸いたくきく

以上

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歌集「白萩坂」(大山志津子著)を読んで

歌集「白萩坂」(大山志津子著)を読んでご本人に以下のお手紙をお送りしました。
ご了解を頂いたので以下転載します。
大山さんも久我さんも新日本歌人福岡支部で1年間一緒に短歌に取り組んだ仲間です。

大山さんの健康を御祈りしています。

ーー

大山志津子様

大津留公彦です
大分遅れましたが歌集「白萩坂」お送り頂きまして有難うございました。
送って頂いた久我節子さんの御手紙には「少し元気になられた」とありました。
ご病状が分かりませんがご自愛下さい。
福岡には一年しかおりませんでしたが福岡支部の方々の歌には興味を持って見ています。

あとがきを読みますと玉城徹さんの「うた」に属されていたのですね。
玉城徹さんというと私の参加する同人誌「炎(ほむら)」第二号(1987年)に「炎の会の方々へー創刊号を読んで」という感想を寄せて頂いたことが記憶にあります。
ちょっと探してみたら冒頭にこう書かれていました。

『「マルクス主義の方法によってのみリアリズム論は真に深められる」だろうと、北岡忠憲さんが書いておられます。この点に大きな期待をいだいているということを、最初に申し上げておきます。これまでの歌壇におけるリアリズム論というものが、いつも、アララギ写生主義とどこかで紛れをおこしてしまうのを、わたしは残念に思っているのです。」
(中略)あの写生論の基礎になっている形而上学的要素は、はっきりと認識して批判してゆかなければならないものです。』

以下同人との論争に続くのですが玉城さんの新たな面を見たような気がします。
その玉城さんの教えを受けた大山さんの歌は自然詠と家族詠と社会詠が混然一体となっており、こういう歌の作り方が出来たらいいなと思いました。
今後の大山さんの歌に注目し、期待したいと思います。

さて歌集「白萩坂」の十三首選を行いましたので紹介しておわりとします。
p23 夫描きしカンバス古きをいくつ燃やす煙は枇杷の葉群に昇る
p48 赤旗を持ちて唱ふは六人なり三池炭鉱今朝閉山す
p52 をちこちの畑隅にしてこの秋の菊咲く寂し母はいまさず
p75 磔刑のキリスト像の手のひらを打ちつくる釘ああ大きくて
p89 戦災に焼けし瓦を塗り込めし博多塀というが残れり
p107 旅人の乗り物かれは膝折りし駱駝よひとつの瘤持つ駱駝よ
p113 限りなく平和の礎続きたり名を「妻」と「長男」とあるも悲しき
p128 蚊を打ちて苦瓜捥ぎて時が逝く短き夏よ六十五歳の夏
p130 夜の机に鉛筆の芯折れ氏ままわが精神よ眠るな眠るな
p144 ジギタリスの白きを選りて植ゑにしが白き寂しもことに今年は
p152 老いてなお活動家なるあの方へピカソの白き鳩の絵葉書
p198 いとしきものあるがごとくに右胸をそと押さえつつ春はもうすぐ
p215 思ひ出の白萩坂よ虹の萩咲けばまあねつぶやきのぼる

平和万葉集巻四の歌も読みました。
星野村の平和の塔に青々と炎三つ四つ原爆の火は燃ゆ
老いてなお活動家なるあの方へピカソの白き鳩の絵葉書
(この活動家とは加来和江さんなのですね。亡くなった息子さんは大学時代の仲間でした。)
いずれも確かな行動に基づいた玉城さんのいう形而上学的でないリアリズムの歌ですね。

(中略)
以上です。お元気でお暮し下さい。

2017年11月14日
三郷にて 大津留公彦

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