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カテゴリー「歌論」の記事

2019年4月26日 (金)

永田和裕と河野裕子の相聞歌

 先日のBSの平成万葉集はいい番組だった。2回目のテーマは「男と女」だった。

特に永田和宏と河野裕子の相聞歌が痛く胸に刺さった。

特に河野裕子の絶詠のこの歌です。

 

「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」河野裕子

以下あるサイトから二人の歌だけを紹介します。連休中に本を読もうと思います。是非みなさんもご鑑賞下さい。

 

 「歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る」という永田和宏

 

左脇の大きなしこりは何ならむ二つ三つあり玉子大なり(裕子)

 

歩くこと歩けることが大切な一日なりし病院より帰る(第九歌集より 裕子)

 

四年まへ乳腺外来に行きしかど見過ごされたりこれも運命か(裕子「日付けのある歌」)

 

病院の横の路上を歩いているとむこうより永田来る。

 

 何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋じゃない(裕子)

 

白木槿あなたにだけは言ひ残す私は妻だったのよ触れられもせず (河野裕子「葦舟」)

 

淳の肩にすがりて号泣したる夜(よ)のあの夜(よる)を知るひとりが逝きぬ(永田和宏 夏・2010)

 

どこをどうふらつきをりし魂か目覚むれば身は米とぎに立つ(裕子)

 

 あの時の毀れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて(裕子)

 

一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間 もうすぐ夏至だ 永田和宏「夏2010」)

 

みほとけよ祈らせ給へあまりにも短きこの世を過ぎゆくわれに(裕子「京都歌紀行」)

 

わたくしはわたくしの歌の為に生きたかり作れる筈の歌が疼きて呻く(裕子「蝉声」)

 

 悔しいときみが言ふとき悔しさはまた我のもの霜月の雨(永田和宏「夏・2010」)

 

 ふた匙なりともの御言葉の通りやっとふた匙を啜り終へたり(裕子)

 

白梅に光さし添ひすぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅(裕子)

 

わが知らぬさびしさの日々を生きゆかむ君を思へどなぐさめがたし

 

さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ

 

泣いている暇はあらずも一首でも書き得るかぎりは書き写しゆく

 

長生きしてほしいと誰彼(だれかれ)数へつつつひにはあなたひとりを数ふ

 

 のちの日をながく生きてほしさびしさがさびしさを消しくるるまで (以上裕子)

 

 歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る(永田) 

 

雨?と問へば蝉(せん)声(せい)よと紅は立ちて言ふ ひるがほの花

 

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり

 

君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る

以下全文を是非お読み下さい。

https://blog.goo.ne.jp/basama2009/e/49b053bda559ccb1528de86493596cbf

2019年4月11日 (木)

啄木と一茶

啄木と一茶

たまたま持っている1997年に大阪で発行された「石川啄木の会」発行の「新しき明日」第19号に安井ひろ子さんの「啄木と一茶」という文章があった。

717短歌俳句勉強会で啄木と一茶と芭蕉の勉強を始めるに当り相応しいのでご紹介します。

この文章は軽妙なエッセイです。なにせ啄木と一茶と安井さんの三者鼎談なのですから。

(こういう文章の書き方があるのだということに感じ入りました。)

(第18号にはゲストとして前に学んだ橘曙覧も登場している。)

 

この鼎談の内容は極秘事項のようだがここに書かれていることを一部紹介しよう。

貧乏比べ

――

自分を上回る一茶の貧乏ぶりに啄木はかなり気を良くしたようだ。

 秋風や家さえ持たぬ大男 一茶

「詩集「呼子と口笛」の<>の詩が語るように、啄木にとって心から求めてしかし最後まで得られなかったのが安住の<>であった。」

梅咲くやあわれ今年も貰餅 一茶

 春立つや四十三年人のめし 一茶

 借金を重ねたまま二十七歳で逝った啄木。四十三歳まで他人のご飯を頂戴してきた一茶に比べれば何のことはない。啄木も自分の借金魔の悪評が多少なりとも緩和されたようで今回の鼎談は嬉しかったのではなかろうか。

――

春立つやの句は享和四年(文化元年)の歳旦句

貧乏比べのような様相だが、大衆性ということで通じ合うものがあるとしている。

 

江戸と東京への憧れと反発

――

ちち母は夜露うけよと撫でやせめ 一茶

(訳 父や母が冷たい夜露を受けさせるために撫でて子どもを育てたのだろうか。)

という句を一茶に披露させている。

(蕪村の「鰒(あわび)喰へと乳母はそだてぬ恨みかな」(落日庵句集)をヒントにして、一茶の継子意識から生れた句作り、貧窮問答歌の「われよりもまずしきひとのちちはははうゑこゆらむ」(万葉集・巻五)の影響もあるだろう)と「一茶句集」の解説にはある。

生涯二万句以上を残した一茶は蕪村の影響を強く受けている。

 

そして啄木の流浪生活を共感して「信濃の山猿一茶」がこういう自句群を述べている。

 春の雪江戸の奴らが何知って

初雪や江戸の奴らが何知って

名月や江戸の奴らが何知って

秋の風江戸の奴らが何知って

江戸への複雑な感情が初句以外は「江戸の奴らが何知って」で統一されている。

一茶の並々ならぬ江戸への憧れと反発が感じられる。

この句は最近大阪で発見された句か、一句も「一茶句集」には収録されてない。

 

下ネタ話

下ネタ話も共通項が紹介されている。

啄木は「ローマ字日記」で詳細に記事を残している。

ドナルド・キーンはこれを最高の日記文学と評している。

一茶は「千束町のお女郎さんや飯盛の八兵衛を相手に相当遊んだようだ」と安井さんにばらされている。

 

啄木と一茶はこれ以外にも大層筆まめなこと反エリート意識の強いことで意気投合したようだ。

安井さんは最後にこう感慨を言う。

――

今日においても金にも飾りにもならない俳句と短歌。一茶に引かれ、啄木に曳かれてこの魅力的な旋律のとりこになった人々が日々や句を歌に詠みつつ明け暮れる。

そういう私だって。

――

安井ひろ子さんは現在、秋沼蕉子さんとして「新日本歌人」誌に歌の投稿を続けている。

この四月号にこういう歌がありました。

p28このことばメールで打つたび迷うなり(素敵、素的、すてき、ステキ)どれがいいやろ

大阪 秋沼蕉子

★自由な言葉使いが素敵です。

以上です。

2019410日 大津留公彦

 

 

 

 

 

大津留公彦流短歌の作り方

18年前の文章に追記しました。

やや古い部分もありますがアップします。

いかがでしょうか?

ーー

大津留公彦流短歌の作り方2019

20012月の文書を更新)

2019/01/23 大津留公彦

 

  • たくさん作る毎日1首作るのは大変だが1週間に8首作るのは難しくない。(2017年11月15日より毎日8首ブログに投稿中)

 

    1.  
    2. 1年間に365首以上作る
    3. 量の蓄積が質の変化に繋がるのでたくさん作る事を心がける。
  • メディアを活用する 

 

    1. 新聞・本・雑誌・ビデオ・CD・テレビ・インターネットで得た感動を自分なりの歌にしよう。
  • テレビを見ながら記憶できない言葉はメモしなければ自分の使用語彙からは消滅してしまう。メモしながら徐々に短歌にして行く。

 

    1.  
    2. その時しかメモするチャンスのない言葉もある。
    3. 気に入ったテレビ番組は再放送も見るか聞きながら作歌する。
  • モバイル作歌環境を作る時間の出来た度に細切れにでも短歌にして行く。

 

    1.  
    2. 通勤電車・出張等の中で思いを携帯機器(電子手帳)にメモする。
  • 個人的及び社会的出来事に敏感になる人より先んじて歌う心意気を持つ。

 

    1.  
    2. 今日の事は今日歌うのが一番迫力がある。
  • 熟成させる見なおす度に完成度は確実に上がって行く。漢字や文法の間違いをしないように(電子)辞書を引く。

 

    1.  
    2. 良い作品とは推敲の回数の多い作品。
    3. 一度作った歌は別の日に見直す。(この為にも携帯機器は便利)
  • 歌会で揉んでもらう人は自分にない観点を持っており指摘してもらう事によって必ず役に立つ。 

 

    1. 人の指摘は謙虚に聞く。(採用するかしないかは本人の問題)
    2. 自分の眼で校正するのと同時に他人の眼でチェックして貰うのが有効
  • 積極的に投稿する新聞に投稿する。 

 

    1. 文学コンクールに応募する。
    2. 短歌集団に属し歌会に参加し短歌誌に無欠詠を目指し出詠する。
  • 手がかりを残す 

 

    1. 写真・メモ・手紙・録音・日記などの形で残し後日それを元に作歌する。
  • テーマに食らい付く出来た歌からイメージを広げて連鎖的に他の歌を作る。

 

    1.  
    2. 一つのテーマで連作をする。
  • 進んで冒険をし失敗を恐れない字余り・破調を恐れない

 

    1.  
    2. 新しく思いきった表現を使い破綻を恐れない。
  • 個性のきらめきを自分にしか歌えない個性的な歌を目指す。 

 

    1. それは事柄にも表現にもいえる。
    2. 誰でも作るような歌はいくら作っても仕方がない。
  • 嘘は歌わない但し事実と真実は違うので必ずしも事実である必要はない。表現上のテクニック(誇張・デフォルメ・転用・愉等)は構わないが内容のでっちあげはいい歌に通じないのでやらない。 

 

    1. いつの世もリアリズムが文学の基本。
    2. 実感が真実であればいい。
    3. 真実を歌う事が肝要。
  • 整理はパソコンで作成日・作成場所(イメージ含む)・テーマ・季節・投稿の有無・掲載の有無を記録しソーティング(分類)出来るようにする。

 

    1.  
    2. 表計算ソフト(EXCEL等)を使って整理する。
  • ホームページに発表する歌をまとめるたびに更新する。

 

    1.  
    2. 自らのホームページを作り作成したデータを掲載し発表する。
  • 歌集を出す 

 

  1. データを日付別・テーマ別・季節別などにソーティングし厳選して歌誌掲載歌等他人の目を通ったものを中心に(電子)出版する。

以上

以下2019年追記

 

17、俳句や川柳にも興味を持ち可能なら作る

それを基に短歌を作る。

 

18、facebookの短歌グループに属し発信し交流する。

 

19、twitterに発信しその記録機能(twilog)を活用する。

 

20、幅広い芸術分野に興味を持ち交流し作歌に役立てる。

 

 

2019年1月27日 (日)

小泉修一さんの歌文集「旗持ちの歌」を読んだ

小泉修一さんの歌文集「旗持ちの歌」を読んだ
「本書は2013年出版の『風と杖と』以降六年間に詠んだ短歌二三五首と、同時期に書いた評論二編を収め」たものである。(作者あとがき)
こういう歌がある。

わが翳す旗に人の眼まず留まる胸張らんはや腰疼くとも
妻逝きて六年独居の淋しさは言うまい皆(みんな)がんばっている
独り居の我は午(ひる)から行方不明隣(となり)都市(まち)のニュー・イヤーコンサートにいる

九十二歳の歌人・小泉修一健在である。
――
評論の二つはいずれも「新日本歌人」に掲載されたものである。
評論の一つは「歌に縋りてー石田マツ考」(二〇一四年十月号掲載)
石田マツは二十三歳で自死している。
こういう歌が紹介されている

馬車馬のごとくもくもく砂背負うこの苦しみを誰か知るらん

土木工事で働く少女マツの歌である。

当時の新日本歌人常任幹事信夫澄子に語る手紙の形の日記が残っている。

又、遺歌集にはこういう歌がある。

死を考え死なんと思い死にきれずすべてを歌に託して五年目

なんと十八歳から自殺を考えていたということになるが日記の中に「啄木を尊敬し、私も書き始めたのが短歌でした。」とあるのでマツが生き得たのは啄木のおかげだろうと小泉さんは書いている。

小泉さんが石田マツのことを知ったのは六十を過ぎての新日本歌人関東近県集会だそうであるがしばらく間を置いて、その後亡くなった蓑輪喜作さんの「石田マツ女を思う」という歌が新日本歌人に掲載されて以降再度興味をもたれたようである。
中にはこういう蓑輪さんの歌がある。

君の歌わが歌のりし雑誌「葦」ボロボロなれどいまだ捨てえず

「「葦」とは「生活記録雑誌」との副タイトルを持ち、当時の勤労青年層に普及した雑誌であり、マツも投稿者だったのだろう。」
「「葦」を通じてペンフレンドになったYに恋したマツは二人の中間点である新前橋で、目印に「新日本歌人」を抱えたYと初めて会う。」
なんだか映画のワンシーンのようだ。
こんな歌が残っている

青春を病み臥す友に女らしい愛のことばも書かず日は過ぐ
人を愛す美しい心も苦しみもほとほと知りぬ二十四歳(数え年)

「病いも峠に来た」というYの手紙に驚きマツは二度目に会いに行ったのがYとの最後の出会いだった。
その四ヶ月後の昭和三十二年九月五日二十三歳八ヶ月の命を自らの手で閉じた。
悲しい歌人の啄木よりも短い生涯であった。
――
評論のもう一つは「歌の絆ー立沢もり歌集『竹煮草』について」(二〇一七年七月号掲載)
立沢もり(旧制吉井もり)は長野のアララギの歌人金田(かねだ)千鶴(ちづ)が遺稿を託した人物である。
小泉さんがこの歌集を知ったのは新日本歌人二〇一四年一二月号のコラム欄「わが青春とうた」に載った千葉の会員田中なつみ氏の一文であり、最初の歌はこれである。

甘え来る事もなきよと中の娘の眠れるひたひなでてやりたり 立沢もり

小泉さんはこれを読み立沢もりとは吉井もりでなはいかと後に閃いたという。
田中なつみさんが「父も母もアララギ派の歌人で、教員の父は甲信越『アララギ』の選者だった。」「とあるのを読み返し間違いないと胸が高鳴った。」という。
小泉さんはこうも書いている。
「吉井もり」は、教員の歌人と結婚して立沢もりとなり、五人の子を育て、その一人は今私たち『新日本歌人』の列に加わっている。夢ではないか、と私は胸が熱くなった。」

『新日本歌人』が紡ぐ人生のドラマがここにはある。

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2018年11月14日 (水)

一年間八首投稿続きました。


今日で丁度一年間八首投稿を続けて来たことになる。
去年の11月15日から365日x8首で2920首作った事になる。通常の歌集は300首位であるから歌集10冊分位という事になる。
正月までには全てを電子出版したいと思います。
新たに作った歌ばかりではなく青春の歌も含めてである。
とりあえず一年を目標にやって来たのでそれなりに達成感がある。

もっともこれから先も以下の三つの理由で続きそうである。
一つは40年以上前の「青春の歌」の存在である。
毎回文語混じりの歌をある理由から口語に直して出していたが文語を堂々と使う事にした。
二つは俳句の存在である。毎朝送られて来る季語で俳句を作る生活も9年となりそれをヒントに短歌を詠んでいる。
三つはこれを始めた頃より使える時間があるからである。

次の一年間毎日八首投稿を続けられるかどうかは分からないがそれを目指して行きたいと思います。
是非TwitterかblogかFacebookでお読み頂き叱咤下さい。
2018年11月14日 大津留公彦

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2018年11月12日 (月)

中野菊夫著「私の短歌作法」から1

新日本歌人我孫子支部湖畔短歌会では新しく勉強会を始めました。
テキストは中野菊夫著「私の短歌作法」(昭和60年5月30日刊)です。
37個の文章を毎回4個づつ計9ヶ月で学びます。10月14日は短歌への誘いの4つの文章を学びました。
印象的な箇所を略して紹介します。

1、 読むことと作ること
若い人にはとにかく作品を作れと言い年配者には作品を読んで欲しいと言っている。
2、 読むことと作ること(続)
はじめに歌集を読みたい人には若山牧水と小泉千樫の歌集を勧める。斉藤茂吉や北原白秋は短歌に対する魅力にはなるが実作の役に立つところは少ない。
3、 啄木の導き
啄木から短歌へ入って行く者は、短歌のもつ形態的な美に魅力を感じるというよりか、短歌を媒体として文学の殿堂へ直接入ってゆこうとするものが多いのだろう。短歌の持つリズムは、五句三十一音律であるが、啄木はそれを生かしながら彼なりの発見を加えていっている。
4、 言葉の使い方
何も歌言葉として特別なものはない。
古語は絶対に使ってならないという立場も何が何でも古語でなければならないという立場も廃したい。
短歌は文語脈に主流をおいているだけに、今日の言葉だけではなかなかゆきにくいところも出来てくる。遠慮はいらぬから使いたかったら、古語だろうと使ったらいい。

以上ほんの一部だけを紹介しましたが、なかなか歌作りに参考になります。
11月11日は短歌への誘いの4つの文章を学びました。

5、 何を歌うか
作品は強烈な主観に貫かれていなければならない。作品は作者の考え方、捉え方、言いあらわし方、どれも作者自身の手で作られるもので、そうでなくては作者が自分を主張することは希薄になってしまう。
6、 これから作歌しようとする人へ
大切なことは歌いたい中心を外さないこと。
自分の作った作品を作ってしまってからしばらくの間は見ないで放っておく。作り上げてすぐに自らの作品の不備を発見することは、よほどの練達者でも困難なこと
7、 普段着の言葉
自分の作品は誰でも理解してもらえるという錯覚におちいりがちなものなのだ。だから作品を作るときは、表現は、共通の約束にしたがった表現にしたがうべきである。文法を大切にしてゆかなければならない。
歌をつくりはじめの人からよくきく言葉だが自分は歌の言葉を知らないからどうしたらいいかということだ。およそ歌専門の言葉等ありはしない。もしあったら、そうした言葉はなるべく使用しないことだ。
8、 生活に密着したところから
今日の短歌の多くは生活と密着したところから歌われていることを否定することはできない。私は短歌をつくろうとする人々に対しても、かまわず自らの生活からその素材をとりあげてほしいと思うのである。その場合に生活のわくを狭義に解さないで、広義にもっていってほしいのである。そうすれば、今日の短歌作品は私たちの今日を支えてくれる詩の一つとして有効であるばかりでなく、さらに明日への詩としての生命をもつものと信じるのだ。

新日本歌人我孫子支部湖畔短歌会は学習会と短歌会を第二日曜日13:00―16:30千葉県新松戸駅前の幸谷ふれあい会館で行っています。
ご興味のある方で遠くない方は是非覗きにおいで下さい。

2018年11月12日 大津留公彦


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2018年10月29日 (月)

石井正枝歌集「石仏紀行」を読んだ

石井正枝歌集「石仏紀行」を読んだ
この歌集は石井正枝さんの第十六歌集だという。
第十四歌集第「老いたれど」では滝を読み、第十五歌集「思い出の山」では山をよみ、今回は石仏を読んだという。半分くらいは石仏の歌で残りがそれ以外の歌です。
石仏紀行の歌集というのは珍しいと思う。

石仏はなじみがあまりないので私の知っている石仏は少なかったが、我が大分県の石仏の歌があった。
国東の石仏という項にこの三首があった。
  多きかり七メートルの磨崖仏おおらかに笑みて剣を構える
螺髪見事苦み走った顔にして大日如来は虚空を睨む
 顔と剣のみ熊野磨崖仏大きかり体躯は薄くおぼろげにして
臼杵の石仏という項にこの二首があった。
  はるばると大分に行けり臼杵には日本第一の石仏並ぶ
  古園は落ちし頭部を中心に崩れかけたる石仏並ぶ
臼杵には小学校の社会見学で行っただけですが、臼杵の頭部だけの石仏の迫力は残っています。国東の石仏は見たことがありません。いずれも観光案内に掲載したいような歌です。

新日本歌人の総会やセミナー、全国幹事会で箱根、伊豆、東京、広島、岡山に行かれたときにも石仏を見に行かれたという。
箱根、伊豆、東京の会議では私もご一緒しているのではないかと思います。
こういう旅行の仕方は私もいずれは目指す所です。

石井さんはあとがきで正岡子規のこの歌を引用しています。
 いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かむとす
そして石井さんは「子規は三十五歳で死んだが、私は来年も見るかもしれないと思った。それで、」としてこの歌を書いている
  鳶初の白きくっきり咲きにけり来年も見よう八十六歳
石井さんは子規の二倍半の生を生きている。
是非三倍の生を生きて頂きたい。
又新日本歌人の行事でお目にかかりましょう。  2018年10月29日 大津留公彦

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2018年10月14日 (日)

青春の歌31(五島)

2018年10月14日
青春の歌31(五島)
大津留公彦

するめの香ぷんぷんとさせ離れ行く君の故郷 二人見守る

緑なり海又然り山然り素晴らしき島素晴らしき人

遣唐使船を寄せたる土地と聞く岬に立ちて結婚を思いぬ

波高く気高くもあれ君が母と君育みし東シナ海

故郷を穢す者には立ち向かえ我ともにあり気高き海よ

色のなき風吹き抜ける丸の内週の半ばの疲れを運ぶ

人去るは世の常にして人来るは世の常ならず人の世の常

一首選んで頂けると有り難いです。

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2018年7月20日 (金)

火を継ぐもの 回想の歌人たち(碓田のぼる著)を読んだ

火を継ぐもの 回想の歌人たち(碓田のぼる著)を読んだ。

先に感想を書いた「団結すれば勝つと啄木はいうー石川啄木の生涯と世界」は書き下ろしだったがこの本は過去に書いた文章を集めたものだがそれぞれ重要な文章である。
参考
碓田のぼるさんの「団結すれば勝つ、と啄木はいう」を読んだ。

新日本歌人に掲載された論文は読んでいるがこうやってまとめられると碓田のぼるという文学者の全体像が見えてくるような気がする。

各文章のタイトルは以下にある通りであるが名前だけ列記するとこうなる。
赤木健介/ 芥川龍之介/ レーニン/ 佐々木妙二/ 小林多喜二/ 岩間正男/ 渡辺順三/ 八坂スミ/矢代東村/山原健二郎

いずれも碓田さんの思い入れのある文章なので全体を読んで頂きたいが私のあまり知らなかった一人を紹介します。
その人は岩間正男さん
闘う教師、歌人そして政治家である。
小学校4年の時に以下の歌を詠んで担任教師をびっくりさせている。

こわごわとのぼるさやかの相山もきたりてみれば桜さきみつ

学校を出て、宮城で小学校教師となり上田庄三郎らの「綴方生活」に出会う。
成城学園小学部の教師となり白秋の二人の子どもを教える。
教師の追い出し問題を発端とする成城学園事件が起こり馘首される。
白秋は岩間ら全面的に支持し短歌144首を全校父母に送ったりしている。
岩間は白秋の「多磨」に入会し短歌を再開する。

ここで述べられている白秋と岩間の関係は短歌の師と弟子という関係を超えたものがある。
碓田さんはこう書いている。
「北原白秋という、すぐれた詩人の魂の中にある、はげしいたたかいの心にふれ、それを継承・発展させたところに、歌人岩間正男の真骨頂があった。」
白秋は1942年に亡くなるが前後3年間岩間は「多磨」を編集し選歌も担当した。
そして祖師谷の自宅から阿佐ヶ谷の白秋宅まで週三日自転車で通ったという。

2・1ゼネスト目前の1946年に出来た全日本教員組合協議会(全教協)の中央闘争委員長が岩間正男だった。
当時の歌にこれがある

闘争宣言手交し終えて炎群(ほむら)なす隊列のなかにわれら入り行く

当時の文部大臣に闘争宣言を手渡した時のものである。

全教協は1947年結成の日教組の母体となった。
同じ年に岩間は全教協に推薦され無所属で参議院全国区に立候補し当選した。

第二芸術論の桑原武夫は岩間の自然詠の歌を批判した。
しかし闘争宣言の歌に見るようにそれは「闘う短歌」であり、その批判は当たっていない。

戦前の「多磨」を通した岩間の発言は戦時中発表された唯一のものなのかもしれないという気がする。

岩間は1949年に日本共産党に入党する。

昂ぶりも逡(ため)らいもなしといわば言い過ぎんこの夜入党宣言ひとり書きつつ

1977年27年の議員生活を終えて退職し新日本歌人協会に入会している。
退職後病気がちになった時に見舞った碓田さんに岩間さんは死後読んでほしいと封書を渡された。
死後開封したら遺歌集や教職員組合や、病気のことが細々と書いてあったという。

上田耕一郎の岩間さんの葬儀での「送る言葉」ではこの歌が紹介されたという。

銃眼に身をふさぐごとき思いもて過ぎしたたかいのとき長かりき

葬儀の時白秋の子の隆太郎さんは碓田さんはこう言われたという。

「おやじが一番信頼していたのは岩間さんでしたよ」

岩間正男という人物に出会った気がする。

私は大学時代から社会人になる頃にかけて母と一緒にコスモス短歌会に属していた。
岩間が編集した「多磨」の後継誌である。
そういう意味では岩間さんに私自身も遠く関わっている。

私は大学時代から青年新聞を通して碓田さんの指導も受けてきた。
45年来の弟子である。

暑い夏に自分の二つの短歌のルーツに思いを致しました。

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2018年7月 6日 (金)

今日はサラダ記念日

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 の歌は実際にはサラダではなく、鶏の唐揚げをカレー味にしたら“いいね”と言われたからで、唐揚げでは重いのでサラダにして、初夏とサラダの音の響きから7月にして、何でもない日こそ記念日にしたいと考え、6日にしたそうです。

この時期この記事がよく読まれる。
サラダ記念日は何故7月6日?

2010年2月25日 (木)
サラダ記念日は何故7月6日?

こんな記事だ。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 たまたま七月六日のような感じがするが、この日は考えられた日だ。 7月7日の七夕の物語の日ではなくその一日前の日なのだ。 短歌をよむ (岩波新書) にはこの歌の作成過程が書かれている。 最初は 1. カレー味のからあげ君がおいしいと言った記念日六月七日 次に 2.「カレー味がいいね」と君が言ったから今日はからあげ記念日とする そして 3. 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 と変遷している。

実際の日付と料理メニューは、事実からは変更されている
七月六日という設定が巧みに考えられている。 何気なく作られたような万智ちゃんの歌には実は作歌の技術が散りばめられている。

朝日新聞デジタルによると、俵さんは『サラダ記念日』から30年が経った今、短歌に対してどのような思いを持っているかについて、以下のように話した。

歌はずっと作り続けています。生きることとずっと並行してありました。 短歌は日常の小さな感動や心の揺れに対応できる詩形であり、柔軟に対応してくれるのが魅力。年齢を重ね、住む場所が変わっても、歌に対するスタンスは30年前と変わりません。 (中略) 歌は誰かに頼まれて作るものでもない。歌人に限らず、何かでありつづけるのはたいへんですが、新作を楽しみにされる歌人でありたい。

新作を楽しみにしています。

この僕をいいねと君が言ったよね7月5日は君の誕生日 公彦

7月5日は妻の誕生日でした。

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