にあんちゃんと楢山節考
前の記事のように今日午前福岡市総合図書館映像ホール「シネラ」で「にあんちゃん」を見ました。
遅れて行ったので半分しか見れませんでしたが確かに小さい頃見た記憶の残滓がありました。
佐賀・唐津が舞台で言葉に馴染みがありました。
この映画を学校で見に行ったのは九州の学校が多かったのかも知れません。
こんなにも貧しい生活なのに人々は明るい。
ラストシーンは兄と妹で手をつないで閉山となったボタ山に登る。
明日を夢見る言葉を語りながら・・・
昨日も書きましたがこんな映画を今の若者は見たことがないだろう。
教育の力と言うのはこういう映画の鑑賞運動などに発揮されなければならない。
国を愛する態度を点数で計るようになってこんな自主的な子どもが育つはずもない。
会場で貰ったチラシによるとこの映画は1959年に芸術賞を受けているが今村昌平監督は「国の推薦、受賞を受けるような作品を作ったことに大して自戒している」と言う。
安本末子さんという当時10歳の少女が書いた日記がベースになっているので監督も配慮してこの映画には悪人は出てこない。
大リストラを要求して団体交渉にのぞむ会社側の代表も善人である。
映画には登場しないが悪人は石炭をつぶす政策を遂行した当時の政府の役人だったのだろう。
午後は「楢山節考」を見ました。
今村昌平の特集なので勿論監督は今村昌平。
この映画は1983年のカンヌ国際映画祭でグランプリ(パルムドーム賞)を貰っている。
原作は深沢七郎だが今村脚色で完全に今村作品になっている。
寡聞にして「楢山節」の「考」であることをはじめて知った。
「楢山節」が最初から野良仕事に合間に歌われる。
七十になったら山に登るという食料の足りない貧しい寒村の風習と独特の性習慣に驚く。
日本のあちこちにこんな習慣があったのだろう。
日本人の深層心理を理解するにはこんな日本の昔の習慣を理解する必要があるのではないだろうか。
息子緒方拳が母坂本スミ子を楢山の頂上でおろし母が行けと言うが息子が離れられないシーンで隣からすすり泣きが聞こえてきた。七十は過ぎている老婆だった。楢山を登っていく長いシーンの間にだんだん思いがこみ上げて来てあふれ出したのだと思います。
(この為に歯を四本抜いたと言う当時46歳の坂本スミ子の演技がすごかった。)
「にあんちゃん」が目的でしたがこの映画も見てよかったと思います。
その後福岡市博物館を見ました。
国宝の金印がありました。
常設展だけしかやっていませんでしたがいろいろと福岡を理解できる展示や説明がありました。
特に地下を断面に切ってそれぞれの時代を発掘された物や道路の跡で映像が説明してくれるのが面白かった。
福岡が作った自動車アロー号の展示と説明も興味深かった。
福岡市総合図書館映像ホール「シネラ」
福岡タワーとRKB
福岡市博物館
豊かなクリスマスイブの半日でした。
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(→HPはこちら,あとで全文を引用しておきます)
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