定職なく、妻なく、家なく、全く歌道一筋
定職なく、妻なく、家なく、全く歌道一筋に生きた浅利良道は私の母の短歌の先生だった。
今日由布院に行ってそれが分かりました。
由布院の臨済宗の妙心寺派の佛山寺という寺に母と一緒に行ったらこれは私の先生の歌碑だといった。
その歌はこれ、
この郷をかこみてよろふ高山も低山もなべて雪降りつもる
浅利良道が伯父であるという人のhpにはこう書いてあった。
「良道は貴方の誇ってもよい伯父です」と別の伯父(良道の弟)がその歌碑の除幕式に出席したと写真を添えて手紙を呉れた中にそう書いてくれた。然し、父(良道の下の弟)の出兵の時に一緒に写した私が4才位の写真が有ったり、20数年前に父と私の家族と共に旅行の途中に立ち寄ってバス停辺りで少し話し合ったが、別れ際にはバス停に立って私達が見えなく成るまで手を振って見送ってくれた等の憶えしか残っていないし、私には短歌、長歌には疎くて申し訳ないがその値打が分らない。
浅利良道(明治30年~昭和52年)は昭和43年4月の毎日新聞の紹介文を借りると、「明治三十年十二月七日、別府市生まれ。旧制大分中学を中退して療養生活。画家を志したが病弱で作家に転向。良寛、長塚節に親しみ、中村憲吉と岡麓に私淑、岡麓から直接指導を受ける。・・・生家は酒、醤油の醸造、のち煙草、塩の元売さばきを営み、代々襲名の旧家。十二代目の兄、嘉兵衛が昭和九年、倒産没落した。」と紹介され、又43年間大分合同新聞の歌壇選者をつとめ、昭和二十五年大分合同新聞文化賞を受けるなど、その道では世の評価を得ていた様だが、定職なく、妻なく、家なく、全く歌道一筋に生き続けた様である。
五十年に亘って主宰した歌誌「朱竹」に後に色んな方が想い出を書かれている中に次記を見つけて良寛フアンである私は嬉しく思った。
それは・・・良道年譜、大正八年の頃に「良寛歌集を読み、感動す。・・生涯の影響となる。」とあり伯父が23才の頃である。・・・
又 ・・・・「ツルは柿が好きだった」と前書きして
“柿あまた買ひきて買ひため日ごとくふ汝の代わりにと言はば笑はむ”
由布院の佛山寺の歌碑の裏にはこんな文字があった。
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萬里一條鉄 ばんりいちじょうのてつ
天地の大道を、潜在意識が変わるまで継続実行することの意
万里にわたって続いている一本の鉄というところから、万物の諸相、時々刻々に現れるすがた、はさまざまに変わるが、
その実相は変わることなく過去・現在・未来を貫いて一本のすじのように連なっているという仏教の教え〔万里一条の鉄〕。
What's Ki? 氣とは? 《藤平光一先生の著書からの引用や稽古・授業での言葉を中心に》 から
そのhpからこんなページに行き着いた。
大分放送のHPで大分歴史事典・詩歌に花開く文芸風土-1945以前
にも出ているし、別府街角ウオッチング 歌人 浅利良道 生誕の地 等
明治にはじまり、大正、昭和にわたる改新運動を経て 浅利良道 (1897-1977)に代表される穏和、清澄の歌風が生みだされた。一方短歌、俳句の定形に封じ込めきれない、可能性を 孕(はら)んだ 混沌(こんとん)としたエネルギーに新しい形式をあたえようとし苦闘した俳句の 長尾 長 (1894-1932)ら、短歌の 葉山耕三郎 (1895~1970)らがいる。俳句は新傾向の作者が多いのが特徴。近代小説を生みだす基盤のない、地方における近代文学創出のたたかいであり、伝統詩を内部から変革する可能性を持つ運動であったが、 日中戦争 勃発(ぼっぱつ)を機に短歌、俳句の定形復帰が政府の文化政策として強行され 挫折(ざせつ)。短歌が日本精神発揚の具とされ、俳句が愛国心と結合される時代の中で、従来定形を守ってきた歌人、俳人も大正、昭和にわたる成果を放棄。 瓜生(うりゅう)鉄雄 (1900-1978)が命の瀬戸際の戦場に秀歌を作り、浅利良道がわずかな 厭戦(えんせん)の歌を残した。昭和2年県下の文化人を結集、『 大分新聞 』支援の下に「 郷土文芸協会 」設立。これは文化の地方分権、地方文壇の確立一地方人のために地方人が文化を生産、供給することを目的とした。この農本主義的主張は日本文化の独自性の主張に拡張され、昭和15年、 大政翼賛会 文化部指導下の「 大分県文化協会 」設立にあたって多くの歌人、俳人、文化人を予盾なく結集させることになった。
[古庄 ゆき子]
から今度は父の出身の別府の歌を紹介して終わります。
春や良し 宵やぬくしと ゆるゆると
歩める人は みな湯治客
良道
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