柳原白蓮
福岡市中央区天神のアクロス福岡で行われている柳原白蓮の展示会に行ってきました。
柳原白蓮については興味がありましたがここでDVDを見て初めて全体像がわかりました。 特に駆け落ちした宮崎龍介が社会革命の理想に燃える帝大新人会のメンバーであり二人には思想的な一致があった事が「白蓮事件」の背景にあった事は初めて知りました。 福岡県飯塚市で筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門の旧邸宅の一部公開と「筑前いいづか雛(ひいな)のまつり」が2月から始まるのを前に、両方のイベントを合同でPRする文化交流展で10日まで行われている。 写真はいづれも展示されていたいいづか雛まつりのものです。

柳原白蓮は 明治18年、東京に生まれました。本名はあきこ(火ヘンに華)。大正天皇の従姉妹にあたる血筋です。 14歳で家族の決めた北小路子爵家の息子資武(すけたけ)と結婚し、15歳で男児を出産しました。しかし、精神薄弱に近い資武との余りにひどい結婚生活に見かねた白蓮の家族は、5年後に離婚させ27歳の時の九州一の炭坑王の伊藤伝右衛門と再婚した。 九州一の炭坑王の伊藤伝右衛門。 けれど、それは貴族院議員に出馬するあきこの兄の金欲しさと名門の家柄を必要とした伊藤家、そして幽閉生活からの脱出を願うあきことの利害が一致した末の政略結婚でもありました。伊藤は『あかがね御殿』と呼ばれる豪華な大邸宅を作ってあきこを迎えるのですが、25歳年上の彼には女中を兼ねた妾や誰が産んだのかもわからない子供が何人もあったと言います。そんな生活の中でもあきこの転機は、佐々木信綱の門下生となったことで訪れます。 歌人として注目されるようになったあきこ。彼女の戯曲『指蔓外道(しまんげどう)』の上演依頼のために訪れた東京帝大法学部に通う傍ら雑誌『解放』の編集をする宮崎龍介。それが運命の出会いでした。けれど、まだ人妻の恋愛が姦通罪として制裁されていた時代。さらに、あきこは30代半ばで、宮崎は彼女よりも6歳年下であり、社会革命の理想に燃える帝大新人会のメンバー。これは実るはずのない恋でした。 それでも二人の恋は燃え上がり、あきこは宮崎の子を宿します。それは二人の気持ちを確認し、固めたきっかけとなります。 あきこは伊藤と上京した際に姿を消し、二日後、『私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます』という公開絶縁状を朝日新聞に掲載しました。 ・・・・・・
わが命惜まるるほどの幸を初めて知らむ相許すとき
という歌が残っている。 詳細はここ

思えば白蓮も宮崎龍介も啄木と同世代人であり当時の社会の状況が浮かび上がります。 貧しい東北の村を石を持て追われた啄木とこんなお雛様に囲まれていたであろう白蓮とが同じような本を読んでいたのだろうと思うともっと調べてみたいものだと思います。

今日たまたま本の整理をしていたら白蓮の歌が出てきた。 短歌研究の昭和41年11月号に出たものです。 写真図解昭和万葉集第5巻にありました。
いつしかに八十とせ生きてつかの間の露の命のことわりを知る 白蓮
拙歌を白蓮に捧げます。
白蓮の激しき恋のことわりを知る 「人格的尊厳」記事に輝き 公彦
参考記事 西日本新聞1月5日付け
参考になったらクリックを!→人気ブログランキングへ
| 固定リンク
「歌論」カテゴリの記事
- 下村すみよさんの歌集「前奏曲」を読んだ(2025.11.12)
- 「あなたと読む恋の歌百首」(俵万智著)を学びました(2025.08.26)
- 古谷円さんの『ひきあけを渡る』を読んで(2025.05.22)
- 「与謝野寛・晶子を偲ぶ会」に参加しました(2025.05.17)
- 笹公人さんの「寺山修司の短歌」(2025.05.09)





















![河内 孝: YouTube民主主義 ~メディア革命が変えるアメリカの近未来~ [マイコミ新書] (マイコミ新書)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41JYkmmAyXL._SL75_.jpg)
![神田 敏晶: YouTube革命 テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえ [ソフトバンク新書]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41UT6fmqU1L._SL75_.jpg)


![神田 敏晶: Web2.0でビジネスが変わる [ソフトバンク新書]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41BCP936DJL._SL75_.jpg)









コメント