自分自身のあり方を静かに見直す機会
昨日は二つの葬式に参加した。告別式と通夜に参加した。
俳句の友の74歳のご尊父と短歌の友のベターハーフ64歳がなくなった。
どちらも浄土真宗で清めの塩を使わなかった。
死は穢れではないので清める必要はないという考えだ。
通夜でいただいた「葬儀を縁として」という文書にあった記事を紹介します。
身近な人の死は、私たちの心をゆすぶり、今の日常が永遠に続くかのように錯覚して暮らしている私たちに「やがては死んでいく身を、どう引き受けていくのか」と問いかけています。 しかし、現実には私たちは亡き人に対して「どうか安らかにお眠り下さい」あるいは「心からご冥福をお祈りします」ということで済ませてしまい、また元の日常生活の中で、地位や世間体などに振りまわされ、かけがいのないいのちをすりへらしているのではないでしょうか。 「ひとりの人間の死」という思い事実を自分の問題として受け止めず、ただ「冥福を祈る」ということだけで過ごそうとすれば、それは亡き人からの大切な問いを無にすることであり「自分のあり方を見つめrなおす眼」を自ら塞いでしまうことなのです。」
残った人たちに元気を出して欲しい。
そして
自分自身のあり方をこういう機会に静かに見直してみたいと思います。
どうぞ激励クリックをお願いします。
→人気ブログランキングへ
こちらもをお願い致します
→FC2ブログランキング
→こんなのも始めましたこれもよろしくお願いします。
BlogPeople
このサイトのあなたのレビュー!
« 短歌とはかくも力のあるものか(改2) | トップページ | つりばか日誌18最高! »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- これらは全てスコットランドだ。(2014.09.19)
- 日光紀行(2011.11.28)
- イベントに参加してネットワーキングを成功させる25の法則(2011.10.28)
- 猫鍋(2011.10.23)
- 流山と荻窪(2011.10.11)
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 自分自身のあり方を静かに見直す機会:
» ホワイトカラー・エグゼンプション ⇒ 「家庭だんらん法」に [JUNSKYblog2007]
前の国会で、「全労連」はもちろん「連合」など多くの労働組合や一部良識ある経営者からも強い反対の声があがり、政府が導入を断念した、(日本経団連が推進してきた)
「ホワイトカラー・エグゼンプション法案」。
当初は、この「ホワイトカラー・エグゼンプション」の意味が、多くの国民にとって「なんのこっちゃわからん!」と戸惑っている内に、日本経団連が押し切ってしまおうとしたが、日本共産党や労働組合・全労連が
「ホワイトカラー・エグゼンプション法案」 =『残業不払い法』
と“口語訳”したことによって、急速に労... [続きを読む]
コメント