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2007年10月26日 (金)

橘曙覧の連作について 

橘曙覧の連作について      (本:「江戸秀歌」春秋社・植松壽樹著を読んで)
「 」は植松氏の文章です。

橘曙覧の連作の妙についていくつかの例歌を引いて書きたいと思います。

1. 父の17年忌に(2首)
・今も世にいまされざらむよはひにもあらざるものをあわれ親なし
(いまでも世の中にいらしゃらない年齢でもないのにあわれにも親はこの世にいない)
・髪白くなりても親のある人もおほかるものをわれは親なし
(髪が白くなっても親がいる人は多いのにわたしには親がいない)
十五歳にして父もなくし天涯孤独の身であった曙覧である。
父への思いは強烈である。
「独立して味わえる二首ではあるが、二首を一つとして味わうと、一層その趣が発揮されるというところに、連作の面白みと強みがあるのである。」

2. 母の37年忌に
・はふ児にてわかれまつりし身のうさは面だに母を知らぬなりけり
(まだ這う嬰児のときに母親を亡くしお顔さえ知らないのが悲しい)
二歳の時に母とは死別し顔さえ知らないと歌う「はふ児」である。
これは連作ではないが父への思いと重なるたんたんとした事実の積み上げは共通している。

3. 堀名銀山の歌(八首)
同門の冨田礼彦(高山県判事)(現在の助役の相当する)が幕府の命を受けて開発していた堀名銀山(福井県勝山市)を訪問した時に作った歌。
・日のいたらぬ山の洞のうちに火ともし入りてかね堀り出だす
(日の届かない暗い山の穴の中に明りを点して鉱夫は銀を掘り出している)
曙覧はこの鉱山の採掘の歌から始まって採掘・粉砕・選鉱・溶解の各工程を5首にまとめ幕府への輸送の為の梱包を1首、輸送と朝廷への祝意を1首と計8首に纏めている。
見事な鉱山作業労働の写し取りであり、私は足尾銅山を見学した事がありその後の工程も若干知っているがかなり現代の同作業の事実に近いと思う。
これも連作が1首の持つ訴える力の集合以上の力を持つ例だと思う。
第二首目だけを挙げる
・赤裸の男子群れて鉱(あらがね)のまろがり砕く槌打ち振りて

4. 幸山長遠の死を悼む歌(4首)
曙覧の和歌の弟子であり一部だけしか残っていない大同類聚方という日本最古の医学書を骨子とした医学の体系書を10巻構想の内7巻まで書き残した友を弔う歌群である。
・一部(ひととも)の書かきおへむ程をだにこの長遠を世には在らせで
(一部の書物を書き終える間くらいもこの長遠をこの世に天は生き長らえさせなかった)
友の為に天を恨んでいる曙覧がいる。
・一ともに満ちたらずとてなげかめや世に無き文をかきし七巻
(完結の一部の書物にならないからといってなげくことがあろうかこの世にない書物を7巻もかいたのだから)
友人ととも早すぎた死を意味有る死として慰めている曙覧がいる。
・書き継がむ人また有りて汝(な)が功績(いさお)つひには全くならむ行すゑ
(書き継ぐであろう人が出てきて汝の功績は完全なものになるであろう)
だから友人よ安心して先に天国に行ってゆっくりしていてくれと言っている曙覧がいる。
・えみし唐土(から)きたなき国の術からぬくすしの書(ふみ)を一人書き出ず
(諸外国の技術を借りないで医術の書物を一人で書き出した)
長遠の一人の医学的偉業を江戸時代の孤高の一国学者としての自分とも重ねつつ高く顕彰するものである。
「この4首は、前出鉱山の歌と共に、曙覧の試みた連作の一つで、各首それぞれに独立した味を持ちながら、4首1そろいとしてみると、一層濃厚な味を持ってくるという趣があって、まさに名作といっていいものである。」

5.蟻の歌(4首)
・地上(つちのへ)に堕ちて朽ちけむ果(くだもの)のなかごくろめて蟻のむらがる
(地面に落ちて朽ちている果物の中の部分が黒く見えるほど蟻が群がっている)
よく果物のなかごと蟻の大群を見ており表現している曙覧がいる。
・蟻と蟻うなずきあひて何か事ありげに奔(はし)る西へ東へ
(蟻と蟻がはちあわせになって何か重大事があるよう西と東に分かれて走る)
蟻は確かに何か相談して即決して忙しく走りまわっているように見える。
蟻や腐りかけの果物が曙覧によって歌の大事な素材となったようである。
これも蟻をじっくりと見つめた上のエポックメーキングな連作である。

6. たのしみは・・(52首)
有名なこの一連は新しい歌の作り方としてテーマでの連作という方法論を提示している。
・ たのしみは草のいほりの筵敷ひとり心を静めをる時
・ たのしみは百日ひねれど成らぬ歌のふとおもしろく出できぬる時
・ たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしというとき
・ たのしみは門売りありく魚買ひて煮る鍋の香を鼻に嗅ぐ時
・ たのしみは世に解きがたくする書の心をひとりさとり得し時
・ たのしみは湯わかしわかし埋火(うずみび)を中にさし置きて人とかたる時
・ たのしみは家内五人(いつたり)五たりが風だにひかでありあえる時
・ たのしみは木芽にやして大きなる饅頭を一つほほばりしとき

7. 歌論
最後に歌論を残していない曙覧の歌論を紹介して終わりとします。
これ一首で一冊の歌論に匹敵するでしょう。

・いつわりのたくみをいうな誠だにさぐればうたはやすからむもの 

 以上

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