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2007年10月25日 (木)

君が決心したことそれが君の新しいルールです

自分の感受性くらい 茨木 のり子

ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


今日の金八先生ではこの詩は紹介されてない。
消滅した大津留公彦のブログの去年の2月に書いているようなのでその頃の金八先生で紹介されたと思う。

今日はこの場面で使われていた。

それまで私服登校していた転校生の美香(草刈麻有)が制服を着て現れ「制服を着ないと内申に響くからじゃないからね」と職員室の金八に前の日にこの詩を読めばと借りていた茨木のりこの詩集を置いて帰るというシーン。

この詩はタイトルしか紹介されてないのにジーンと来てしまった。

昨年詳しく取り上げたのでこういう紹介をしたのだろう。

ところでこの詩についてこういう意見があった。

「自分の感受性は社会(世界)に奪われた!」などと叫ぶことも、立派な一つの感受性である。というか、実はそういう感受性の方が、「自分が悪くなったのは自分のせいなんだ……」とか言う(敢えてはっきり言ってしまえば)自虐的な考え方よりよっほど面白い作品を作る。 そんな必死に「自分の感受性」なんてものを守ってどうなる?それで何か変わるのか?「自分の感受性」なんてもの必死で守ってそれで人生終えるより、「自分の感受性」を世界に奪われてでも、世界とともにあり、そして世界を変えるべきではないのか。 人は「あらゆるもの」から自由であるべきだ。そしてその「あらゆるもの」に感受性は含めるべきだ。
sjs7のブログ再録] 「自分の感受性くらい」について


こんな記事もあった。

1 自分の感受性くらい  茨木のり子さんの詩には,「わたしが一番きれいだったとき」というリフレインのきいた感動的な詩がある。  読んでいくと,最初人を叱咤している詩のように見えたが,実は,自分で自分の弱さと思い上がりを叱っている詩・・・・  人生には巡り会いが大切だと言われるが,若い時に,こういう詩に巡り会い,自分の心の箪笥にでも,そっとしまっておくのがいいと思う。  自分の発想なり考え方なり,気持ちの持ち方なり,それが人生に対するものであれ,仕事に対するものであれ,人に対するものであれ,最後は「自分」の心の持ち方。  自分の弱さや思い上がりを心底叱ってくれる人は,そういない。自分を叱ってくれる自分を持つこと。自分を立て直すのは自分でしかない。そして,謙虚にひたむきに前向きに自分のレベルを上へ上へと高めていくこと。  この「実務の知恵」でも,内なる知的開発のスタンスは,そこに置きたい。  時折は,引き出して口ずさみ,自分を叱ってくれる内なる詩に耳を傾けることも大事だと思い,この詩を掲げさせていただいた。私のためにも。
 自己啓発の心

自分の人生を人のせいをにはしたくない。

「倚りかからず」でもそうだが茨木のり子の詩の基本は「自分の人生では自分が主人公」ということだろう。
この番組のテーマもそうかもしれない。
第二回は「人生は自分が出した答えだけが答え」がキーワードだった。
今回第三回の金八先生の最後の言葉はこうだった。

「君が決心したことそれが君の新しいルールです。」

それを言われた大西悠司役の布川隼汰君の実父は元しぶがき隊の布川敏和、実母はつちやかおり(第1シリーズに出演)、叔母は元おニャン子クラブの布川智子 です。

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コメント

友さん
すばらしいコメントをありがとうございました。
>ひとつひとつのの言葉を、どういう世界観を持って語るか、生かすか。
この時代の中でも「わずかに光る尊厳」への希望をこそ、読み取る感受性がもとめられるでしょう。

求道者友さんにふさわしいお言葉です。
「わずかに光る尊厳」への希望を持って毎日をおくりたいものです。


又しても返信の来る夜長かな
耽溺するブログの広げる夜は長し

 わっかるなあ。私の場合、長くなるのは打ち込みが遅いから。でも初心者ながら楽しんでます。
 さて「感受性」ですが・・・、抽象化された詩の表現は読み方次第だなと思ってしまいました。文学的な素養がないので・・・。私は単純にいいな、心に言い聞かせておこうと言う程度の読みです。

 コメントのやり取りを見る限り、個と世界(社会、他者)を対立的に固定的に捉える傾向が見えるんですが。個は相対的に独立しつつも、基本的には世界に規定される。
じゃあ、運命論敵に絶対的に規定されるのか、。個と、その感性はただ受動的な存在なのか?世界だって個の働きかけによって変わっていく、そういう関係ではないでしょうか。これは、その主体性の確立の問題を問う詩じゃないでしょうか。
 相対的独立性自立性を高めながら、世界に対して能動的に働きかける中でこそ、個の確立や感受性の豊かな実りと言うものはあるのではないでしょうか。

 私は、この詩の中に、そういうエールを感じます。主体性には自己責任は当然伴うものですが、「自己責任」と言う言葉は誰がどういう立場で言うかによってその持つ意味は違ってくると思います。ま、言葉と言うものはそう言うものなんで。
 支配者の言葉に飲み込まれない感性こそが今求められていると思います。

 jyunskyさんは、勿論そんな意味ではいってないと思いますが。まさに支配者の言葉を批判する主体的感性に発するコメントだと思いますが、この詩に対する感じ方としては、ちょっと寂しいかな。

 「政治主義的文学理解」については、そう言う指摘もあるのかな、というところです。
ひとつひとつのの言葉を、どういう世界観を持って語るか、生かすか。

この時代の中でも「わずかに光る尊厳」への希望をこそ、読み取る感受性がもとめられるでしょう。
抽象的的ですが、そんなことを考えました。
よそに来て、長々と失礼しました。

たけむら さん
友さん
junskyさん
愚樵 さん

まとめてコメントありがとうございます。
気持ちを共有できて嬉しいです。

junskyさんのコメントは読みが浅いと思います。というか政治主義的な文学理解だと思いますと言ったら怒りますか?

皆さんのコメントを求めます。

感受性と自己について深く考えさせられました。

>自分の感受性くらい
>自分で守れ
>ばかものよ

に対して、

>「自分の感受性は社会(世界)に奪われた!」などと叫ぶことも、立派な一つの感受性である

という批判。とても興味深いです。

思うに、感受性とは自分のものではないのでしょう。むしろ自己と他者との壁を取り払っていくのが感受性。してみれば他者に感受性を奪われるということも充分ありえる話です。
感受性を通して入り乱れる自己と他者の間でいかに自己を確保するか。それが

>君が決心したことそれが君の新しいルールです

ということに繋がっていくのでしょう。いくら感受性が豊かとはいえ、すべてを受け入れることはできない。何を受け入れ、何を拒絶するのか。そのルールを定めること。それが自己なのだ、と。

こういう具合に記事を読ませていただきました。

 深く読むと、もっと重い意味があるのかも知れませんが、このブログでサッと読んだ限りでは、この詩は「自己責任論」に行き着く気がします。
 「格差が生まれるのも結局自分のせいだ」
という考えに繋がってゆくように思えます。

 現在、社会的批判に晒されている、若者の非正規・不安定雇用や格差の拡大は、自民党・公明党・民主党が率先して通してきた『グローバル化』の名によるアメリカ式格差拡大法案(多数)にあります。

 この詩は、こういう社会的背景をうやむやにし、美名の下に格差社会を認めてしまう「自己責任」ポエム(死)だと思います。

お久しぶりです。
「自分を叱ってくれる自分を持つこと。自分を立て直すのは自分でしかない。そして,謙虚にひたむきに前向きに自分のレベルを上へ上へと高めていくこと。」
に共感です。

ずっと前、茨木のりこさんの「自分の感受性くらい」に出会い、衝撃を受けました。
ちょっと、落ち込んでいる時でしたが・・。
早速、古本屋さんで、詩集を見つけ、今も時々読み返しては、大事にしています。

今夜見ました。布川君なんですね。

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