映画「アース」
光栄なるM男さんの映画評論の最初の読者となって久しい。
本になる予定の由なのでこのブログでの連載開始の前の分はその本で読んで頂きたい。
今回は「アース」
かなり長い環境問題に関する論説です。
最後の方の文章が映画の感想文です。
こんな映画評論があってもいいでしょう。
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シネマぶらり観て歩き(109)
アース アメリカ
人は40才を過ぎたころから、一世紀という長さを実感できるようになる。私の祖父は明治28年(1895)生まれで平成4年に亡くなった。96歳の長寿でほぼ一世紀を生きた。曽祖父は弘化元年(1844年)、曾祖母は安政2年(1855年)生まれで、親父は江戸生まれに抱かれている。もし、曽祖母が祖父と同じ寿命まで生きながらえたなら、私は生まれた時、江戸生まれと接している。江戸時代は遠いようだが、ほんのちょっと前だ。
生身の人間が生きることができるたった100年の間に推定年齢46億才の地球に異変が起こっている。
2007年に公表された国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の「第4次評価報告書」は地球温暖化について次のように述べる。(気象庁HPより)
「現在、二酸化炭素の濃度は379ppm、メタンの濃度は1774ppb 以上で、どちらも少なくとも過去65万年間のどの時よりも非常に高い可能性がかなり高い。最近の変化率は劇的で、前例のないものである。二酸化炭素が1000年間当たり30ppmを上回って増加することは一度もなかったが、現在、二酸化炭素はわずか過去17年で30ppm上昇した」
さらに、温暖化がこのまま進んでいくと、21世紀末に「生態系については、多くの生態系の復元力が、気候変化とそれに伴う撹乱及びその他の全球的変動要因のかつて無い併発によって今世紀中に追いつかなくなる可能性が高い。これまで評価された植物及び動物種の約20~30%は、全球平均気温の上昇が1.5~2.5℃を超えた場合、絶滅のリスクが増加する可能性が高い」と述べる。報告書はその他、海水面の上昇により、沿岸面積の30%が水没することや食料減産、伝染病の蔓延など深刻な予測を提示し、温暖化防止の緊急性を警告する。
私には生物の2~3割が絶滅する環境で、人間が生存できるというイメージが持てない。報告書を読み進むうちに、脳裏に浮かんだのはブラックSFの世界だった。
気温上昇により、生物の多様性、食物連鎖が断たれる。洪水と乾燥により、土が流れ、砂漠化が進む。農業や漁業、畜産業が成り立たず、食料供給が乏しくなる。開発途上国では飢餓により、国そのものが滅んでいく。人間にとって最低なくてはならないものは空気と水と食料である。水は海水をろ過して得た。野菜は工場のなかでつくった。感染症を避けるために、お金持ちはシェルターのなかで暮らした。(なにやら、少年の頃読んだ「月世界の暮らし」に似ている)しかし、工場労働者が薬の効かない伝染病で倒れて稼動できなくなった。お金を持っていてももはや買う物がない。「金って何にも役にたたないんだ」最後まで生き残った男が吐き棄てるように言った。(男はヘッジファンドのCEOにしよう)
このストーリーを私たちは笑えるだろうか。いや、ひょっとしたらこのSFを私たちは地で行っているのかもしれない。
環境問題は人間にとって実にやっかいな問題だ。現実のことではなく、近未来のことでイメージ力に負うところが大きい。これには、一定の文化水準や民度が求められる。なにより、利害がからむ。国内の水問題一つとっても利益は相反する。大きな自治体は遠く離れた山にダムをつくり、そこから水を引くが、地元の村はその水道水を高い料金で買うことになる。あるいは大きな自治体はよその河川に堰をつくり、導水するが、下流の農家は灌漑用水が不足し、漁民は魚がとれなくなると反対する。こうした利害対立は都市と地方、第1次産業と第2・3次産業、工業国と開発途上国というようにどこまでも広がる。
現在の地球温暖化防止の障害は世界第一位の温室効果ガス排出国であるアメリカが経済発展の妨げになるという理由で京都議定書から離脱していることにある。日本政府も実際には追随している。第2の温室効果ガス排出国である中国は途上国ということから京都議定書では目標数値設定を免除されている。
このような現実に目を奪われて、人間は所詮、貪欲な生き物だ、経済成長を止めるのは不可能だとする意見がある。何かを努力して、結果及ばなかったのは致し方ないことである。しかし、46億年の時間をかけて、奇跡的に知性をもつ生物体となった人間の到達した結論がそれだとすると余りにも寂しい。それに、いずれ滅ぶという諦観は戦争に反対する理由も弱いものにする。
先ほど、利害がどこまでも広がると述べた。実際には「どこまでも」といっても限りがある。
あくまで、地球の上での話だ。そうならば、地球の上に棲むありとあらゆる生き物が安全に暮らせる方法を考えるしかない。核兵器だって人間がつくったものだ。人間がつくったものは、人間が廃棄できると考えるのは自然なことだ。幸い、EU諸国が温暖化防止で世界をリードしている。
人間は叡智を集めて、環境問題をきっと解決するにちがいない。その思いから肯定的なイメージを膨らませた。
20XX年、国連に世界各国の憲法が持ち寄られた。「地球環境法」をつくろうとの呼びかけに応えたものだ。憲法だけでなく、世界中の思想・文学や伝承民話の類も持ち込まれた。なぜなら、この法は従来の個人や企業・国家間の権利の枠組みでは収まりきれない新たな考え方を必要とするからだ。それらを超えた絶対法にしないかぎり、各国の利害対立の前に吹っ飛んでしまう。ドイツ代表からは中世、収穫の良し悪しを平等にするために、農民が耕地を年毎に交換した制度が紹介された。それを聞いたアメリカ代表が「我らの祖先は西部開拓時代、インディアンの襲撃の危険性を平等にするために幌馬車隊のしんがりを交代しながら進んだ」といって、会場をシラケさせた。
日本代表の発言が最も自信に満ちていた。日本では国内を疲弊させた新自由主義的政策に訣別する新しい政権が誕生していた。「列島北部に住むアイヌ民族は動物や自然のなかに神を見て、尊敬し、かれらと共生する哲学をもっていました。農民は水争いを避けるため、平等に各田んぼに水が張れるような取水の技術と定めをもっていたのです。農民は排泄物を肥料にし、漁民は魚を取るために山や野に木を植えました。明治時代まで、自然に帰らない廃棄物はなかったのです。循環型社会のモデルは日本にはことかきません。なによりも、戦争への反省から制定した憲法第九条が最大の環境破壊である戦争を抑止してきました……」
こうして、「地球環境法」は日本のリードのもとに制定された。イギリス代表が閉会の挨拶で述べた。「かつて、わが国の政治家が政治は国民の文化水準を映す鏡であると言いました。今、地球に住む生きとし生けるものの知性がここに輝いています」
拍手が起こり、各国代表が互いに抱き合った。この頃、日本では世界遺産に指定された知床半島に流氷が訪れることはなく、それらが運ぶ栄養で育った鮭が北海道の川を遡ることも稀になっていた。ヒグマは絶滅の危機にあった。しかし、地球の復元力が残っており、法施行によってすんでのことに温暖化にブレーキがかかった。監視事務局は京都に置かれた……
映画は温暖化防止をテーマにしてはいない。登場するのは様々な動物たちである。最初は白熊。長い冬から目覚め、生まれたばかりの小熊が雪面を滑り落ちる姿は屈託がない。しかし、漁に出た母熊の足元には例年張っていた氷はなく、アザラシを獲ることが出来なかった。獲物をとれないことは死を意味する。カメラは北極から南下して各地に棲む様々な命の営みをいとおしむように見つめる。
個体数40頭になり、絶滅寸前のアムールヒョウ、水を求め、灼熱のカラハリ砂漠をえんえんと歩くアフリカ像の群れ、日光と雨に恵まれたパプアニューギニアの森で求愛の踊りを見せるカタカケフウチョウ、そして、息を飲むソメイヨシノの開花。最後は南極海を目指す2頭のザトウクジラに寄り添い、旅が終わる。なんと地球は美しいのだろう。この生物たちを大切にしたいと観たもののこころを締め付ける。
監督は「ディープ・ブルー」のアラステア・フォザーギルとマーク・リンフィールド。世界26ケ国、200箇所以上のロケ地で撮影し、野外での撮影日数は4,500日に上るという。1秒間に2000フレームの撮影ができる超ハイスピードカメラなどの高度技術が臨場感あふれる映像を生み出した。その驚くべき映像をベルリンフィルハーモニーが美しい音楽で謳いあげている。
(M男)
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[メトロに乗って — 精神の温暖化]をご紹介頂きましてありがとうございます。
アメリカに長年住む人の我々とは違った視点が面白かったです。
今後ともいろいろ紹介して下さい。
投稿: 大津留公彦 | 2008年3月11日 (火) 08時54分
「メトロに乗って…精神の温暖化」と題して911以降のニューヨークの変貌を綴ったNY金魚氏の最新ブログはいろいろ思いあたる節の関連性を活写しているように思う。
「これはグローバリゼーションのNYCに対する反撃のようなものではないか、とも考える。世界中がお互いにとても近くなり、そのかわりどこもかしこも平べったくなった。コンピューターで世界を席倦したアメリカは、勢いにまかせて同時にあらゆるアメリカ的なるもので世界を席倦してしまい、根深い文化を担っていた旧世界の神々を怒らせてしまったにちがいない。…」
「アメリカの中では、他の地方都市とはちがって唯一特出していたNYCは、見事に平べったくされて、その元気の素を殺がれてしまったのではないか。」…
と分析し、それがもたらす人々への作用を『精神の温暖化』という語を見出し、与えている。
911がコンテンポラリーアートシーンに与えた衝撃波は大きく昨秋、KPOキリンプラザ大阪も閉館に追い込まれた。ブラックレインでも描かれた大阪の時にアナーキーを伴う交雑性をより無難なもので構成せざる得ない圧力が強まっている(自己自縛・自己呪縛)、この進行の先には果たして、何が生まれるというのか…。
こうしたNY(大阪も)の自縛的進行を尻目に、IMF支配から抜け出たアジア・中南米で新たな蠢動が始まっている。
新自由主義経済が真に人類の精神史を高みに誘うものではないことの逆説の証明過程がここにはある。
更に付け加えれば、新自由主義のもたらすアーティストも含めた閉塞と貧困の状況はやがて、新社会主義思潮を内部に持つ種変わりポストモダンのグルーヴを産みだすことになる。
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投稿: banzai | 2008年3月11日 (火) 00時11分