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2008年7月27日 (日)

NHKのこの夏の戦争特別番組の紹介

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63年目の終戦(敗戦)記念日が近づいています。
NHKのこの夏の戦争特別番組の紹介を致します。
dj19の日記
戦争を語り継ごうブログ
で紹介されている内容にBSの番組も追加し詳細もNHKのホームページから紹介しました。

遅い時間やBSが多いのが気になりますが今年もたくさんの力作があるようです。


証言記録 兵士たちの戦争
「ニューギニア ビアク島 幻の絶対国防圏 ~岩手県・歩兵第222連隊~」
チャンネル :BShi
放送日 :2008年 7月27日(日)
放送時間 :午後0:00~午後0:45(45分)
ジャンル :ドキュメンタリー/教養>社会・時事

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「絶対国防圏」の第一線、西部ニューギニア・ビアク島を死守すべく派遣された岩手県人を中心とする歩兵第222連隊。援軍もなく壊滅していった部隊の悲惨な戦場を描く。
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ガダルカナル島の敗戦以降、劣勢に回った日本軍は、いわゆる「絶対国防圏」を定めた。昭和18年末、第一線の西部ニューギニア・ビアク島へ岩手県人を中心とする歩兵第222連隊3900人が派遣されるが、翌年5月、戦況悪化を理由に大本営は、島を絶対国防圏から外し、後続の部隊を送らないように命じる。元兵士たちの証言を軸に、死守すべき絶対国防圏から置き去りにされ、壊滅への道をたどった部隊の戦場を描く。


証言記録 兵士たちの戦争

7月30日(水)午前0:10~1:38 (29日深夜)
7月30日(水)~8月1日(金)総合・午前0:10~1:38 (29日~31日深夜)
 今年1月から月に1本放送している「証言記録・兵士たちの戦争」。アジア・太平洋戦争で生死を賭けて戦った元兵士たちの生々しい証言から戦争の過酷さ、虚しさが浮かび上がる。今回はデジタル衛星ハイビジョンで放送したものの中から6本を三夜連続で一挙放送する。

★7月30日(水)0:10 ~ 1:40(29日深夜) NHK 総合
証言記録 兵士たちの戦争
「フィリピン 絶望の市街戦 ~マニラ海軍防衛隊~」
「ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28 連隊~」
http://www3.nhk.or.jp/omoban/main0729.html#20080729011
1945年2月3日から1カ月間、フィリピンの首都マニラで繰り広げられた「マニラ市街戦」。日本軍ほぼ全滅(遺体確認1万6555名)、米軍死者1010名、フィリピン人死者10万人と1ヶ月でおよそ12万人の命が失われた。首都を廃墟にしたこの市街戦を戦った日本軍兵士たち……「マニラ海軍防衛隊」。マニラ死守の命を受け、急場しのぎで結成された部隊だった。海軍の沈没戦艦の生き残り水兵や整備士、マニラの商社に勤めていた残留邦人をかき集めた部隊は、戦闘の訓練を受ける間もなく、米軍と対峙することになる。補給も絶たれ、ビルの地下室で凄まじい持久戦を強いられ、斬り込み攻撃を繰り返すほかなかった。その抵抗は、米軍の激しい無差別砲撃を招く。そして抗日ゲリラを恐れる狂気のなかでフィリピン人に銃が向けられる。戦後62年、わずかに生存する元兵士たちは、ようやくその重い口を開こうとしている。最近アメリカで公開された米軍戦闘報告書、「マニラ海軍防衛隊」兵士たちの日記や記録なども交えつつ、元マニラ海軍防衛隊の兵士たちの証言を徹底して記録していく。
「ガダルカナル 繰り返された白兵突撃」
7月30日(水)総合・午前0:55~1:38 (29日深夜)~北海道・旭川歩兵第28 連隊~」
 1941年の開戦以来、連戦連勝を重ねてきた日本陸軍は、42年8月、米軍と初めて本格的な戦闘を繰り広げる。場所はガダルカナル島。旭川歩兵第28連隊の歩兵一個大隊を中心に結成された「一木支隊」2千数百名はここに投入され、8割あまりの兵士が生きて帰国できなかった。日露戦争以来の戦法「白兵突撃」で挑む日本の兵士たちは、「すぐに勝てる弱腰の相手」と完全に見くびっていた。しかし、米軍は全ての意味で、兵士たちの想像をはるかに超えていた。圧倒的な武器、予想をこえる兵隊の数、そして、詳細な情報を基にした戦略。ジャングルという敵とも戦いながら兵士たちは米軍の強さを知る。しかし、大本営に「撤退」の考えはなかった。ガダルカナルには次々と兵士が送り込まれ、突撃が繰り返された。やがて、兵器不足と飢餓から兵士たちは戦えなくなり、生きる屍となってゆく。日本陸軍の初めての惨敗。さらに敗戦を認めず精神主義で押し切ろうとした愚かさからここで2万人の兵士を死なせることになる。辛酸をなめた兵士たちの証言から、この悲劇の背景を浮かび上がらせる。

★7月31日(木)0:10 ~ 1:40(30日深夜) NHK 総合
証言記録 兵士たちの戦争
「ニューギニア・ビアク島 幻の絶対国防圏 ~岩手県 歩兵222連隊~」

 数多の人命を奪い国土の多くを灰燼に帰したアジア・太平洋戦争。戦後63年経ち、高齢化が進む元兵士の証言をNHKの全国の放送局で収集して記録するシリーズ番組。ガダルカナル島の敗戦以降、劣勢に回った日本軍は、これ以上のアメリカ軍の進撃を許さない防衛ライン、いわゆる絶対国防圏を定め、特に飛行場適地があったニューギニア島北西部のビアク島を「空母十隻分にも相当する」として重視した。昭和18年末、岩手県人を中心とする歩兵第222連隊3900人と、後方支援部隊などからなる1万3千人のビアク支隊が派遣されるが、翌年5月、戦況悪化を理由に大本営は、ビアク島を絶対国防圏から外し、後続の部隊を送らないよう命じる。部隊は、飛行場を奪い取ろうと日本軍の4倍の兵力と圧倒的な火力で襲いかかってきたアメリカ軍と凄惨な戦いを繰り広げるが、戦後、生きて日本に帰って来られたのは開戦前のわずか3.9%にすぎなかった。島に今も残されたままの遺骨や当時の戦いのすさまじさを伝える最大の激戦地の様子などを盛り込みながら、元兵士たちの証言を軸に、死守すべき絶対国防圏から置き去りにされ、壊滅への道をたどった部隊の戦場を描く。
7月31日(木)午前0:55~1:38(30日深夜) 「沖縄戦 住民を巻き込んだ悲劇の戦場」
 太平洋戦争末期の昭和20年。日本の敗色が濃厚になる中、沖縄では軍と住民が混在する中で凄惨な戦いが繰り広げられた。
 沖縄戦に参加し、終戦を迎えてなお戦い続けた山形・歩兵第32連隊──山形県、北海道、沖縄県の出身者で編成され、沖縄守備軍有数の精鋭部隊として名をはせた。しかし、圧倒的な兵力を擁するアメリカ軍の猛攻を前になす術はなかった。捨て身で爆薬を抱えて敵の陣地につっこむ「斬り込み」を決行するなどして、多くの兵士が帰らぬ人となっていった。
 しかし大本営は、来たるべき本土決戦のため、沖縄戦では「極力敵の出血消耗」を図るという方針を打ち出していた。沖縄守備軍は武器もない中で過酷な持久戦を強いられた。そしてこの持久戦が住民をも巻き込んだ悲劇を生むことになる。軍は首里の司令部が陥落し敗色が決定的になった後も、沖縄本島南部で自然壕の多い喜屋武半島を戦場として戦いを継続させることを決定する。しかし、そこには既に多くの住民が避難していた。アメリカ軍の猛攻に多くの住民が巻き込まれ、32連隊の行く手には軍人、住民を問わず犠牲者の山が広がった。
 本土防衛のための持久戦という方針のもと、住民たちが巻き込まれていった沖縄戦の凄惨な姿を歩兵第32連隊の生存者の証言から描き出す。

ハイビジョン特集  フロンティア シリーズ アメリカの描いた“原爆” ヒロシマナガサキ ~白い光 黒い雨 あの夏の記憶~
BShi 7月31日(木) 午後8:00~9:35
アカデミー受賞経験のある日系アメリカ人のドキュメンタリー映像作家、スティーブン・オカザキ氏が、広島・長崎の被爆者と向き合った。25年に渡る原爆取材を続けて制作した短編作品は2006年、アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。この番組は、それを発展させた本格的な長編ドキュメンタリーである。

今まで、アメリカの放送局が制作した“原爆もの”は、ほとんどが「アメリカは正しかった」という考えにもとづいて作られてきた。しかし、オカザキ氏は、新たに徹底的に被爆者へインタビューを行い、先入観に捉われず、被爆の実態を丹念に取材した。

取材中、オカザキ氏が驚いたのは、被爆体験の風化が急速に進んでいることだ。「どうすれば、多くの人に原爆の悲惨さを伝えられるか」オカザキ氏は、反核の歌を歌う日本のロックバンドや、「ピカドン」と呼ばれる芸術活動を取材するなど、“原爆もの”のイメージに捉われない作品を制作した。

日米の考え方の違いを超えた作品「ヒロシマナガサキ」は、広島・長崎の平和への願いを世界へと訴えるものである。なお、番組には、オカザキ氏へインタビューとアメリカ人のリアクションを独自に取材し、伝えていく。

※バンフテレビ祭(2008)グランプリ・NHK賞 受賞

★8月1日(金)0:10 ~ 1:40(31日深夜) NHK 総合
証言記録 兵士たちの戦争
「ペリリュー島 終わりなき持久戦 ~茨城県・水戸歩兵第2連隊~」
「インパール 食うに糧なく撃つに弾なく~新潟県・高田歩兵第58連隊~」

茨城県水戸市で編成された歩兵第二連隊が派遣されたペリリュー島の戦いを描く。
 ペリリュー島は、パラオ諸島の南部にある小さな島。ここで太平洋戦争末期、日米両軍およそ5万人の兵士たちが激戦を繰り広げた。圧倒的な兵力をもつアメリカ軍に対して、日本軍は島のいたるところに洞窟を掘って持久戦を展開した。しかし戦いが長引くにつれ、武器、弾薬は底をつき、水や食糧も補給されなかった。もはや勝ち目のない戦いだったが、フィリピンでの決戦の防波堤として、兵士たちは最後の一兵になるまで島を死守することを命じられる。
 戦いは2ヶ月半に及び、兵士たちのおよそ9割が亡くなった。彼らは狭い洞窟の中で極限の飢えに苦しみ、死を覚悟の夜襲を繰り返した。わずかに生き残った元兵士たちの証言をもとに、ペリリュー島で繰り広げられた絶望的な戦いの実態を描く。
「インパール 食うに糧なく撃つに弾なく~新潟県・高田歩兵第58連隊~」
新潟県高田で編成された歩兵第58連隊が従軍した「インパール作戦」・コヒマの戦闘を描く。
 「インパール作戦」は、太平洋戦争末期の昭和19年、悪化する戦局を打開したい日本陸軍が、インド東部のインパールを攻略しようとした作戦だ。険しい山脈、鬱蒼とした密林が待ち受けており、当初から補給困難という問題を抱えていたにも関わらず、作戦は強行された。
 インパールへの輸送路を遮断しようとコヒマを攻撃した58連隊は、絶望的な戦いを強いられた。食糧、弾薬の補給が途絶えた連隊。そこに豊富な補給を受ける連合軍の容赦ない攻撃が加えられた。やがて、退却する兵士たちを雨季の激しい雨が襲った。戦傷、飢餓に苦しむ将兵の衛生状態は極度に悪化、密林には死体が連なり、「白骨街道」と呼ばれた。
 参加した約10万の兵士のうち、半数が亡くなったとされる「インパール作戦」・コヒマの戦闘。作戦に駆り出された兵士たちは、どのような体験を重ねたのか。生存者の証言を通して、悲惨な結末を迎えた作戦の実態を浮かび上がらせる。

8月2日(土)総合9:00-10:30
ドラマ帽子


★ 8月6日(水)総合 0:10~2:00 (5日深夜) NHK 総合
★ 8月5日(火)ラジオ1 午後11:20~午前2:00 ※(一部総合同時)
夏の特集 ヒバクシャからの手紙

8月5日の夜、被爆者たちは、翌日の広島・原爆の日を前に、自らの体験を思い起こし、平和への思いをはせている。NHK広島放送局では昨年、被爆者の方々に手紙を寄せてもらい、その思いを朗読で伝えた。今年も、式典を控えた平和記念公園や原爆ドーム、長崎の浦上天主堂などの中継映像を交え、手紙を朗読する。
 「5日と6日に動員が割り当てられた私たちのクラス。私は友人とジャンケンで動員日を決めました。勝った私達は5日を選択。負けた班の20数人は、あの日、広島に出かけて被爆、全員が死亡しました。ジャンケンで生と死が分かれたことが、生涯の心の重荷となり、同窓会にも行けませんでした」(広島市・男性)
 昨年寄せられた手紙は130通。その率直で痛切な文章は、幅広い世代に届き、番組には10代から30代を中心に国内外からFAX・E-mailなどで200通以上の反響が寄せられた。今年も、国内各地そして、韓国・アメリカ・ブラジルなど外国に暮らす被爆者から手紙を募集する。テーマは「初めて打ち明けるこの思い」「原爆で亡くなったあの人への手紙」など。番組では生放送中に寄せられた感想や意見も積極的に紹介する。

平成20年 広島平和記念式典
8月6日(水)
●総合・BS2 午前8:00~(8:35)※総合・広島県内向けは8:50まで 【全国放送】
●ラジオ第1 午前8:00~(8:55) 【全国放送】
8月6日、広島は原爆投下から63年の『原爆の日』を迎えます。
今年、被爆者をめぐる大きな動きがありました。「原爆症」の認定基準が見直され、これまで見過ごされてきた被爆者が認定を受け始めています。被爆から63年を経て、ようやく国は残留放射線の影響を事実上認めたのです。
その一方で、世界を見渡すと、核廃絶への動きは一向に進もうとしていません。そうした中、アメリカで核廃絶の訴えを広めようと「全米原爆展」がかつてない規模で行われ、被爆者たちの懸命な訴えが今も続けられています。
今年の8月6日も、平和公園は、被爆者や世界から核廃絶を訴えたいと集う人々の深い祈りに包まれます。被爆63年の平和式典の様子を、この1年間の核廃絶をめぐる動きや被爆者のインタビューを交えながら、生中継で伝えます。
総合テレビ・広島県内向けには放送時間を15分延長し、式典終了まで伝えます。
お好みワイドひろしま 「原爆の日特集」
8月6日(水)●総合 午後5:00~5:50 【広島県内向け】
8月6日(水)、NHK広島放送局では「お好みワイドひろしま・原爆の日特集」と題して、平和公園内に特設スタジオを設置し放送します。キャスターは「お好みワイドひろしま」を担当する出山知樹、井上あさひの2人が務めます。
番組のテーマは“核のない未来へ”。アメリカで行われている「全米原爆展」など、市民レベルでの核廃絶に向けた取り組みを伝えます。
また、平和記念式典をはじめ、当日の県内各地の動きをNHKが総力を挙げて記録する「原爆の日ドキュメント」を伝えます。

NHKスペシャル 残留放射線~原爆症・被害はなぜ見過ごされたのか~(仮)
8月6日(水)●総合 午後8:00~8:50 【全国放送】

原爆投下から63年。原爆の放射線による原爆症の認定基準が今年、大きく変わりました。見直しの特徴は、原爆投下後市内に入った「入市被爆者」と呼ばれる人達に対して、原爆症を認定する方向になったことです。これまで国は初期放射線の被害は認めてきた一方、放射線を帯びた土などが出す「残留放射線」の影響はほとんどないとして、6万人いる入市被爆者の原爆症認定の申請は、ほぼ却下してきました。
被爆後、広島や長崎市内に入った入市被爆者は、直接被爆していないにもかかわらず、放射線の影響とみられる急性症状が現れ、その後、白血病やガンなどで亡くなりました。当時、いたる所で放射性物質と化した土砂や建物、死体から強い残留放射線が発生、さらにチリなどの放射性降下物を浴びたり、吸い込んだことで相当量の被曝をしていたとみられています。
昨年、発見された資料では、アメリカは1950年代に残留放射線の調査を始めながら「科学的にも軍事的にも役立たない」と中止していたことがわかりました。その後も調査は行われぬまま、入市被爆者は病気になっても国から「原爆症」と認められず、援護のカヤの外に置かれてきました。科学研究が進み、裁判で入市被爆者が原爆症と認められるようになり、ようやく見直された認定基準。なぜ被害は63年間も見過ごされてきたのでしょうか?被爆者たちの人生を振り返り、原爆のもう一つの悲劇を伝えます。

NHK広島放送局開局80年ラジオドラマ「放送を続けよ」
8月6日(水)●ラジオ第1 午後8:15~9:25 【全国放送】

昭和20年8月6日、広島中央放送局(現・NHK広島放送局)では、アナウンサーが空襲への警戒を呼びかける警戒警報を放送しようとした、まさにその時に原爆が炸裂しました。
広島局の中だけでも30人を超える死者が出て、多くの放送機材が破壊され、放送局としての機能は一瞬にして停止しました。そんな壊滅状態の中で発せられたことばが「電波を出せ!放送を続けよ」でした。およそ25時間後、広島からの放送は再開されました。
戦時色が強まる中、広島の放送局員たちはどのような思いで放送を行い、8月6日を迎えたのか。そして生き残った放送局員たちは原爆投下後、何を見たのか・・・。 当時の局員の体験記や資料をもとに、原爆の悲劇を明らかにします。
脚本は、劇団四季の脚本や、被爆した女学生をテーマにした舞台「チンチン電車と女学生」の脚本を執筆した高橋知伽江氏の書き下ろしです。

(写真左は当時のラジオ受信機、写真中央は被爆前の広島中央放送局、写真右は被爆直後の広島中央放送局)

ETV特集 「“屍(しかばね)の街”からの叫び」 ~被爆作家 大田洋子と戦後~
(アンコール放送 第45回ギャラクシー奨励賞受賞記念)
8月7日(木)BS-hi 午前10:00~11:00 【全国放送】
人類史上初めて原爆を描いた作家といわれる大田洋子(1903~1963)。近年取り上げられることが少なかった、いわば“忘れられた”作家です。被爆とその後の自身の体験を、まさにその瞬間に、リアルに描いた数々の作品が今再び注目されています。
被爆の年に書き上げた最初の作品「屍の街」は、被爆後の想像を絶する状況をルポ、「自分も死ぬことを覚悟し」「作家の責任として」書いたといいます。その後、占領軍の報道規制の影響による“出版差し止め”、被爆体験を見つめ続けることの辛さ、戦争が絶えないことへの苛立ち、自らの死への恐怖、そして、「もう原爆はいい」と作品を受け入れようとしない「世間の人々」の目などが、大田を精神的に追い詰めます。
それでも洋子は、「あの日の記憶」と「その後の被爆者の姿」を見つめ続けました。被爆の記憶に苛まれ、心の病に陥った自分自身の姿をえがいた「半人間」(昭和29年)、「原爆スラム」の住民の悲惨な暮らしぶりを描いた「夕凪の街と人と」(昭和30年)などを発表し続けました。 
原爆に翻弄された作家、大田洋子は、原爆と向き合うことで、何を感じ何を訴えたかったのか、書き残した作品と関係者の証言を通して、その人生をみつめます。

★8月7日(木) 20:00~20:50  NHK 総合
NHKスペシャル
封印されたNAGASAKI~原爆を伝え続けるアメリカ人親子~

今、1枚の写真が注目を集めている。63年前、被爆直後の長崎で撮影されたもので、亡くなった幼い弟を背負い火葬場の前に立つ「長崎の少年」と題された写真だ。撮影したのはジョー・オダネル。去年8月9日、地元テネシー州の病院で亡くなった。米海軍専属カメラマンとして原爆投下後の長崎・広島に入り、その破壊力や人体への影響などを記録するための写真を撮影する一方で、軍に隠れ私用のカメラで400枚の写真を撮影した。帰国後、被爆者の記憶に悩まされ、悲劇を忘れ去ろうと全てのネガを自宅屋根裏のトランクの中に45年間封印してしまう。しかし、自身も残留放射能の影響で余命幾ばくもないと医師に告げられてから、原爆の悲劇を訴え始めた。原爆投下の正当性を信じる妻と娘は家を出ていき、周囲からは非難の声が相次ぐなど孤独の後世を生き、86年の生涯を閉じた。死の1週間前、「長崎の写真は僕が伝えていく」と約束した長男が今、父の写真をネットで世界に向けて発信し始めている。一人のアメリカ人写真家が、原爆の真実を伝えようと踏み切った思いを、残された写真と一枚一枚に添えられた手記・残された音声テープからたどる。

★8月7日(木)22:45~23:30  NHK 総合
ドキュメント 埋もれた地下兵器工場は語る

去年5月、長崎市の工事現場で、地下兵器工場の跡が姿を現した。日本軍の魚雷製造の拠点「三菱長崎兵器製作所・住吉トンネル工場」。被爆遺構が年々失われていく中で、爆心から2.3キロ、ほぼそのままで残された貴重な遺構である。第二次大戦末期、一大軍事拠点だった長崎では、戦況の悪化に伴い、空襲を避けるためにいかに造船所や兵器工場を郊外や地下壕などへ移転させるかが至上命題だった。住吉トンネル工場は、昭和19年夏頃から朝鮮半島から連行された人などを動員して突貫工事で造られた。トンネルの壁面には手作業で掘り進めた跡が刻まれている。工場では、「動員学徒」や「女子挺身隊」などが昼夜を通して働き、日本軍が使用した魚雷の8割を占めていたという三菱製の魚雷が製造されていた。原爆が投下された時、トンネル内外で作業していた約1800人のうち、多数が被爆した他、近くで被爆した人達が続々と逃げ込み、トンネルはまさしく地獄と化した。番組では、どのように地下兵器工場が造られていったのか。そこで働き被爆した人達は何を思ったのか。残された資料や関係者の証言を元に、これまで語られてこなかった地下兵器工場の実態と被爆の現実を描き出していく。

ハイビジョン特集 兵士たちの悪夢 ~戦場心理研究の深い闇~
BShi 8月9日(土) 午後9:00~10:50


泥沼化する米軍のイラク駐留。大規模な戦闘が終わった後も、小型爆弾による攻撃やテロ事件が続き、激しいストレスから多くの帰還兵がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症している。
PTSDの症状が初めて「発見」されたのは、一般市民が戦場に駆り出され、大量殺戮兵器が登場した第一次世界大戦だった。それからおよそ100年、極限状況における人間心理を国家はあらゆる角度から研究し、生身の人間を「戦闘マシン」に近づける訓練や戦闘の方法を模索してきた。しかし、戦争の方法が合理化・ハイテク化しても、兵士たちは新たなストレスや罪責感などと向き合わざるを得ず、PTSDの増加に歯止めはかからない。番組では、20世紀における戦場心理研究の歴史をひもときながら、「兵士の心が壊れる」というかたちで繰り返される戦争のもうひとつの悲劇を描く。
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ハイビジョン特集 証言記録 レイテ決戦“勝者なき”戦場
BShi 8月10日(日)午後9:00~10:30
太平洋戦争のターニングポイントとなったレイテ島の決戦。番組では、日米両軍の元兵士、現地フィリピン住民や対日ゲリラなど、生存者の証言を広範に収集。今もなおトラウマに苦しむ日米比三国の人々の証言から、戦死だけではなく餓死や同士討ちまで巻き起こった過酷な戦場の実態や生活基盤まで破壊されたレイテ住民の悲劇を浮き彫りにし、〝勝者なき戦場〟の実態にせまる。
昭和19年秋、フィリピン中央部レイテ島で、太平洋戦争の大きな転換点となった決戦が行われた。投入されたのは太平洋戦争最多の29万人(日米両軍)。一ヶ月半の戦闘で失われた兵力は、日本軍8万(全兵力の97%)、米軍1万6千。戦火の巻き添え、スパイ容疑による虐殺、飢えなどによって多数の住民も犠牲となった。
既にサイパンが米軍の手に落ち絶対国防圏を破られていた日本軍。日本の勝利が絶望的となる中、大本営はレイテ島を、米軍に一矢報い少しでも有利な条件で講和に持ち込むための一大決戦の場と位置づけていた。しかし誤った戦況判断や、兵站を軽視した杜撰な作戦が原因で日本軍は大敗。以後は終戦まで防戦一方の戦いに、徒に多くの命が失われていくことになる。
補給のないレイテ戦で日本軍は、兵士の命を省みない無謀な戦法を常態化させていった。〝特攻〟もレイテ戦の最中に始められる。一方欧州と太平洋、双方で多くの犠牲を出した米軍の戦い方も、レイテで変貌する。戦争の早期終結のため、民間人の犠牲を厭わない物量戦を多用するようになるのである。
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ハイビジョン特集 こうして村人は戦場へ行った ~新資料が明かす赤紙配達人の真実~
BShi 8月12日(火)午後9:00~10:30
滋賀県長浜市で戦争に関する貴重な一次資料が残されていることが分かった。市町村合併前の旧大郷村役場で昭和5年から終戦まで兵事係をしていた西邑仁平さん(にしむら・にへい 103歳)が、自宅に秘かに保管していた兵事資料だ。資料は徴兵事務を取りまとめた「兵事ニ関スル書類綴リ」、召集令状の交付記録など1000点あまり。日本各地の市町村にもあったはずの兵事資料はそのほとんどが敗戦直後、軍部の命令で焼却処分され、これだけまとまった形で残っているのは大変珍しいものだ。この資料を読み解くと、国家が国民をいかに掌握し、戦場へと送り込んでいったかがわかる。徴兵書類には人相体格、思想信条、収入、特技などの個人情報が徹底的に把握されている。各連隊司令部ではこれらの情報をもとに、召集令状「赤紙」を作った。西邑仁平さんは兵事係として徴兵検査事務から赤紙の配達、兵士の引率、死亡告知から村葬に至るまで切り盛りしていた。番組では貴重な資料と、仁平さんや旧大郷村の人々の証言で、村人がどのように戦場へ送られ、戦争と向き合ったかを明らかにする。
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ハイビジョン特集 BC級戦犯 獄窓からの声
BShi 8月13日(水)午後9:00~10:50
『私は貝になりたい』のリメイク等、BC級戦犯を描いた作品がブームになっている。これまで“勝者の裁き”と批判されることが多かったが、戦犯の汚名を負った人々に、自己の戦争犯罪を正面から見つめようとしたグループがあったことは、ほとんど知られていない。
1950年代初頭、スガモプリズンに、自らの釈放を疑問視するBC級戦犯のグループがあった。ニューギニアで住民を虐殺し、20年の刑を受けた飯田進は、獄中で自らの戦場体験を凝視し続けた。朝鮮半島出身のイ・ハンネ(李鶴来)やホン・ギソン(洪起聖)等は、自身の罪を認めながらも、日本軍の責任を転嫁された不条理を訴えた。大東亜共栄圏の幻想から脱した日本人戦犯と、朝鮮半島出身の戦犯は、互いに影響しあいながら、「壁あつき部屋」などの手記を壁の外に向けて発表した。
番組では、飯田進やイ・ハンネ等の戦場体験をその裁判記録と付き合わせながら描く。さらに、戦後彼らがスガモプリズンの獄窓から発した問いの意味を考えていく。

■8月15日(金)総合 午後10:30~11:30

NHKスペシャル

証言記録 レイテ決戦 “勝者なき”戦場


太平洋戦争のターニングポイントとなったレイテ島の決戦。番組では、日米両軍の元兵士、現地フィリピン住民や対日ゲリラなど、生存者の証言を広範に収集。今もなおトラウマに苦しむ日米比三国の人々の証言から、戦死だけではなく餓死や同士討ちまで巻き起こった過酷な戦場の実態や生活基盤まで破壊されたレイテ住民の悲劇を浮き彫りにし、“勝者なき”戦場の実態にせまる。
 昭和19年秋、フィリピン中央部レイテ島で、太平洋戦争の大きな転換点となった決戦が行われた。投入されたのは太平洋戦争最多の29万人(日米両軍)。一ヶ月半の戦闘で失われた兵力は、日本軍8万(全兵力の97%)、米軍1万6千。戦火の巻き添え、スパイ容疑による虐殺、飢えなどによって多数の住民も犠牲となった。
 既にサイパンが米軍の手に落ち絶対国防圏を破られていた日本軍。日本の勝利が絶望的となる中、大本営はレイテ島を、米軍に一矢報い少しでも有利な条件で講和に持ち込むための一大決戦の場と位置づけていた。しかし誤った戦況判断や、兵站を軽視した杜撰な作戦が原因で日本軍は大敗。以後は終戦まで防戦一方の戦いに、徒に多くの命が失われていくことになる。
 補給のないレイテ戦で日本軍は、兵士の命を省みない無謀な戦法を常態化させていった。“特攻”もレイテ戦の最中に始められる。一方欧州と太平洋、双方で多くの犠牲を出した米軍の戦い方も、レイテで変貌する。戦争の早期終結のため、民間人の犠牲を厭わない物量戦を多用するようになるのである。


以下は、ETV特集 教育:毎週日曜 午後10時~

■8月17日(日)放送予定

第238回

シリーズBC級戦犯(1)韓国・朝鮮人戦犯の悲劇


一昨年、韓国の「強制動員被害真相糾明委員会」はBC級戦犯の被害認定を初めて行った。それまで対日協力者とされ、過去を語ることも許されなかった元戦犯が、戦後60年を経て、ようやく名誉回復を果たしたのである。ついで去年2月「韓国元BC級戦犯者遺族会」が発足。これまで口を閉ざしてきた元戦犯や遺族が重い口を開き始めた。一方、彼らを裁いた法廷の記録が研究者の手でオランダ、イギリスから発掘され、韓国人BC級戦犯の真実が明らかになろうとしている。

「糾明委」によれば1942年頃から約3,000人の軍属が、朝鮮半島からアジア各地の捕虜収容所などに派遣された。タイ・ミャンマー国境の泰緬鉄道の建設、インドネシア・アンボン島での飛行場建設…。過酷な労働、食糧不足で多くの捕虜が死亡したが、その告発の矛先は末端で対応した彼らに向けられた。戦後、捕虜虐待などで148人が有罪判決を受け、23人が死刑となっている。

日本は捕虜収容所の監視員としてどのように朝鮮半島の青年を動員したのか。そして収容所では何があったのか。その責任は戦後、どのように裁かれたのか。

今年に入って沈黙を守っていたBC級戦犯が韓国で見つかった。インドネシア・ジャワ島で捕虜監視員として働いていたキム・チョルギ(金哲基)さんである。6月半ば、日本に暮らす元BC級戦犯イ・ハンネ(李鶴来)さんが彼のもとを訪問、半世紀ぶりに再会した。東南アジア各地で捕虜監視員として働かされた朝鮮人の実態を元BC級戦犯の証言とオランダ・イギリスに残る裁判記録で明らかにする。そして何が問題として残されたのかを考える。


■8月24日(日)放送予定

第239回

シリーズBC級戦犯(2)“罪”に向きあう時


5700人が裁かれ934人が処刑されたBC級戦犯裁判。これまでBC級戦犯については、勝者による不当な裁判という文脈が強調されてきた。しかし、それは、半分の真実でしかない。BC級戦犯裁判とは、被害者性と加害者性がねじれながら混在する、日本人の戦争体験そのものである。

元戦犯や遺族の中には、今日なお、戦犯裁判の意味を問い続けている者がいる。

ニューギニアで、敵ゲリラの殺害などに関与したとされ20年の有期刑を受けた飯田進さんは、獄中で自らの戦場体験を見つめ、そこから、戦前・戦後の日本の矛盾を訴え続けてきた。橋本和正さんの叔父は、マレー半島で華僑虐殺を指揮したとされ処刑された。橋本さんは、今、叔父の裁判資料を読み、事実に正面から向き合おうとしている。

BC級戦犯裁判では、何がどう裁かれたのか。今、何を問い掛けるのか。元BC級戦犯と、その遺族たちの声から考えてゆく。

Title

これとは別にNHK広島放送局制作の中国地方のみの番組もあります。
これもいずれ見たいものです。

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コメント

カークさん

ご紹介ありがとうございます。
どんどんこういう番組が見られことが大事だと思います。
こういうところから問題意識の共有が図れると思います。

ほかの方もどしどし紹介して下さい。

一部転載させていただきました。
すみません。

acexcuseさん
コメントありがとうございます。

藤原正彦は関はニュートン・ライプニッツとほぼ同時期に微分・積分の「一歩手前」までたどり着いたと述べていますね。

歴史は国家と国家の視点ではなく個人対国家の視点で見ることも必要だと思います。

先の戦争は経済的要因に基づく日本軍国主義のヘゲモニー主義によるアジアへの侵略戦争でした。
世界史的には全体主義対民主主義の戦争という側面があり同時に日本の国民としては日本の民主主義的な変革の為の模索の過程でもありました。
戦後の民主主義的諸制度はその固い地盤の上に乗っかっています。
日本国憲法は世界とアジアと日本の人々との固い「約束」です。
「約束」事は決して破ってはいけません。
(なんだか名文!?)


先の戦争は、いわば寄ってたかってのコテンパン、日本殲滅狙ってたとおっていいくらいのものだったと思います。勿論直に手を下したのは、アメリカはじめの連合国言うことですが、案文は、すでに江戸時代から用意されていたとでも言ったらいいか、つまり、東インド会社による、日本殲滅を考えたい。
日本はある意味妬まれていた、そして、出る杭として打たれた。日本人は精密な考え方のできる脳を持っている、好例が、関孝和。白人によるヘゲモニー世界制覇に邪魔だと考えるのは自然でしょう。
これからは「脳」ある鷹となって、日本は、慎重に物事見定めていきたいと思います。

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