「佐賀のがばいばあちゃん」 いいね
グループホームの母の所にあった「佐賀のがばいばあちゃん」を持って帰ってきて読み終わりました。
映画は見ていたのですが、なんだかすごく感動してしまった。
母の読んだであろう本ということもあったかもしれません。
作者の島田洋七さんと私は年も近く同じ九州でもあり似たような時代を生きて来たと思う。
重なるような体験もあった。
しかし、自分も貧しい育ちだったがこれほどではなかったが・・・。
これを読んでいて私の母につながるものを感じた。
当時は物のない時代でおそらく多くのかあちゃん・ばあちゃんがそうだったのだろう。
それは「勿体ない」という考え。
今また見直されている考え方。
「いかに捨てるか」が大事な美徳といわれる時代に如何に捨てない暮らしのスタイルを作るかを今がばいばあちゃんが問うている。
ウルウルとなった3つの涙のシーンを紹介します。
その1
かあちゃんからばあちゃんへの手紙に今月は二千円しか送れないと書かれてあるのを読んでしまった昭広。
考えた末,昭広は,ご飯を控える。
「お前手紙見たのか?」「うん・・・」 その時、俺を観たばあちゃんの顔は、今でも胸の奥に焼き付いている。 怒っているような、悲しいような、なんとも言えない顔だった。 俺は山らなくなって家を飛び出した。 ・・・ 暗くなってから、そっと自分の部屋へ戻った。 すると、きちんと敷かれた布団の枕元に、フキンをかけたお盆が置いてある。 フキンをとると、大きなおにぎりが一つお盆に載っていた。 「ごはんくらい,食べなさい 」というばあちゃんの手紙と一緒に。 また涙がこぼれそうになりながら、おにぎりを食べていると、ばあちゃんがガラリとふすまを開けた。 「帰ってたのか」 「うん」 ばあちゃんは、それ以上は何も言わず、おにぎりを食べる俺をじっと見ていた。 気丈な人だったので涙はこぼさなかったけれど、その時は、ばあちゃんの瞳は確かに、ゆらゆらと揺れていた。 「先祖代々貧乏」と豪快に笑っていたばあちゃんが初めて見せた涙だった。
その2
運動会の物語
佐
賀での8回目の最後の運動会が迫っていた。
「今年こそは、必ず運動会を観にきてください」と中学に上がっても、俺は毎年、必ずそんな手紙を母に書き送っていた。
その年も、半ばあきらめながら書いたのだが、思いがけず、「今年は観に行きます。
楽しみにしています」という返事が返ってきた。しかし、前日に来るはずだったかあちゃんが、待っても待っても来ないのだ。
中学での運動会のメインイベントは、マラソン大会だ。
男子のコースは7キロほどのハードなものだが、スタートラインに並んでも、かあちゃんの姿はどこにもない。遂に最後のマラソン大会が始まった。
このマラソンコースでは、ばあちゃんの家の前も通ることになっている。もうじき家の前という時、俺は見るのが怖くてうつむいた。
俺は、自分の足先だけを見つめて黙々と走った。「昭広、頑張って!」その時、俺の耳に、かあちゃんの声が聞こえた。
これまで聞いたこともないような、大声だった。
顔を上げると、家の前で一生懸命叫びながら、手を振っているのは、確かにかあちゃんだった。
「昭広ー!頑張ってー!」その横で、ばあちゃんもニコニコと手を振っている。
俺は、思い切ってかあちゃんに向かって叫んだ。「かあちゃーん!速かろうが!勉強ばできんばってん、足は速かろうがー!」かあちゃんも涙に声をつまらせながら、返して来る。
「足はかあちゃんに似とっばってん、頭はとうちゃんい似とったい!」家の前を通り過ぎてしばらくすると、噛み殺したような嗚咽が聞こえてきた。みると、田中先生が泣いているのだ。
バイクで先導しながら、「ウッ、ウッ」と声を押し殺して男泣きに泣いている。「徳永、良かったなあ。
かあちゃん、来てくれて」一着でゴールインした俺は、2位の選手を200mも離していた。学校が始まって以来の記録だったと言う。
その3
この本の最後の別れのシーン
中学を卒業して1週間後の朝、小さな手荷物をひとつ下げて、俺はばあちゃんの家を出て行こうとしていた。
ばあちゃんは見送ってくれるでもなく、いつもの朝と同じように、川で釜を洗っている。
俺は、ばあちゃんの背中に声をかけた。
「ばあちゃん、俺、行くよ」「はよう、行け」「今まで8年間、ありがとう」「はよう、行けて・・・・あぁ、もう水が・・・・・・」背中越しに少し覗き込むと、ばあちゃんは泣いているのだった。
大通りへと向かう曲がり角で、俺は振り返った。「ばあちゃん、元気でなーーーーーー」大きく手を振ると、ばあちゃんも手を振っている。
「はよう、行けーーーー」仕様がないなあと思った。本当に強情なばあちゃんだ。
2、30歩歩いただろうか。背後から、ばあちゃんの声が聞こえた。
「行くなーーーーーーーー」
自分の小さい頃の記憶がいろいろ蘇った。
・近所の家の障子を破ったということで猫が捨てられることになり、自分の山の隠れ家に隠して自信満々帰ったきたらもう親戚が猫を連れていった言われて泣きじゃくったこと。
・運動会は何時もビリだったけど応援にきた親戚に挨拶しながら走り「愛嬌はいいけど・・・」と言われたこと。
・蜜柑山を降りて友達と別れて街の中に引っ越したこと。
しかし島田洋七は実に文章もうまいと思う。
昭和30年代の日本を知るには「三丁目の夕日」かこの本・dvdをお勧めします。
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