内野光子さんの「インターネットと短歌」
内野光子さんのご自身のブログ内野光子のブログにインターネット「歌壇」はどうなるか(1)
という文章を書かれている。
「ポトナム」2・3月号にNHKの総裁選を巡る報道問題(私の共同戦線を張った一人で私は勝手に内野事件と命名させて頂いた)から記事を起こしインターネットの可能性 について論を起こされている。
私は大昔「インターネットと短歌」という文章を書いたがその問題意識が似ているのに驚いた。
(この私の文章は前のブログとともに消滅した文章なので目下行方不明ですがこの文章を読んで秘かな矜持を感じています)
私のブロガーへの推薦本である佐々木俊尚さんの「ブログ論壇の誕生」にも触れられている。
まさに「内野事件」は「新しく巨大な言論の波 マスコミを揺るがし 政治を動かし旧弊な言説を一掃する」事件だったと言えるだろう。
ポトナムと新日本歌人と所属短歌団体は違うが「短歌とインターネット」に関して内野さんと私はほとんど問題意識を共有している。
この文章の後半は近年の短歌総合雑誌などの「短歌とインターネット」などの特集をまとめておられる。
又この文章は「インターネットは、短歌の世界に、どのような形で受容されてきたのか。次回からは本題に入りたい。(続く)」となっています。
内野さんの今後に期待します。
ご本人に事後了解を頂くことにしてこの「短歌とインターネット」にとっては歴史的な文章を全文掲載させて頂きます。
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2009年3月 1日 (日)
インターネット「歌壇」はどうなるか(1)
インターネットの可能性
パソコンでのメールは、地域の自治会活動やミニコミ誌編集には欠かせない存在となった。インターネット上の検索によって、私の図書館通いや調べものはかなり効率のよいものとなっている。「内野光子のブログ~地域と短歌の可能性をさぐる」を立ち上げて4年を経た。私がブログを開いたのは、調べたり、書いたりすることが嫌いではないので、書き溜めておくよりはと、その発表する手段が欲しかったこともある。発表された記事には、誰でもコメントがつけられるので(受付拒否、未公表も可)、双方向の情報伝達、伝達の速さと範囲が最大の強みである。ホームページやブログを持つ歌人たちが多いのは知っていた。ときどき覗いてはいたが、社会性のないプライベートな記事、私にはなじめない作品、自己顕示の露骨さに辟易とすることが多かった。一方、パソコン、インターネット自体を毛嫌いする歌人たちがいることも確かである。私の拙い短いインターネット体験に、二〇〇八年の秋、衝撃的な出来事が加わった。
安倍、福田さんが首相の座を投げ出した後、九月には、まるで茶番のような自民党総裁選が展開された。さなかの九月一〇日、夜七時のNHK総合テレビのニュースで、いつもの三〇分枠を拡大して、四十五分間、候補者五人を特設スタジオに並べて所信表明をさせた。一政党の総裁選にもかかわらず、その報道ぶりがあまりにも異常であった。私はNHKの視聴者コールセンターに電話をし、「なぜこれほどまでに一政党の総裁選に時間をかけるのか」と問えば「そんなことも分からないですか、自民党のPRですよ」と担当者は答えた。一瞬信じられなかったのだが「公共放送としての中立性に欠けるのではないか」と問えば、「自民党総裁は首相にもなり、国民の関心が高いから」と答えた。その後も種々やり取りがあったが、あまりの理不尽さに、その夜「やっぱりおかしい、NHK七時のニュース」と題してブログに書いた。
この記事へのアクセス数がいつになく多いな、と思っていた所、翌日からコメントがつき始め、紹介やリンクをしてくれたりする人たちが連動したのか、瞬く間にアクセスは劇的に増大した。一日に一万件を超える日があったりして、驚いた。アクセスランキングのトップになったこともある。そんな矢先、NHKから電話があって、コールセンターの職員の対応に失礼があったので、お詫びに伺いたいというのだ。「NHKが謝罪、担当者処分へ」の情報は、他のブロガーがNHKからキャッチし、ネット上ただちに広がっていた。捏造とは思わなくても、私の記事が半信半疑だった読者は「謝罪」と聞いて、NHKの異常な報道や対応にあらためて怒りを募らせたのかもしれない。私がその後の経緯を報告すると、またアクセスが増えた。ネット上のフィーバーぶりに着目したのか、ある新聞社から電話取材が入ったのは、記事を書いた日からちょうど一か月後だった。翌日の夕刊に「総裁選報道への質問電話に NHK側<自民PR> 対応責任者ら処分」が載ると、他の新聞も翌朝一斉に報道した。NHKの広報がやむなく顛末を公表し、記事となったのだろう。いずれも私への取材はなかった。私にとっては想定外の展開であったが、掲示板での中傷や「炎上」などにも見舞われず、ブログの威力を知らされた一件であった。
折も折、『ブログ論壇の誕生』(佐々木俊尚 文春新書 二〇〇八年九月二〇日)が刊行され、その帯には「新しく巨大な言論の波 マスコミを揺るがし 政治を動かし旧弊な言説を一掃する」とあった。やや大げさではあるが、マスメディアや論壇の変容は確かで、多くの雑誌が休・廃刊に追い込まれている。
インターネット受容の行方
まず、短歌とインターネットに関する出来事を年表作成によって確認、また、近年の短歌総合雑誌などの「短歌とインターネット」などの特集を眺めておこうと思う。
年表に関しては、『短歌ヴァーサス』(一一<最終>号 二〇〇七年一〇月)の「現代短歌クロニクル一九八四-二〇〇六」(佐藤りえ作成)を参考に、手元の各年の『短歌年鑑』のレビュー・文献表と辞典の年表などを参照し、登場するサイトをネットで検索・確認しながら、年表を作成中である。ここでは、紙面の都合上、割愛する。短歌史にインターネットが登場する前に、その前史として、ライトバース短歌、ニューウェーブ短歌の存在がある。といってもこれは多分に短歌ジャーナリズムが仕掛けた部分も多かったとみるべきだろう。
「ライトバース」の定義がそもそもあったのかも問題だが、俵万智が「八月の朝」で角川短歌賞を受賞したのが一九八六年、『サラダ記念日』が空前のベストセラーになり、一九八八年には、現代歌人協会賞を加藤治郎『サニー・サイド・アップ』と同時受賞している。一九八四年・八五年頃からすでに中山明や紀野恵、大塚寅彦、仙波龍英らの歌集の軽くて饒舌な小気味よさが話題となっていたように思う。俵・加藤は、口語体、会話体を駆使した風俗詠で、恋愛や性も明るく歌う作品が多かったという印象だった。
一九八七年の『短歌研究』現代短歌評論賞は「ライトヴァースが残した問題」(谷岡亜紀)であり、一九九〇年には「ライトバースは終わったか」の特集(『歌壇』九月)も組まれている。
一九八〇年代後半には、その担い手を微妙に重ねながら「ニューウェーブ」と名付けられた論評が目立ち始める。一九九〇年には、担い手といわれた荻原裕幸(『甘藍派宣言』)、穂村弘(『シンジケート』)、正岡豊(『四月の魚』)らの歌集が出そろう。
これらの動きに呼応して、伝統短歌に抗する一つの運動の機運に乗じる部分もあって、短歌ジャーナリズムが活気を帯びてくるのも確かだ。一九八七年には『現代短歌 雁』、『歌壇』が、一九八九年には『短歌往来』、『短歌四季』が創刊されている。昭和から平成に変わる頃でもある。加藤治郎は、「ライトバース」「ニューウェーブ」と呼ばれた歌人群を<ニューウェーブ世代>とひと括りにし、この世代が口語化と大衆化を達成したとき、近代短歌の本質である「革新性」からの自由を得たと言い、現代短歌史がここに始まると宣言する(『短歌ヴァーサス』一一号、『短歌年鑑平成一八年度版』)。そしてポスト・ニューウェーブ世代の歌人とは一九九〇年代の半ばから活動する、「口語性、大衆性、ニューウェーブの技法を継承しながらも、やり尽くされた後で短歌という詩型の可能性をその外部(インターネット・朗読パフォーマンス)に求めざるを得なかった」歌人たちで、彼らがインターネット世代であるとも総括する。
いずれにしても、「詩型の可能性をインターネットに求める」という背景には次のようなインターネットの普及率はみのがせない。
パソコンの普及率は、内閣府の統計によれば一九八七年から一九九六年までは、一〇%台で推移していたが、次の一〇年間、二〇〇七年には七三%に達し、単身世帯を含めればもっと高い数字になるだろう。インターネットの普及率(携帯電話も含む)は、総務省の統計によれば一九九六年三・三%、二〇〇七年には九一・三%に達するのである。
インターネットは、短歌の世界に、どのような形で受容されてきたのか。次回からは本題に入りたい。(続く)
(『ポトナム』2009年2月号・3月号所収)
2008年10月20日 (月)
「ブログ論壇の誕生」を読んだ。
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の中の追記に
「追記引用」
(追記・今回の小沢おろしは、アメリカからの至上命令だという説をネット上で見ました。第7艦隊発言が命取りだったことになります。こうした謀略説について私は判断しませんが、日本が事実上アメリカ軍の占領下にあることは否めません。そうだとしても、アメリカが勝手に動かせないものが一つだけあります。それは... [続きを読む]
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