北の鎌倉へ
今日の新日本歌人協会関東近県集会2日目は我孫子の文学散歩でした。
案内は小泉さんという方と我が新日本歌人の碓田のぼるさんでした。
2コースに分かれ私は小泉さんのコースでした。
小泉ガイド
最後の手賀沼公園で合流して70人で手賀沼を見ながらお弁当を食べました。
コースは市のホームページにもあるこのコースです。http://www.city.abiko.chiba.jp/index.cfm/12,28707,53,1,html
なかなか魅力的なコースでした。
埼玉在住ながら新日本歌人我孫子支部湖畔短歌会に属する自分ですが「湖畔」の意味がやっと分かりました。
我孫子にこんなに文化人が住んだのは各家が皆沼向きに立っているように手賀沼の魅力がありますが同時に小泉さんの話によればそれぞれが影響して連れてきたという関係があったようです。
まとめるとこんな感じです。
血脇守之助→嘉納治五郎→柳宗悦(甥)→志賀直哉→武者小路実篤
昨日今日の秋の日はかなり自分の文学的栄養になったような気がします。
短歌作品を15首作りましたので写真とともに別記事で紹介します。
まずはコースの紹介です。
三樹荘跡→嘉納治五郎別荘跡→楚人冠公園→志賀直哉邸跡→我孫子市白樺文学館→バーナード・リーチ碑→文学の広場→血脇守之助碑→文学の広場→我孫子駅(南口)
三樹荘跡
柳宗悦(やなぎむねよし)の邸宅跡で、邸内の椎の三大木が居宅名の由来。居住は 1914(大正3)年から1921(大正10)年。民芸運動の始祖・宗教哲学者。兼子(かねこ)夫人は声楽家。イギリスの陶芸家バーナード・リーチが邸内 の窯(かま)で作陶。後に陶芸家河村蜻山(せいざん)も居住。敷地内は非公開。
嘉納治五郎別荘跡
講道館柔道を興す。東京高等師範学校長。明治の末に、天神山に別荘を構える。甥の柳宗悦(やなぎむねよし)を我孫子へ招く。IOC委員となり、1940(昭和15)年開催のオリンピックを東京に誘致するが、戦争で中止。白山に嘉納後楽農園を開く。
楚人冠公園
杉村廣太郎(楚人冠(そじんかん))住居跡。朝日新聞社幹部。記者・随筆家。俳句の結社 湖畔吟社(こはんぎんしゃ)を主宰。唱歌「牧場の朝」を作詞。1924(大正13)年から1945(昭和20)年没まで在住。河村蜻山作陶の楚人冠句碑がたつ。
志賀直哉邸跡
柳宗悦(やなぎむねよし)の勧めで我孫子に住む。 在住は1915(大正4)年から1923(大正12)年。武者小路や柳と親しく交流。「和解」 「暗夜行路」などの作品を生む。 当時の書斎を復元。 毎週土曜日と日曜日10時から14時一般公開あり(雨天除く)。
我孫子市白樺文学館
佐野力氏個人が建設した文学館。寄贈により平成21年度から市が運営する。白樺派作家の原稿、書簡、書画や、民芸運動に関わった人々の作品を展示。地階で柳兼子のCDが聴ける。
血脇守之助碑
我孫子宿旅篭(あびこしゅくはたご)「かど屋」加藤家に生まれる。高山歯科医学院に学び、歯科医師となる。後に同院の経営を引き継ぎ、東京歯科大学」に発展させる。野口英世を物心両面から援助する。
文学の広場
手賀沼ゆかりの文人(志賀直哉、武者小路実篤、バーナード・ リーチ他)を紹介。斉藤茂吉の歌碑「春の雲かたよりゆきし昼つかた遠き真菰に雁(がん)しづまりぬ」。手賀沼公園周辺の観光地図も設置。
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