東京都戦没者慰霊苑
偶々東京都戦没者慰霊苑に行った。文京区シビックセンターの近くの小高い丘の上にひっそりとあった。
東京都独自の戦没者慰霊の為の施設だ。
硫黄島で見つかった碁石
や煙草
、フィリピンレイテ島で見つかった水筒など
を見ると生身の人間が自分の意に反して死んで行った事を思わざるを得なかった。
戦死した夫の遺体を安置してあるので引き取るようにとの通知を妻はどう受け取ったであろうか?
展示室にあった資料にはフィリピンだけで518,000人、中国本土だけで465,700人の方が亡くなったと書いていた。
改めて驚く。
有為の若者をこれだけ殺したのは誰か
中に亡き夫に書いた手紙のような妻の詩があったが心に訴えるものがあった。
「いつの日かお話しませう 独りで生きて来た日のことを」
という詩だった。
展示してあった武運長久を祈る日章旗です。
山本健吉の碑文です
鎮魂
碑文
あの苦しい戦いのあと、四十有余年、私たちは身近に一発の銃声と聞かず、過ごして来ました。
あの日々のことはあたかも一睡の悪夢のように、遠く悲しく谺して来ます。
だが、忘れることができましょうか。
かつて東京都の同朋たちの十六萬にも及ぶ人々が、陸に海に空に散華されたことを。
あなた方のその悲しい「死」がなかったら、私たちの今日の「生」もないことを。
そして後から生れて来る者たちの「いのち」のさきわいのために、私たちは何時までもあなた方の前に
祈り続けることでしょう。
この奥津城どころは、私たちのこの祈りと誓いの場です。
同時に、すべての都民の心の憩いの苑でもありましょう。
この慰霊、招魂の丘に、御こころ永遠に安かれと、茲にこれが辞を作る。
山本健吉
東京都戦没者霊苑
http://www.asahi-net.or.jp/~UN3k-MN/0815-2boen2.htm
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東京都戦没者慰霊苑のある礫川公園の噴水です。
「小さい秋」の歌が出来たきっかけのサトーハチローの自宅にあった木から枝分けした櫨の木です。
サトウハチローは
<原稿用紙を前に布団に腹這いになって外を見ていたら赤くなったハゼの葉を見て言い知れぬ秋を感じて、この歌を書き上げた>
と書いている。
http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-chiisaiakimitsuketa-con.html
小さい秋 大きい秋に変わりけり 公彦
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