辰巳泰子さんの歌集やホームページの歌や日記などを読みました
明日の現代短歌研究会の為に辰巳泰子さんの歌集やホームページの歌や日記などを読みました。
現在44歳のシングルマザーですが一生懸命子育てと創作活動に打ち込んでおられるようです。
短歌の朗読という新しいジャンルを福島泰樹氏などと切り開いておられる。
きわどい性描写があるがそれよりも個人的な好みからいえばお子さんの事を歌った歌が秀逸だと思いました。
第一歌集「紅い花」を読みました。
この歌集で1990年の現代歌人協会賞を最年少受賞された。
文語定型で豊富な語彙を生かし当時18歳とはとても思えない
言葉に圧倒されます。
(文語に対する思い入れは下の文章に書かれています。)
図書館で読んだのでメモがありませんがこの歌集から二首紹介します。
花束の水
光沢(つや)のある豆腐一丁「私」を容れる器をさがしてもいる
家族の季
ステンレスの刃林檎にあてがひて保身のための語は聞き捨てつ
辰巳泰子の歌集「セイレーン」を読みました。
これも二首メモしました。
追ひ立てて「人間」にしてもしようがない自分が産んだ子供なら、なほ
育てたといふより育ってくれるのをみまもっていたが、その過労動
いい子育ての歌だと思います。
現代短歌研究会で行う新しい勉強会 檜葉奈穂著「ミューズへの挑発」に対して評論対象本人の辰巳泰子さんから以下のメッセージを頂きました。
以下辰巳泰子さんのメールです。http://bit.ly/6OKBVB
「ミューズへの挑発」は、体裁は普通に歌人論ですが、
内容は奇書と言っていいほど、檜葉さんの才気に支えられています。
檜葉さんはここで、七人の歌人について、七通りの切り口を用意し、七通りの付き合い方をしておられます。
誰にでもできる芸当ではありません。
評論は、たいてい評者の自分語りであって、
わたしなども、評論めいたものを書けばそうなります。
相手を見ているようで、鏡を見ているものです。
しかし檜葉さんは、自分を無くし、人の魂に向き合う姿勢を、貫いています。
自分語りをしようとはせず、七通りの語り、
七通りの切り口を用意する檜葉さんの方法が、
かえって檜葉さん自身を浮かび上がらせるという、
稀有なあり方をしています。
そんな檜葉奈穂に、魅力を感じられた大津留さんを、信頼します。
檜葉奈穂さんが「ミューズへの挑発」で述べられておるように男性に対する絶望感のような感情がいろんな歌に感じられる。
例えば
曠野(あら・の)
〜辰巳泰子の短歌朗読DVD「聖夜」リリース記念〜
http://www.geocities.jp/tatumilive/arano.htm
男らは皆戦争に死ねよとて陣痛のきはみわれは憎みゐき
辰巳さんの文語に対する思い入れを感じるのはこの文章です。
口語で通してきた私には刺激的でした。
大事なことから目を背けるな!
http://www.geocities.jp/tatumilive/daiziakoto.html
辰巳泰子の言葉を必要とする人へ向けてこれを書きます。わたしには、そこがどのような場であっても、自分自身が表現主体であることを自覚していてほしい、という思いがあるのです。
短歌は、万葉の時代から千数百年も続いてきた、自己表現の喜びを知る器です。
歌には、作った人の心の中にあるものが出てきます。誰に知られなくとも、その人の来歴や嗜好、生活が滲み出してきます。歌は、やはり、その人を表しているものです。
十三歳から短歌を作り始めて、わたしはもう、三十年近くも短歌を作り続けているのですが、大事なことは、そもそも、自分の思っていること、考えていることをぴったりの言葉で表現するところにあるのに、自分が本当に思っていること、考えていることを見出せずに、つまづいている人をたくさん見てきました。結社にいる間、今もですが、短歌の世間で、その人が何につまずいているのか分かっているのに、伝えられないときが、ずっと残念でした。二つ、例を挙げます。
たとえば歌壇で、口語や会話体を、いくぶん不自然にでも使う歌人が急速に増えてきたとき、口語を使えば短歌から古めかしさが取り除ける、と考えた人がたくさんあったのです。もとより短歌の31音のリズムは古来のものですから、文語文体、昔の言葉と相性がよいようになっています。その勉強をしてきた人が、流行に乗り、取ってつけたように口語を使い始めても、その人が、「古めかしいのはイヤだ」、「化石とおさらばして、自分は流行に乗りたい」と思っていることしか、人には伝わらないと思うのです。その人は「現代を歌うために」と言いますが、そこに詠まれたものの本質は、「現代」ではなく、世間に取り残されたくない自分です。でも、その人は、「現代を歌わなければ……」と繰り返している。わたしは、言いました。
「あなたが現代を伝えたい相手は、口語での表現を望んでいるのですか?」
その人は、きょとーん、としていました。
わたしの作品に口語や会話体が増えてきたのは、自分の子供と、言葉で会話できるようになってからでした。子供に伝えたい、と思うことを詠むとき、自然に口語や会話体を使うようになっていました。
文体の選択は、内容によって決めるものではありません。伝えたい人の顔が見えるとき、文体は、おのずから決まってくる。ましてや、流行で決めるものではないのです。手紙を書くとき、そうではありませんか。短歌入門書には、よい歌とはどのような歌かが、説明されています。短歌投稿欄には、選者はこういう作品を望むと、但書をしてあります。しかし、よい歌の真実とは、たった一つです。自分の思っていること、考えていることをぴったりの言葉で表現した歌。この、ただ一つの真実を満たした歌がどう映っているかを、その入門書の執筆者や、投稿欄の選者が、それぞれの言葉で表現し直しているに過ぎないのです。このことは、「美人」について説明するとき、「そうだなぁ、髪が長くて目はぱっちり。鼻は高いほうがいい」と、親切に詳しく答えるようなものなんです。そこで、髪を伸ばし、しじゅう目を見開き、鼻をつまんでひっぱり続けているような歌を見ると、わたしは、「おっと、それは、あなたじゃないよ」と思ってしまうのです。
プロの表現者だって、絶えず、自分の思っていること、考えていることをぴったりの言葉で表現するために、苦心しています。成功している人は、皆、自分にもとから備わった性質を生かしています。表現がうまくゆくとき、「他と比べて自分にないからダメなんだ」、とも考えないし、「他がなければ自分があり得た」とも考えないものです。
辰巳泰子の雑歌(2006年制作)
http://www.geocities.jp/tatumilive/livenote.html
からお子さんの事を歌っていると思われる私の好きな歌です。
12月の歌
鳥のやうに飛び立つ君よこの今のよろづの憂さを抱きしめてやる
コンビニの競争戦略の愛よりも大切な君と花を観にゆく
10月の歌
男の子産み大切に育てし後 すずしろの断罪に母は遭ふ
4〜6月の歌
子を抱けり 言葉で言葉を叱るさへまだ早過ぎた葉桜の日に
息をしてまた息をして 息をして 風に揉まるる打たれ釘の少年
辰巳泰子さんに関して過去私の書いた文章です。
2008年6月 1日 (日)
きっこのブログと辰巳泰子
https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_b28e.html
きっこのブログはアクセス数が6千万を超える日本一アクセス数の多いブログだ。_そのきっこさんが俳句の実作者であることはこのブログを読んだことがある人は知っているだろう。_その俳句実作者であるきっこさんがある歌人に興味を持っている。_それは辰巳泰子。_
辰巳泰子のライブ写真など より借用
_彼女が作るのはこんな歌だ。
どなたにもさよならを言ふは怖ろしくチョコレートのやうに魂を割る
その脚色しない自分を歌う彼女の短歌にこういう評価を与えている。
「‥‥そんなワケで、あたしは、短歌に対しては、自分の実践してる俳句とはまったく違う鑑賞の仕方をして楽しんでたんだけど、辰巳泰子さんの歌と出会って、この考え方は一変した。泰子さんの歌は、小説は小説でも、完全に「私小説」なのだ。短歌にありがちな「誰かを演じる」という芝居感覚が皆無だから、脚色や創作の味つけがなされていたとしても、そこには常に「辰巳泰子」という1人の女性が立っている。言葉のひとつひとつに、体温があり生きているから、ナイフで切れば血が噴き出す。これが、泰子さんの歌だ。」
辰巳泰子は1966年大阪府生まれ。1990年、第一歌集『紅い花』 (砂子屋書房)で、歌壇の芥川賞といわれる現代歌人協会賞(第34回)を最年少受賞。現代歌人協会会員、日本文藝家協会会員。2000年から2001年にかけて、文芸誌「月鞠」第一〜五号を個人で編集、発行。同誌に小説作品も発表。2001年より朗読ライブ活動、インターネット活動を開始。高校生の息子を持つ、シングルマザーでもある。
実は私の属する短歌同人「炎」の檜葉奈穂さんが彼女をその女流歌人の歴史的な系譜の中に於いて激励的に論じミューズへの挑発という一冊の本になっている。
辰巳泰子の歌についてきっこさんは更にこう言っている。
「これは、俳句の海を泳いで来たあたしにとって、ものすごい衝撃だった。こんなふうに短歌を操る人がいたなんて、短歌という詩形を見直すキッカケにもなったし、何よりも、あたしは、泰子さんの歌の世界に引き込まれた。そして、「アトム・ハート・マザー」を読み終えたあたしは、この歌集を紹介してくれた先輩俳人に頼んで、泰子さんの第1歌集「紅い花」を貸してもらって読んだ。 それからのあたしは、いつも泰子さんに注目するようになって、第3歌集の「仙川心中」、第4歌集の「恐山からの手紙」、第5歌集の「セイレーン」は、ちゃんと買って読んだ。俳句の句集もメッタに買わないあたしが、短歌の歌集を買うなんて、ヨホドのことなのだ。書籍版「きっこの日記」の「きっこさんに50の質問」のコーナーでも、「好きな歌人」として、辰巳泰子さんの名前を挙げてるほどだ。 で、ここまで書いて来て、いつものあたしなら、泰子さんの歌を何首も紹介してるハズなのに、なぜ?‥‥ってワケで、これには大きな理由がある。それは、このたび、泰子さんの短歌朗読ライブの様子をおさめたDVD、「聖夜」がリリースされることになったからだ! 泰子さん、おめでと〜♪
今日6月1日にこのDVDはリリースされ同時に今日は福島泰樹と枡野浩一を迎えてのライブが行われたはずだ。
辰巳泰子のライブ写真など より借用
_短歌がこういう広がりを持つことを同じ短歌の実作者の一人としてうれしく思います。
辰巳泰子のこんな歌を紹介して今夜は終わりです。
おのづから帳尻が合ふてゆくことの予感 この人を育てたやうに
試稿錯誤
以下参考サイトです。
辰巳泰子関連ページ
はてなダイアリー市民
「辰巳泰子の新作・歌日記」 http://d.hatena.ne.jp/tatumiyasuko/
公式ホームページ
「眠れない夜を越えて」 http://www.geocities.jp/tatumilive/index.html
ライブと創作のためのノート
http://www.geocities.jp/tatumilive/2007livenote.htm
辰巳泰子のライブ写真など
http://d.hatena.ne.jp/tatumiyasuko/
辰巳泰子意外の関連ページ
試行錯誤
『紅い花』 辰巳泰子 [Art]
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-11-04
以上
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