『東大闘争から地域医療へ 志の持続を求めて』を読んだ
今日も暑い日だった。
喫茶店/図書館と涼しい所に場所を変えながら以前に近くに住む知り合いのFさんに貸してもらっていた本を今日読んだ。
それは
三浦聡雄さんと増子忠道さんの共著
『東大闘争から地域医療へ 志の持続を求めて』
Fさん本人が登場し健和会専務理事だった事を初めて知った。
三浦聡雄さんと増子忠道さんは東大闘争から一緒だったが足立の柳原病院に就職し地位域医療で実績を上げられわが町に三郷健和病院を作られ、三浦聡雄さんは現在東京勤労者医療会新松戸診療所の所長をされている。
私たち家族が大阪に赴任している間には三郷市長選挙に出られ、現職に僅差まで迫ったそうだ。
東大闘争に関しては学生時代に「嵐の中に育つわれら」を読み当時付き合っていた彼女に薦めた記憶も懐かしい思い出だ。
三浦さんはその本でも中心として出てくる東大民主化行動委員会議長でありまさに東大闘争の生き字引と言える人だ。
これからその時代の検証が学問的にもおこなわれるだろうが、もっと三浦先生にも他の実際の当事者の方の記録を読みたいものだ。
安田講堂攻防戦が東大闘争ではない事を世の中に示して欲しい。
団塊の世代がこれから企業を離れ世の中に出て来るのだろう。
私も九州大学で1972年の法学部自治会の再建に関わった事もあるので東大闘争のところは当事者のような心境で読んだ。
当時のビラ等は一時期まで取ってあったのだが今はなくしてしまったのが残念だ。
せめて残っている当時の短歌をいずれ纏めたいと思っています。
リンカーンのこの言葉を何度も語る三浦先生と一献傾けてみたい。
「一人の人を長い間だまし続けることはできる。大勢の人を短期間だますこともできる。しかし,大勢の人を長いあいだだまし続けることはけっしてできない」。
又、鹿児島ラサール高校出身の三浦先生は田舎の効用をこう説いている。
自分が学生時代のときにも思ったけど,都会の人っていうのはしらけているのよ。田舎で育つと違うんだよね。「都会は人間がつくった。田舎は神様がつくった」という言葉がある。自分の子供の教育もそうだけど,人間は,山とか川とか田んぼとか,そういう豊かな自然があるところで育てた方がいいという気がする。やっぱりテレビゲームとか仮想体験の比重が大き過ぎるのはまずい。土に触れたり石に触ったり木や風のざわめきを聞いたり,いろんな生き物に触れたりっていう豊かな実体験,それが人間の根本的な情熱とか,エネルギーを生むんじゃないかって思っているよ。今日の時代によくあるような状況,塾とか受験とかに時間も遊びもすっかり奪われて自由に伸び伸びと生きられない…というのが,子供や若者の感性や心のエネルギーをすり減らしているんじゃないかっていう気がする。だから,自然に触れるキャンプや登山,スポーツ,アジア貧乏旅行とか国内の自転車旅行でもいい,あまり金を使わず,自分の身体を使って思い切って好きなことをやってみるのがいいんじゃないかと思う。多少のリスクや失敗を恐れずにやってみないと。いろんな人や物,国,環境にぶつかってみて,自分がどんな存在なのか,どう生きたらいいのかもわかってくるのだと思う。
大分県人としては同感ですね。
以下インタビューの引用です。
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(元・東大民主化行動委員会議長)
東大民主化行動委員会議長として,民青(共産党系の青年組織)の側から,東大闘争の
過激化に反対したみ三うら浦とし聡お雄氏にインタビューをおこなった。代々木系(共産党系) の民青
は,反代々木系の新左翼・全共闘と,闘争のあいだ,長きにわたって激しく対立していた。
三浦氏は『東大闘争から地域医療へ志の持続を求めて』(三浦聡雄,増子忠道著,勁草書
房)の著者であり,東大医学部を卒業後,みさと健和病院の建設など地域医療の発展に尽
力してきた。全共闘運動の裏に隠された,「革命運動化への暴力的な転換」について,氏
は語る。
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三浦聡雄氏は、当時の医学部のリーダーであり、東大民主化行動委員会議長であった。したがって三浦氏の証言は、「もう一つの東大闘争」の指導的総括という意味を客観的にもつ。たとえば東大闘争の「関ヶ原」は、69年1月安田講堂とマスコミでは神話化しているが、三浦氏によれば、前年11月12日の図書館前集会だったという。それは、東大闘争の歴史的意義をどこに見いだすかに関わる。三浦氏にとってそれは「夢とロマン」の舞台で、「運動内部の民主主義」「統一戦線」を体得する場だったという。だが民主化行動委結成が本当に共産党と無縁な「自然発生」であったかどうかは、私にはわからない。 「東大闘争にひっぱりこまれた一兵士」と語る増子忠道氏の目線は、三浦氏と微妙に異なる。もともと学寮闘争から運動に関わり、医者になることに疑問をもち経済学部に出入りしていた氏は、「民主化と思っていたものが近代化にすりかわってしまう可能性」に執拗にこだわる。東大闘争も自己変革・社会的実践の一ステップと、突き放して回想する。 二人の著者は、1971年に共に医学部を卒業し、一緒に民医連の柳原病院に入る。そこに後輩活動家を結集して、柳原病院・みさと健和病院を中核とした医療法人健和会グループを築きあげる。この卒業後の地域医療活動の軌跡が、本書のもう一つの主題である。三浦氏のみさと健和病院開設の苦労話、増子氏の老人医療の実践談は感動的である。 出身学部は異なるとはいえ、二人は私の先輩であり戦友である。三浦氏と共に学生大会を防衛し、増子氏と一緒に勝共連合を論破し『赤旗』全頁をその記録で埋めた記憶は、私にも鮮明である。当時の印象は、三浦氏は文学青年政治家風、増子氏は哲学青年学者風であった。その面影はそれぞれに個性的な二人の回想に残されているが、巻末の二人の討論は柳原病院就職後の共通体験を扱ったためか、個性の面白さが減殺されている。三浦氏の「統一戦線からネットワークへ」という「総括」はいかにも指導者・組織者としての氏をほうふつとさせるが、増子氏の「民主化か近代化か」という問題提起とはすれちがっている。 「トロ」「ネトライキ」など今では注釈なしでは伝達不能な運動用語がそのまま頻出するのは不親切だが、当時の運動体験者が読めば、臨場感があるのかもしれない。本書の二人の文章は聞き書きのようだ。聞き手が明示されず典拠が省略されているのは、歴史的資料としての価値を低めている。三浦氏は、旧全学連系活動家に、それぞれの「総括」と「持続する志」を表明せよというメッセージを込めているようだ。それは、加藤登紀子の「われらの世代の男たちへ」と題した「いつも時代の先端にいるという宿命」をもちつつ「見事に転身をとげた」全共闘運動体験者へのメッセージと、どれだけ異質だろうか(『朝日新聞』1995年8月28日)。三浦氏は「沈黙している人たちの胸のなかにも、かつての火種が燃え残っているのではないか」と「新しい変革」をよびかける。医学部出身の医者たちや、法学部出身の弁護士たち、それに私のように研究職に就いた者たちについていえば、たしかにあの時代を「総括」して社会的に発言すべき季節がめぐってきたのかもしれない。
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(定数削減問題)
秘書の経費も含めて、1人の国会議員にかかるお金は約7000万円です。80人分削ると56億円。
一方で、政党助成金は320億円ですが、これを削ったら何と450人分の国会議員を削るのと同じくらいになる。
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(消費税特集)
泉谷しげるの消費税「10%」だと!?
消費税増税絶対反対!大脇道場キャンペーン第5弾!導入以来、累計で224兆円。 同時期に大企業などの法人三税(法人税、法人住民税、法人事業税)などの減税が累計で208兆円。
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湯浅誠さんを東京都知事に!
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