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2010年8月25日 (水)

2万人のユダヤ人を救った樋口季一郎の事

Photo

今日の日経に2万人のユダヤ人を救った樋口季一郎の事が出ていた。

 本日8月25日、日本経済新聞社会面に樋口季一郎の「ユダヤ難民救出劇」の記事が載っています。今年5月国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のヨハン・セレス駐日代表が英字紙の特集記事でこの救出劇を知り「難民救済のお手本だ」と再評価に動き始めた。と書いています。

父の15年戦争 ローシャンのブログ
http://goukazunari.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-d48f.html
より(写真共)

1938年の春ユダヤ人2万人が満州に入国しようとした所拒否されオトポールというソ連の国境付近で立ち往生した。
この事態を救ったのが、当時、満州国における日本陸軍情報機関のトップであるハルピン特務機関長の職にあった、樋口季一郎陸軍少将だった。
彼はヨーロッパ駐在の経験からユダヤ人には親近感を持っていた。
 
以下日記から紹介します。
ーーーーー

諸君、ユダヤ人諸君は、お気の毒にも世界何れの場所においても『祖国なる土』を持たぬ。如何に無能なる少数民族も、いやしくも民族たる限り、何ほどかの土を持っている。
ユダヤ人はその科学、芸術、産業の分野において他の如何なる民族に比し、劣ることなき才能と天分を持っていることは歴史がそれを立証している。然るに文明の花、文化の香り高かるべき20世紀の今日、世界の一隅おいて、キシネフのポグロムが行われ、ユダヤに対する追及又は追放を見つつあることは人道主義の名において、また人類の一人として私は衷心悲しむものである。
ある一国は、好ましからざる分子として、法律上同胞であるべき人々を追放するという。それを何処へ追放せんとするか。追放せんとするならば、その行先を明示しあらかじめそれを準備すべきてある。
当然の処置を講ぜずしての追放は、刃を加えざる虐殺に等しい。私は個人として心からかかる行為をにくむ。ユダヤ追放の前に彼らに土地すなわち祖国を与えよ。

ーーーー
そしてドイツから彼のオトポール駅での行動へのドイツの抗議に対し関東軍司令部に出頭し、参謀総長だった東條英機をこう説得しています。

私はドイツの国策が自国内部に留まる限り、何ら批判せぬであろう。またすることは失当である。しかし自国の間題を自国のみて解決し得ず、他国に迷感を及ぼす場合は、当然迷惑を受けた国家または国民の批判の対象となるべきである。
もしドイツの国策なるものが、オトポールにおいて被追放ユダヤ民族を進退両難に陥れることにあったとすれば、ぞれは恐るべき人道上の敵ともいうべき国策てある。そして日満面国がかかる非人道的ドイツ国策に協力すべきものてあるとすれぱ、これまた驚くべき間題である。
私は日独間の国交の親善を希望するが日本はドイツの属国でなく、満州国また日本の属国にあらざるを信ずるが故に、私の私的忠告による満州国外交の正当なる働きに関連し、私を追及するドイツ、日本外務省、本陸軍省の態度に大なる疑問を持つものてある
正義の人2
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/seigi/seiginohito2.htm

ーーーーー

wikiから
オトポール事件 [編集]
1937年12月26日、第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際、関東軍の認可の下、3日間の予定で開催された同大会に、陸軍は「ユダヤ通」の安江仙弘陸軍大佐をはじめ、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めていた樋口(当時陸軍少将)らを派遣した。この席で樋口は、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるナチス・ドイツの反ユダヤ政策を、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と、間接的に激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びた。日独防共協定を推進したヨアヒム・フォン・リッベントロップ駐英大使は、このことを知ると、ヘルベルト・フォン・ディルクセン駐日ドイツ特命全権大使を通じてすぐさま抗議したが、上司に当たる関東軍参謀長・東條英機が樋口を擁護し、ドイツ側もそれ以上の強硬な態度に出なかった為、事無きを得た。本来・親独派である東條が樋口を不問にした背景には、ユダヤ人人脈を通じた対米関係の修復の模索との見方もある。
1938年3月、5000〜2万人のユダヤ人がナチスの迫害下から逃れるため、ソ連〜満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道・オトポール駅まで避難していた。しかし、彼らは亡命先に到達するために通らなければならない満州国の外交部が入国の許可を渋り、足止めを食らっていたのである。樋口はこの惨状に見かねて、ユダヤ人に対し、直属の部下であった安江仙弘大佐や河村愛三少佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った(オトポール事件)。樋口は「彼ら(ユダヤ人)の何千人が例の満洲里駅西方のオトボールに詰めかけ、入満を希望した」と書き記しているが、芙蓉書房は彼の手記にある数字を勝手に2万人に改竄している。樋口がナチスの人種差別政策に激しい憤りを抱いていた背景には、ポーランドやドイツに駐在武官として赴任していた際に受けた人種差別が根底にある。ドイツなどでは一般の家庭であっても宿泊を拒否されることがしばしばであったが、一方でユダヤ人の家庭だけは樋口を温かく迎えてくれた。

対ソ戦闘 [編集]
1942年(昭和17年)8月1日、札幌に司令部を置く北部軍(のち北方軍・第5方面軍と改称)司令官として北東太平洋陸軍作戦を指揮。アッツ島玉砕、キスカ島撤退、敗戦後の占守島、樺太における戦闘を指揮し、占守島の戦いではソ連軍千島侵攻部隊に打撃を与えた。そのためスターリンは当時軍人として札幌に在住していた樋口を「戦犯」に指名した。世界ユダヤ協会はいち早くこの動きを察知して、世界中のユダヤ人コミュニティーを動かし、在欧米のユダヤ人金融家によるロビー活動も始まった。世界的な規模で樋口救出運動が展開された結果、ダグラス・マッカーサーはソ連からの引き渡し要求を拒否して、樋口の身柄を保護した。
戦後イスラエル建国功労者として安江とともに「黄金の碑(ゴールデン・ブック)」に「偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と名前が刻印され、その功績が永く顕彰されることになった。また、樋口が終戦前後まで指揮をとっていた部隊内では、捕虜の虐待や戦争犯罪とみなされる事件はただの一件も起きていない。

後年の評価 [編集]
ユダヤ人救済についてはその功績が長く伝えられているが、旧日本軍の軍人であったこともあって、文官の杉原千畝とは異なり、表立って喧伝されたことがない。なぜなら、同難民救済を実質的に指揮したのは、当時関東軍の参謀長だった東條英機であり、同時期に南満州鉄道の総裁だった松岡洋右も難民救済に一役買っている。したがって、樋口の功績に言及することは、いわゆるA級戦犯と称される東條、松岡の評価論にもつながり、「旧軍の関係者であるから評価すべきではない」、「あれは河豚計画の一環だからこそ行われた」とする主張と、是々非々で評価すべきであるとする主張とに真っ二つに分れ評価が定まらないでいる。現代の日本および周辺諸国では前者の意見が未だ見られるため、再評価にはまだ至っていないようである。
近年、養子先の『樋口家』があった岐阜県大垣市では、志門塾生涯学習講座にて樋口に対する講座が何度か開かれており、評価が根付いてきている。
2010年6月、ルポライターの早坂隆が、樋口の評伝『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』(文春新書)を刊行。今まで謎の部分が多かった樋口について、膨大な資料と証言から、その生涯の細部にまでわたる検証を行った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/樋口季一郎

歴史の中には再発見されるべき時を待っている歴史がたくさん眠っている。

参考

まるぼうず日記
(戸井田とおる前衆議院議委員のブログ)
「ゼネラル・ヒグチ」をUNHCRが再評価
どうもこの人が取り上げたのが最初のようだ。
http://toidahimeji.blog24.fc2.com/blog-entry-700.html

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(定数削減問題)
秘書の経費も含めて、1人の国会議員にかかるお金は約7000万円です。80人分削ると56億円。
一方で、政党助成金は320億円ですが、これを削ったら何と450人分の国会議員を削るのと同じくらいになる。

ーーーーーーーーーーーーーーー
(消費税特集)
泉谷しげるの消費税「10%」だと!?

消費税増税絶対反対!大脇道場キャンペーン第5弾!導入以来、累計で224兆円。 同時期に大企業などの法人三税(法人税、法人住民税、法人事業税)などの減税が累計で208兆円。

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湯浅誠さんを東京都知事に!


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コメント

メール、確認の電話、梱包。すべて丁寧です。
特に梱包はかなりしっかりしていました。
こちらのお店を利用してよかったです。
信頼できるお店なのでまた利用したいです。

青い鳥さん
コメント有難うございます。

歴史の発掘を待っている人はまだまだ大勢いるのでしょうね。

>ドイツなどでは一般の家庭であっても宿泊を拒否されることがしばしばであったが、一方でユダヤ人の家庭だけは樋口を温かく迎えてくれた。
先日、‘ホロコーストの戦慄’という映画を観ました。ナチス時代の収容所を舞台にゲシュタポに逮捕・収容されたリトアニア人の大学教授の目を通しホロコーストの非人間的な蛮行を丹念かつ冷静に描いた、秀逸な作品です。印象深いのは、…『人間が人間と獣の境界線に追い込まれたとき、常識の枠を広げないと生き抜けない。収容所のような残酷な所にいるくらいなら死んだほうがましだ。と真剣に思うがすぐにガス室での処刑を免れたときの安堵感…他人の事なぞかまってられない。自分の人間性・尊厳が削ぎ落とされてゆく…』という、主人公のナレーションである。戦争は何ひとつ良いことはない、無辜(むこ;罪のない)の人々の心に深い傷を負わせる。 平和の有り難さを認識させられた映画でした。

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