日本橋から中央道りを上野まで歩く
昨日の土曜日は午前中仕事をして午後は日本橋から中央道りを上野まで歩いた。 実際に歩いた時間は2時間足らずでした。 前に日本橋から木場公園まで歩きましたが今後日本橋起点でいろいろ歩いてみようと思います。 昨日の旅程です。 ココログは2M以上の写真をアップできなくなったのでweb上の写真をアップします。 まず昼食はコレド日本橋の地下で弁当を買って隣の公園で食べました その地には漱石が通った寄席があったそうです。 その公園脇にある漱石の碑文です。
江戸っ子漱石はロンドンを舞台にした作品にも日本橋を言挙したほどだ。青春小説「三四郎」、倫理探求の名作「こころ」には、ここの路地の寄席や料理屋が描かれている。 こんな説明がありました。 江戸っ子漱石は落語好きでした。『三四郎』には、週に四十時間もの講義を聞く三四郎を、「そう、活きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちや、助からない」と、与次郎が寄席へ連れて行く場面が描かれています。 次に本場の寄席へ連て行つてやると云つて、又細い横町へ這入 つて、木原店(きはらだな)と云ふ寄席へ上つた。此処(こゝ)で 小さんといふ落語家(はなしか)を聞いた。 〈第三章〉 この明治の青春の一舞台となっている日本橋の木原店(きはらだな)跡に、この度、「夏目漱石の碑(漱石名作の舞台の碑)」が完成したわけです。 椿わびすけの家別館 掲示板 夏目漱石が好きなかたへ http://wabisuke.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=376 白木名水の碑がありました。 ◆現地説明板の記載内容です。 江戸時代のはじめ、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず付近の住民は苦しんでいました。 正徳元年(1711)、白木屋2代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸掘りに着手しました。翌2年、たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機 に、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています。以来、付近の住民のみならず諸大名の用水ともなって広く「白木名水」とうたわれてきました。 白木名水は湧出してから数百年の時を経て消失しましたが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡です。この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服 商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史の後に、日本橋一丁目交差点角にあったものを、平成16年(2004)ここに移設再現したものです。
br />
→人気ブログランキングへ良ければこちらもお願い致します
→FC2ブログランキング
更によければこれもお願いします。
→
« かずさアカデミアパークの千葉県誘致企業で指名解雇 | トップページ | 人間は基本的に「善」(いいtwitter体験を!) »
「東京」カテゴリの記事
- 日比谷公園の桜(2026.04.03)
- オスプレイCV 22東京の空(2024.11.15)
- 小池百合子知事当選無効申立て記者会見の内容(2024.07.23)
- 三康(さんこう)図書館に行ってきた(2022.07.06)
- 宇都宮けんじ氏の応援する都議選候補(2021.07.03)
« かずさアカデミアパークの千葉県誘致企業で指名解雇 | トップページ | 人間は基本的に「善」(いいtwitter体験を!) »







コメント