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2011年7月20日 (水)

追悼原田芳雄さん そして 「大鹿村騒動記」鑑賞記

Photo_2

「大鹿村騒動記」でその渋い演技を見を見せて頂いたばかりの原田芳雄さんが亡くなった。


黒木和雄監督の「父と暮せば」「紙屋悦子の青春」の演技は私には思い出深い。

11日の試写会の舞台挨拶には車椅子で登場し癌治療の為丸坊主になりさせこけて痛々しい姿だった。


結局癌ではなく肺炎で今朝亡くなられた。
(わが父も肺炎で死んだ)

きっと名優として日本映画の歴史にのこるだろう。


心から哀悼申し上げます。
ゆっくりとお休み下さい。

さてその「大鹿村騒動記」を先週土曜日の封切日に見た。

阪本順治監督に原田芳雄さんが持ち込んで実現しか企画だと言う。

信州の奥まった村である大鹿村に残る歌舞伎をめぐる物語である。
人間模様が歌舞伎にうまくからまって展開して行く。
最後の歌舞伎の舞台のシーンは圧巻だ。

この映画は1000円だった。
撮影期間は二週間のみで俳優は宿で合宿状態だったという。
予算はすこぶる低予算だったという。
大鹿村の人たちが全面協力したようだ。

この映画は低予算でもいい映画は作れると実証した。
皆さんにお勧めします。

以下あらすじです。

あらすじ [編集] 風祭善は、大鹿村で鹿肉料理の食堂「ディアイーター」を営んでいる。善は、300年以上前から伝わる大鹿歌舞伎の役者でもある。定期公演を間近に控え、仲間と稽古をしているところに、能村治と風祭貴子が現れる。善と治は幼なじみ、善と貴子は夫婦であるが、3人でディアイーターの営業を始めようとした矢先、治と貴子は東京へ駆け落ちしたのであった。18年前のことである。しかし、貴子には記憶障害があり、治は貴子の面倒を看ることができなくなったのだ。治の「善ちゃん、どうしようもなくて。返す。」という言葉に、善は激怒し治を殴りつける。善は、結局、2人を自宅へ泊めることになる。
 貴子は、駆け落ちしたことはおろか、善のことも忘れており、記憶障害のため料理も満足にできない。しかし、18年前に自分が演じていた歌舞伎のセリフだけはしっかりと憶えている。そんなとき、大鹿村を台風が直撃し、村内で発生した土砂崩れに巻き込まれて、定期公演に出演する役者(佐藤浩市)が大けがをする。そのため、貴子が代役として出演することとなった。
 定期公演は、善と貴子の息のあった熱演により無事終了した。貴子は記憶を取り戻し、善は過去を清算して、元通りの2人に戻るかに思えたのだが…。

wikipediaより

映画『大鹿村騒動記』公式サイト


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