「核」は原発も原爆も一緒だ。(黙祷の鐘の余韻や原爆忌)
写真:核についてはっきりした論説の中國新聞より
今日は広島原爆忌
66回目の原爆の日だった。
朝8時15分にはテレビに向かって一人黙祷した。
黙祷の鐘の余韻や原爆忌
人類は「核」とは共存できない。
「核」は原発も原爆も一緒だ。
全ての核を即時廃棄すべきだと私は思う。
しかしこの夏は首相も広島市長も長崎市長もそこまで踏みきれなかったようだ。
菅直人首相は「放射能を出す危険性ということでは共通の部分がある」と述べたという。
「共通の部分がある」でなく、「共通である」だろう。
ーー
松井一実・広島市長は平和宣言で、国民の原発不信を指摘し、エネルギー政策転換を政府に要求したが、脱原発については「主張する人々がいる」と述べるにとどめた。
菅直人首相は平和記念式典のあいさつで「原発に依存しない社会を目指す」と改めて「脱原発」に言及したが、目新しい表現は「(原発の)安全神話を深く反省する」という程度だった。
首相は式典後、昨年のあいさつで創設を表明した「非核特使」の被爆者8人と懇談した。「兵器としての原爆と、発電としての原発は異質なものだが、放射能を出す危険性ということでは共通の部分がある」と指摘。
9日に原爆の日を迎える長崎市でも、福島原発事故を受け、平和宣言で原発にどう言及するか、田上富久市長を委員長とする起草委員会(18人)で激しい議論があった。
( 長崎では)被爆者ら多くの委員は「脱原発」を盛り込むよう主張したが、市長は慎重姿勢を示し、最終的に「脱原発」には触れずに「原子力に代わる再生可能なエネルギー開発の必要性」を訴える内容に落ち着いた。
毎日.JPより
こういうニュースもあった。
「活かされなかった諜報記録~原爆投下の真実」(NHK総合=6日後9・00)を途中から見た。
日本海軍諜報部隊が原爆投下を察知していた事実が明らかになった。
軍は、不審なコールサインで交信するテニアン島の米軍B29部隊を確認し、8月6日朝にも同じコールサインを傍受し、部隊が広島に迫っていることに気づいていた。
長崎でも5時間前にそれを傍受し、傍受した担当は本部に伝えていたが軍の上層部は自らの戦争責任追求を恐れそれを無視した。
5時間あればスクランブル出動で追い返すことも出来たかも知れない。
歴史は決して必然ではなくこういう人間の営為の積み重ねだ。
驚く話だった。
この後0時から「ヒバクシャからの手紙」が二時間あります。
このあとの番組を読売新聞から紹介します。
「原爆投下」で新事実も
NHKは今年も8月に戦争と平和を考えるドキュメンタリーを集中的に放送する。原爆投下前の米軍の動きを日本軍が察知していたことを示す資料から、巨額の戦費調達に向けた特殊な経済システムの検証まで、幅広い作品がそろった。注目作を紹介する。(旗本浩二)
◇「二度と原爆を使ってはいけない~核兵器廃絶を訴えた異色のGHQ司令官」(総合=8日後10・00)
欧州と日本で大量虐殺を目の当たりにした米国軍人が、連合国軍総司令部(GHQ)長崎軍政部司令官となった後、ひたすら原爆の惨禍を繰り返さぬよう訴えていた事実をひもといていく。
◇「調査報告 圓の戦争~国策銀行 封印された記録」(総合=14日後9・00)
日中戦争開始から太平洋戦争終結までの8年間で日本の戦費は、現在の貨幣価値で数百兆円にも上った。それをどのようにして賄ったか、当時の様々な金融機関の極秘資料から解明。日中両国の通貨戦争が日本を世界から孤立させる要因となった事実にも迫る。
◇「朝鮮遺産 百年の流転~日韓・和解への模索」(総合=19日後10・00)
李王朝時代の儀式を記した文書「朝鮮王朝儀軌
ぎき
」に焦点を当て、韓国併合時に日本に持ち出され、戦後は皇居内に保管されてきた流転の歴史を検証。日本政府が目指した「日鮮融和」政策の実態を明かす。
◇「二人の旅路~日中 激動を生きた京劇夫婦」(総合=24日後10・00)
中国の京劇スターだった夫婦の人生に迫る。文化大革命により京劇を非難され、中国残留孤児の妻は夫と共に日本に移り住み、互いに支え合って生きてきた。彼らは昨秋、京劇の舞台に再び立つべく中国に旅立った。
◇「もう一つのグアム~戦争に翻弄された日系人たち」(BS1=15日後9・00) 戦前から米領グアムに暮らしていた日系人をクローズアップ。真珠湾攻撃後、敵とみなされて拘束され、反日闘争に関与したとして日本軍から拷問を受けるなど、苦難の歴史をたどる。
◇「ヒロシマの黒い太陽」(BSプレミアム=6日後10・00)
原爆投下に欧州諸国がかかわっていた事実を指摘。戦争終結後の東西冷戦を見据え、西側諸国の産業界や科学者たちがこぞって原爆投下に傾き、その後の“核の時代”がどう形作られたかを検証する。
◇「運命の22日間~千島・サハリン(樺太)はこうして占領された」(BSプレミアム=12日後10・00)
千島列島とサハリン(樺太)が終戦後、ソ連軍に短期間のうちにどのように占領されたかを、日露の元兵士、民間人らの証言でつづり、集団自決や一家離散の悲劇の実態を浮き彫りにする。
◇
CS放送のディスカバリーチャンネルも8月15日から19日まで、戦争を知らない世代向けの特集「今、戦争を知る」を編成する。
15日午後11時からは、2部構成の「カラーで見る日本の戦争」を放送。日本軍の戦いの模様から庶民の日常風景まで、終戦以前の姿を収めた貴重なカラー映像を通して、当時を振り返る。同日深夜0時半からは、ニューヨーク在住の日本人女子中学生が、漫画「はだしのゲン」の作者・中沢啓治を訪ね、原爆の記憶を受け継いでいく様子を描いた「戦争の記憶~NYからの訪問者」を放送。ほかに「神風特攻隊、その時」(17日後11・30)など、過去の秀作ドキュメンタリーを連日放送していく。
(2011年7月12日 読売新聞)
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原子力発電の新設を止め順番に停止しスケジュールを作って再生可能エネルギーに全て転換しよう!
原子力発電禁止法の制定を!
被災地と全国の休耕田にメガソーラー発電所を作ろう!
30年間40円/kwhで再生可能エネルギーを買い上げる制度の早期実現を!
脱原発を目指す政府を作ろう!
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コメント
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蒼い鳥さん
コメント有り難うございました。
蒼い鳥さんの高校3年の夏の体験は貴重だと思います。
おそらくそれが青い鳥さんの生き方の基調になっているのだと思います。
今後の世代にもそうした経験が引き継がれればいいと思います。
石原慎太郎知事の『核武装容認論』のバカさ加減を広めましょう。
『核抑止論』は昨日の広島の式典で国連代表のドウアルテ氏の読んだ事務総長メッセージでも否定されておりその前の発言で「究極的廃絶」などと言った菅首相など日本の政府は恥をさらしています。
投稿: 大津留公彦 | 2011年8月 7日 (日) 09時17分
敗戦後66年… 未だに核兵器が存在している事をどう捉えるべきか?
広島・長崎で核爆弾により無念にも命を絶たれた無辜(むこ)の人々の御霊に顔向けできない…。わたしは高校3年の夏、仲間たちと廃品回収やカンパなどで集めた資金をもとに広島を訪ね、被爆された方々の様々な貴重な体験をきいた…とても筆舌に尽くし難いものであった。その時、「核兵器は廃絶せねば」と、若いながらに心に誓ったが…。現在、大津留さんのお義母様のように未だ被爆の後遺症に苦しんでみえる方々に思いを至した時、自分自身の無力さに忸怩たる思いを禁じえないでいる…。
先の石原慎太郎知事の『核武装容認論』なる暴言・妄言は断じて許されざるものであるが、それを糾弾しないマスコミをはじめとする日本社会の想像力の欠如・無神経ぶりには唖然とする。 余りに核・原発に対する考えが甘すぎる。人間の命に関わる大切な問題なのである。
『核抑止論』などはとんでもない妄想であり、この考えが世界中で跋扈する限り平和は実現しない。 わたしたちひとりひとりが、今一度立ち止まり、『核兵器廃絶』『脱原発』に向け何ができるか腰を据えて考える時であると強く思います。
投稿: 青い鳥 | 2011年8月 7日 (日) 04時52分