沢山の有り難う
9月12日の午前3時50分に義理の母が亡くなりました。
私には36年の沢山の思い出があります。
沢山の有り難うございますの気持ちを送ります。
以下亡くなった日から葬儀までの文章です。
9月12日の午前3時50分に義理の母が亡くなりました。
85歳まで元気に暮らしていましたが、今年旅先で倒れ白血病を発症しそれからわずか三ヶ月の命でした。
長崎の被爆者でした。被爆の事も教えてくれた母でした。
我が妻など子どもたちの意思で延命治療はしませんでしたので綺麗な体のままでした。
いろいろと考えさせてくれた母の最期でした。
以上はセレモニーホールの安置所の母の遺体の前で書きました。
13日に義理の母を荼毘に付しました。
一時間半で母は骨になりました。
骨の量は親父と比べて少なかった気がします。
こんな手紙を棺に入れました。
最後まであなたの子どもになれませんでした。
私はあなたの子どもを守ります。
14日に義母の通夜が15日に葬儀が行なわれました。
母は遺骨となって五島の自宅に戻り盛大に弔われました。
会葬者も多く自宅の庭にも花輪が並びました。
義母は子にも孫にも優しく皆から好かれていました。
子四人孫十二人曽孫三人に代わり代りに見守られ亡くなりました。
生涯現役を目指していましたが家業を最終盤まで行い、結局、闘病生活は三ヶ月だけでした。
延命治療はしなかったのであっという間の最期でした。
九月の半ばというのに五島は暑いです。
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» 深刻な 子ども達の放射性セシウム内部被曝 (日経ビジネス) [JUNSKYblog2011]
2011年9月16日(金)
おととい配信された 【日経ビジネスオンライン】(NBO) の
「メルマガ」の メインタイトル に 【NBO 子どもたちの内部被ばく止まらず】
というのがあり、その 「メルマガ」 を読んでみると、子どもたちの内部被ばくが止まらない
測っ...... [続きを読む]
青い鳥さん
お悔やみ有り難うございます。
朝日を見ながらオフコースの「秋の気配」を聞いています。
投稿: 大津留公彦 | 2011年9月17日 (土) 06時53分
誠にご愁傷様です。 貴殿のご心中、お察しするに余りあります。
お義母様に敬意の念を抱かさせて頂きますとともに、ご冥福を心より、お祈りいたします。
投稿: 青い鳥 | 2011年9月17日 (土) 01時30分