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2012年3月19日 (月)

多喜二終焉の地

前の記事で多喜二の旧宅に行った事を書きましたが関連情報を調べましたので残しておきます。

阿佐ヶ谷南2-22

これが今の住所です。
多喜二が最後に住み築地警察で虐殺されたあとここに運ばれ葬儀が行われた場所です。

今は何の変哲もないアパ−トですが多喜二が居た時代は一軒家で裏に竹薮が有り公安警察が来たらすぐ逃げられるようになっていた由。
また当時の省線がすぐ近くに走っていたので都合が良かった由

以下検索情報の紹介です。

「明暗を分けたのがプロレタリア文学の旗手小林多喜二で、馬橋の家は生涯最後の地となりました。実際は左翼弾圧の拷問により警察の留置所で死んだそうですが、葬儀はこの馬橋の家で営まれ、それも参列者十数人に警戒の警官は50人という言論弾圧の暗黒時代でした。

ぶらっと杉並文学散歩

多喜二は殺される直前まで、母と弟の3人で杉並町馬橋3-375(杉並区阿佐ヶ谷南2-22)に暮らしていた。

この付近は、写真のように現在ではアパート群になっていた。

つれづれなるままに

小林多喜二の杉並・馬橋の家の跡
「kobayasitakiji.jpg」をダウンロード

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