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2012年9月29日 (土)

啄木運動を!

昨日(9月28日)は現代短歌研究会の水野昌雄さんの「続・歴史の中の短歌」の勉強会第四回でした。
今回は近代短歌史の問題1 (134−174)で啄木が中心でした。
久しぶりに啄木ワールドに浸りました。
いずれ読まなければと思っていますが我が家の倉庫にしまい込んだ啄木選集を探さねばと思いました。

啄木関係の部分の紹介です。

<近代短歌の問題>
石川啄木の小説
筑摩全集第三巻には15篇あるがまとまって発表されたのは3つのみ
(明治39 葬列 明治41 島影 明治43 道)
第六巻には小説断片が42篇ある。
いずれも評価はかんばかしくない。
しかし水野さんはその現代性について評価をしている。

啄木は明治42 の「食らうべき詩」にこう書いている。
「私は小説を書きたかった。否、書くつもりであった。又実際書いても見た。そうして遂に書けなかった。」
啄木自身が評価をしていない。
小説毎に水野さんの解説を追って見てみる。


「足跡」
[「啄木の小説の良き理解者である窪川鶴次郎でさえ「なにか見当ちがいをしている失敗作である。」と記している。」]
[「他の小説にはない魅力を感じたことを思うのである。魅力は完成度や完璧さから生じるとは限らない。それは人間の魅力がしばしば欠陥を含みながらも人間的真実により近いものに感じられるのと似ているだろう。」
「「足跡」は「雲は天才である」「葉書」「道」と同じく渋民村の代用教員時代をテーマとしている。」]

「雲は天才である」
[藤村の「破戒」や漱石の「吾輩は猫である」を読んで刺激を受けたことがよく知られている。そうした動機から執筆されたのはたしかであるが、それが、「破戒」や「猫」と異なり、自作の校歌を生徒に歌わせて物議をかもしたりする現実批判の強烈な作品となったのは、「革命的精神」への関心の深さといえるであろう。]

水野さんは啄木の小説についての窪川鶴次郎の四つの分析を挙げている。

1.人生に対して第三者ではなかったこと
2.意図やテーマがはっきりしていること
3.瑣末な日常性や官能的なものがなく、社会的に開放されていること
4.作中人物の性格がみなよく捉えられていること

私流に現代的に置き換えるとこうか?
1.人生に前向き
2.テーマ性が明確
3.社会性がある
4.描写がリアル

新日本歌人協会が今も行っている啄木祭についてこういう記事があった。


[昭和十年代に各地にあった啄木祭のひとつ、大阪の会合を記した文章の中には「啄木運動」なる言葉がある。啄木が「運動」として存在していることは、啄木を今日的に生かすことが、社会変革のひとつの行動となっていることを端的に示している。]

そうだ 啄木祭は啄木運動なのだ。

そして啄木について坪野哲久はこう言っているという。

「彼の作品の内蔵している真実性を読み落とすことなく、それらを己の身につけ、啄木短歌の大衆性、その芸術的魅力、大衆への浸透力の強大さ等を。摂取しようと努力してゐる現在の時期」

啄木の存在とその研究の今日的意義をあらためて感じた。

以上

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